1660.岡田有希子さんと123便事件 PART3
↑画像 岡田有希子 入水自殺を暗示する様なジャケットですね 「入水自殺」は「じゅすいじさつ」と読みます。釈迦に説法かもしれませんが、間違えて読んでる方がある程度いらっしゃる様なので、書かせて頂きました。西部邁の入水自殺はこちら。
(1)「1615.御巣鷹の尾根のトイレが、紙を箱にいれる中国韓国式なのはなぜか?」へのコメント計56本の13~16
2018年11月23日の3本目です。「1658.岡田有希子さんと123便事件 PART2」の続きです。
猫山 #-
岡田有希子さんの幽霊騒動、ありましたね。確かトップ◯ンとか、ベスト◯ンみたいな番組で、明菜さんが歌っている後ろに岡田さんの霊が…。と言う趣旨のものだった気がします。友達とワイドショーを見て、検証したりもしましたが見えませんでした。集団に恐怖を植え付ける為の操作だったのかもですね。
2018/11/05 (Mon) 23:59 | URL | 編集 | 返信
rika #kJVvI7Us
★投身時間についてははっきりわかりません たびたびすみません
ジプシークイーンは、岡田有希子の死亡当日(昭和61年4月8日)にレコーディングされているらしいです。当然、その歌詞も自殺の前に出来上がっていたことになりますよね。
更に、岡田有希子がビルから落ちるところを(タクシーから?)ただ一人目撃したとされるマネージャー溝口伸郎は、同じビルで有希子が最後に立ち寄ったとされる五階と六階の間のトイレで縊死(平成12年7/19)しているらしく自殺とされています。
有希子の投身時間については、12時5分とするサイトと、15分としているサイトとがあり、よく分かりません。
2018/11/06 (Tue) 01:56 | URL | 編集 | 返信
日月土 #-
★岡田有希子さんは生贄にされたのか?
大学在学中に向陽高校出身の友人がいました。名古屋では優秀な学生が集まる高校だと聞いています。有希子さんが本当に優秀な人なら、困難を目前にして死を選ぶより、どう回避するかを真剣に考えるはずです。
上記の歌詞分析に書いた内容と重複しますが、歌詞に呪詛的性質が見られる以上、やはり有希子さんは「生贄」にされたのだと見ます。他殺にしろ自殺にしろ、置かれた状況に追い込まれたのは間違いなく、広義の意味で他殺と見てよいと思います。
幽霊騒ぎや遺体の写真についても皆さんのご指摘の通りで、彼女の呪われたアイドルとしてのキャラクターを強調すると共に、それからしばらくの間、彼女と同様の呪詛的歌謡を歌い続けた中森明菜さんをより際立たせる演出に使われたと見るべきでしょう。
2018/11/06 (Tue) 02:10 | URL | 編集 | 返信
ひろ #-
★追記で申し訳ございません。
1985年8月12日の「ザ・トップテン」の映像を観て気になったことを追記させていただきますこと、長文となりますことをお許しください。(個人的な感想を含みます。)
●番組冒頭のチアダンスですが、チアリーダさんが集まった時、かがり火のように見えました。何らかの図形を形成しているように思えます。
●「ザ・トップテン」のテンは10を意味しますが、10は漢数字で十と書きます。僕には十字架に見えます。(日月土さんがコメントを読んだ時、ふと思いました。)
●この時の「ザ・トップテン」の10位にランクされたアーティストは音楽グループ「ルック」[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97)]で曲名が「シャイニン・オン 君が哀しい」(曲名が意味深に思えます。)です。Wikipediaによれば、「ルック」のメンバーの山本はるきちさん(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8D%E3%81%A1)は、1998年からNHK教育テレビの「おじゃる丸」の音楽を担当されているそうです。(「おじゃる丸」につきましては、9条の会さん、日月土さん、福田さんが記事で言及されてましたね。) グループ名「ルック」は「見よ」という意味になりますが、冒頭の10位に「見よ」を意味するグループ名「ルック」が登場したことは意味がある、と思います。
●番組冒頭に表示される提供(企業名)を挙げますと、花王、日清食品、コカコーラボトラーズ、江崎グリコ、TOSHIBA(東芝)です。いずれの企業も原子力発電所(東芝は原子力発電所メーカーとして有名です。)や地下原子力発電所と関係深そうな企業だと思います。日航機123便事件で亡くなられた方(搭乗者)には、松下電器の社員、ハウス食品社長の浦上郁夫さんがいらっしゃいました。番組冒頭に表示される提供元の企業であるTOSHIBAや江崎グリコのライバル企業と呼んでも差し支えない会社の関係者が搭乗されていました。江崎グリコと聞いて思い出されることですが、「グリコ・森永事件」の犯人が搭乗していて、犯人との交渉のためハウス食品社長の浦上郁夫さんが日航機123便に乗り合わせ、日航機123便事件に巻き込まれたという話があります。奇しくも「グリコ・森永事件」の終結宣言は1985年8月12日でした。これは僕の推測ですが、番組冒頭の提供(企業)は、日航機123便事件が起こることを前もって知っていたのではないか?もちろん「ザ・トップテン」の関係者(司会者を含)、日本テレビも知っていたのではないか?と思います。
●5位にランキングされました小泉今日子さんは、1985年8月12日の朝、札幌から飛行機に搭乗されたことを番組内で言われています。ランキングされた曲は「魔女」です。番組の最後に北海道出身の「安全地帯」の玉置浩二さんは、「日航機について考えます」と発言されています。(僕は1985年8月12日に放送された「ザ・トップテン」の出演アーティスト、曲名、ランキングにストーリー性を感じてしまいます。) 番組冒頭で高校の修学旅行の高校が紹介されますが、「岡山県"向陽台"高校玉島学園32名の皆様」と司会の榊原郁恵さんがアナウンスされます。岡田有希子さん(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90)は愛知県名古屋市立"向陽"高校から堀越学園に編入されています。僕はこの向陽という言葉に意味があると考えています。
岡田有希子さんの主演ドラマ「禁じられたマリコ」のストーリー内容とタイトル名が意味深に思えます。
「禁じられたマリコ」について、福田さん、日月土さん、皆様のご見解をお聞かせいただけるとありがたいです。長文失礼致しました。
2018/11/06 (Tue) 02:13 | URL | 編集 | 返信
(2)サンミュージックマネージャー溝口伸郎氏の不審死
>ジプシークイーンは、岡田有希子の死亡当日(昭和61年4月8日)にレコーディングされているらしいです。
ネットにいくつか出ていますね。
>更に、岡田有希子がビルから落ちるところを(タクシーから?)ただ一人目撃したとされるマネージャー溝口伸郎は、同じビルで有希子が最後に立ち寄ったとされる五階と六階の間のトイレで縊死(平成12年7/19)しているらしく自殺とされています。
サンミュージックマネージャー溝口伸郎氏は口封じで殺されたと私は考えています。溝口伸郎氏は彼女の自殺の瞬間を偶然タクシーの中から目撃していたとされていますが、私の探し方が悪いのか、そのタクシードライバーの証言はネット上に見当たりません。1986年4月8日の早朝に岡田有希子を乗せたタクシードライバーの証言はネット上にいくつかあるのに。
>有希子の投身時間については、12時5分とするサイトと、15分としているサイトとがあり、よく分かりません。
私も現時点ではよく分かりません。
>有希子さんが本当に優秀な人なら、困難を目前にして死を選ぶより、どう回避するかを真剣に考えるはずです。
同感です。
>やはり有希子さんは「生贄」にされたのだと見ます。
同感です。
(3)懐かしいアナログ盤♪ 岡田有紀子 自殺の真相3 2004年 12月 22日
岡田有希子の遺体が四谷署に着いたのは十二時四十分だった。同じ時刻、サンミュージックでは相沢秀禎を囲んでスタッフの緊急会議が始まった。その間にも報道陣が続々と「大木戸ビル」に押しかけている。
各テレビ局のスタッフが場所を取り、記者会見の準備をそそくさと始めている。誰もが興奮していた。会場にあてられた六階の会議室は異様な熱気に包まれていた。なかには「岡田有希子」の顔すら知らない記者がいる。
「どんな曲、歌ってる娘?」明らかに「アイドル」の取材とは無縁に見える一般紙の遊軍記者もかなりいた。「いや、俺も全然知らないんだ。とにかく四谷に飛べと……」その会話からも事件の異常さが感じられる。
記者会見が始まったのは午後一時三十分である。出席したのは相沢秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人だった。「ふだんから何か悩んでいたことは?」福田専務がひと通りの経過報告をした後、ひとりの新聞記者が質問した。
「感情の起伏が激しい娘だったことは事実だったんですか」さらに同じ記者が質問する。「線の細い娘、という感じはなかったですか?」その熱気に少しネクタイをいじりながら福田が応える。
「シンは強い娘だと思っていたんですけどねえ……」事件直後のやりとりを思いだして梨元が質問した。「先程、躁鬱が激しいみたいなことをおっしゃってましたよねえ。そういう部分は見受けられなかったんですか?」
下を向きながら福田はポツリと言った。「ええ、ありましたね……」女性誌の記者が受けた。「たとえば、このところ何かおかしいなァ、というような点、具体的に思いあたるところはないんですか?」
横を見ながら福田が、「うーん、それは僕よりも担当マネージャーの溝口が、ずっとそばについてたわけですから……」カメラマンたちの視線が横にスライドする。「どうでしょうか?」溝口に向かっていっせいにフラッシュがたかれる。
「昨日の夜も、七時からの渋谷に試写会を見に行って、いちおうオフだったんですね。ほんとは今日から、ドラマを開始するはずだったんですけど。それが準備の都合で明日からになりまして……本人はオフだったものですから、電話を夜の十時ごろにしたわけです。その時はひじょうに声も明るくて、『あッそう、残念ねえ』というような話をしてて。ものすごく明るいんですよね、声自体は……だから『じゃあ明日、また電話するから』ということで、十時ごろ、その電話を切ったんですけど……」
昨日、試写会に訪れた彼女の姿は何社かのカメラマンが撮っていた。「女のともだちと二人で『ロッキー4』を見に行った、ということを聞いたんですが……それはどなたと行ったんですか?」
腕を組み直して溝口は、「えーと、僕もよくわからないんですけど、前にドラマをやってまして、そこの共演した女の子だと思います。しょっちゅうコンサートも見にきてもらったし……」
福田に向けられた質問がくりかえされる。「最近、なにか鬱だとか、そういうことを感じられたことはありますか?」一瞬、沈黙してから溝口は答えた。「あのォ、最近はないんですが……。そういう部分では、すぐ考えちゃうところのある娘だったからね……そういう意味では僕たちにたいしてもあんまり自分を話してくれないというところがあったり……」
誰もが「なぜこんな自殺までして?」という疑問を解きたいと思っていた。そんな苛立ちが質問のどうどうめぐりを呼んでいた。「マネージャーとして、いろいろな相談にのってたこともあると思うんですけど……」
首をひねりながら溝口も応じる。「直接相談するっていうことはなかったんですよね」ふたたび福田が答えた。「あのね、割に思い込むほうなんですよね。自分ひとりで仕舞い込むというところがあったわけです。ええ」
梨元が質問の方向を変える。「部屋には遺書とか、そういうものはあったんですか?」もう一度、福田に向かってカメラが集中する。「あのォ、病院にしか行ってませんし……当然そこには、警察の方も消防署の方もお入りになってるわけですから。えー、あったかどうかということはわかりません。いまの段階では……」
記者たちの鉛筆を走らせる音が重なる。「あのォ以前に、たとえば死にかけたとか死のうとか、そういうことはあったんですか?」
質問者の梨元を見て、福田が応じる。「全然ないです。初めてです。ましてや先程も言いましたように、仕事は順調ですし、高校までは社長の家にずっといたわけですから……。十八歳になって自分の城が欲しいというので、念願の青山に自分の城が持てたわけですから。そんな、まったく、死ぬような理由はないわけですよね」
同じ表情の上をカメラのフラッシュが何度も何度も捉えてゆく。「家庭的な面で悩んでる、というようなことはなかったんですか?」福田はしばらく考えこんだ。「……家庭的な面といっても、御両親もおじいちゃん、おばあちゃんも皆さん元気ですし、先日、名古屋に行った時も……、全然考えられないですね」
一拍、間があいたところで、また梨元が口火を切る。「申し訳ないんですが、こういう場なんで確認したいんですが、たとえば男のともだちのこととか、そういうことで何か悩んでるみたいなことはありませんでした?」軽く座りなおして、今度は溝口が応える。「だから、それがハッキリ言わないからね。そこまではちょっとわからないんですけどね」
スポーツ紙の記者が早口で聞いた。「生活してるなかで、何か思いあたる部分ってなかったんですか?」相沢のほうをちらっと見て、福田が代弁する。「社長の家にいた時は、それは他人様の家ですし……やはり『ひとりで住みたい』という気持ちは皆ありますから。だけど自分で望んでこの道に入って、青山のマンションに入れて、生活の面でも充実してきたばっかりでしょう。ひとりになったのは四月の四日からです。土曜日の日は渋谷公会堂でコンサートがありまして、昼夜二回やりまして、どちらも満員だったんです。夜の部が終わりましてから、社長の家に引っ越しのあいさつに行ったんです。考えられないですね」
誰かがするだろうと思われた質問が飛んだ。「先日、アイドル歌手の遠藤康子さんの自殺ということがあったわけなんですけど、あの事件がいくらか影響してるとは考えられませんか?」これには福田もきっぱりと応じた。「立場がちがうと思いますね」
同じ記者がくりかえす。「そのことについては、彼女自身が話したことなんかはない?」そちらの方向を見て、もう一度きっぱりと福田は首をふる。「僕は聞いてません」
彼の言葉を受けて、また梨元が聞いた。「福田さんね。彼女、家庭的な面では、ひじょうに恵まれてた。そして明日からは『ドラマの仕事で主役をやる!』というような責任感もあったと思う。その直前でしょ。そういう中でひとつひとつ自殺の動機となる可能性というものを消してゆきますとね、男ともだちみたいなことが最後の理由として残ってくるんですけど、その辺はどうなんでしょうか?」
咳ばらいをひとつして、福田が答える。「それは、事務所としてはまったく心あたりがないです」さらに溝口が口を開いた。「それは、ま、やはり十八歳の女の子だから、あこがれみたいなもの、そういう面ってあると思うんですよね。『誰々が好きだ!』というようなあこがれの部分はあったでしょう。ただ、おつきあいをしてどうのこうのというのは聞いてないですね。それはプライベートな部分で、自分の中で、そういうことになやんでたということはあるかもしれません。それを僕がわからなかったとしたら、ひじょうに残念に思いますけど。思いあたる部分と言われても……それは考え込むという部分が彼女にはありましたよ。自分がそういう点を汲んであげられなかっというのは、担当マネージャーとして大変に残念です。」
レッスンを休むとか、ふさぎがちになったとかいうことも一切なかったという。 「悩んでいるような時、溝口さんがついてらして、『なんで悩んでるんだろうな?』と想像されたりはしませんでした?」
梨元の質問に溝口が答える。「だから、担当マネージャーとしてそういうことっていろいろ考えますよね。考えるけれども、実際に彼女の頭の中で考えていることというのは、ほんとに話してはくれないですからね。それがいまも言ったように歯がゆいんですけど……」
質問もとぎれがちになってきた時、ひとりの記者がたずねた。「さっき溝口さん、あそこに花を供えられてましたね。どんなお気持ちだったんですか?」
溝口の目に涙がうかんだように思えた。「いや、ひじょうに残念です。今日、僕は、家のほうで子供の入学式があったものですから。実際に今日はオフだったんで、家のほうに連絡をもらって、『病院のほうに行ってる』ということでね。病院のほうへ行ったら、もうこちらのほうに向かったということで、車でこちらに来たわけです。それで交差点で信号待ちしている時に、僕も実際に上のほうから落っこちてくるのを見たわけですよ。その時はまさか、人間が落っこちてきたとは思いませんでしたよ。咄嗟になにかあったんじゃないかとは思いましたけど……」
次の瞬間、溝口の中でなぜか「有希子だ!」という思いが走ったという。もちろん、この目で確認したわけではない。が、そんな直感が走った。(有希子じゃない! 有希子じゃない!)
そんなことを心でつぶやいて、タクシーを降り、彼は現場に駆けよった。彼の目に真っ先に飛び込んできたもの。それはまぎれもなく、見慣れた彼女の腕時計だった……。「有希子!」「有希子!」無意識のうちに、彼は二回叫んだ。
なにがなんだかわからなくなった。いつものようにDPEの看板がくるくると回っている。入り口の弁当屋には昼時だというのにもう誰もいなかった。通行人が悲鳴をあげる。「有希子、可哀相に……」無言でうつ伏した遺体の前で、彼はふっと我に返った。
(毛布!)彼は事務所にかけのぼり、毛布をとってきた。「可哀相に……可哀相に……」震える手で彼は遺体を覆った。すべてが白昼夢のような出来事だった……。
岡田有希子の自殺事件は、芸能界とマスコミにパニックとなって広がった。テレビ各局は番組内容を変更して事件現場からの中継に切り替え、四谷四丁目サンミュージックの前には事件を知ったファンがはやくもつめかけた。まだ、チョークの跡と血痕がなまなましい現場を遠巻きにしている若者たちの表情は、一種異様な光景だった。
ここでもう一度事件の経過を振り返ってみる。岡田有希子にいったい何が起ったのだろうか。東京都港区南青山六丁目にある「ロータリーマンション」の六階住人が、ガス洩れ臭に気づいたのは四月八日の午前九時ごろだった。そこで三階にある管理人の部屋に連絡。管理人がガスの臭いの発生場所をたどってゆくと、四〇二号室の岡田有希子こと「佐藤佳代」宅から洩れていることがわかった。
ドアベルを押してみたが中からの反応はない。管理人はあわてて自室に戻り、四〇二号室の鍵を持ちだし、ふたたび四階に駆けのぼった。震える手で鍵を開けたが、ドアチェーンがロックされていた。つまり、部屋の中に誰かがいることは確かだった。
「佐藤さん、佐藤さん、いますか? 聞こえますか? 大丈夫ですか!」大声をあげたが中からの反応がない。一一〇番に電話がかけられた。東京ガスにも通報された。警視庁通信指令センターから赤坂消防署レスキュー隊に出動要請が入ったのが十時九分。七分後には救急隊がマンションに到着した。
ドアチェーンを切断し、中に踏みこんだ署員が押し入れの下段でうずくまっている女性を発見する。激しいガス臭の室内で、シクシク泣いている彼女の左手首が五センチほど切れていた。「自殺未遂の患者が行きますからよろしく……」消防署の指令センターから北青山病院に連絡が入った。
十時二十分、マンションの管理人からサンミュージックの総務部に連絡がとられた。「岡田さんが救急車で北青山病院に運ばれました。どうやら自殺未遂のようです」連絡を受けた福田専務は付き人の山崎結美をともなって、事務所を飛びだした。
患者を乗せた救急車が病院に到着したのが十時三十三分。直ちに外科の縫合手術が行なわれ、彼女の左手首が四針縫われた。「手首を動かしてごらん」担当医の言葉に患者は素直に従った。彼女の袖口は鮮血で紅く染まっていた。投薬と同時にガス中毒反応をみるための問診が行なわれた。
「あなたの生年月日は?」シクシク泣きながらも相手は答えた。「昭和四十二年八月二十二日……」次に現住所の確認。これにもキチンと答えた。どうやらガス中毒反応はゼロ、後遺症もなく、担当医は「入院の必要ナシ」と判断した。
サンミュージックの福田専務らが到着したのは十一時十五分過ぎ。岡田有希子は興奮状態でわんわんと号泣していた。管理人の連絡からは「ガス自殺を図ったらしい」ということしか福田たちにはわからなかった。「手首も切った」ということは病院に着いて初めて知ったわけである。しかし、傷口の手当はすでに済んでいた。本人はひとことも話さず、ただ激しく泣くばかりだった。
「後遺症はないので大丈夫ですよ。もう連れて帰ってもいいですよ」担当医の言葉を受けて、福田は「とりあえず事務所に連れてゆこう」と判断した。社長の相沢秀禎が歯医者に出かけている間の出来事なので、そうせざるをえなかった。病院の前でタクシーを拾うと本人と山崎結美を後ろの座席に座らせ、福田は運転手の横に乗りこんだ。
本人も号泣という状態からシクシク泣きに変わっていた。やや落ち着きもとり戻してきているようだった。運転手がいる手前、車内では三者とも会話は交わさなかった。サンミュージックに着いたのは十二時を少しまわった頃である。本人の希望でトイレに行かせた。「ちゃんとトイレの前に立ってろよ!」万が一の場合を考えて、福田は付き人の山崎にそう指示した。
その後、社長室に入った三人は二、三の会話を交わした。もちろん「自殺」のことについては何もふれなかった。「なんか食べるかい?」本人の動揺を静めるために福田は聞いてみた。「いや、何もいりません」下を向いたまま、彼女は答えた。
「じゃあ、コーヒーでも飲んで落ち着くかい?」「何もいらない……」「それじゃ冷たいものでも飲もうよ」その言葉には彼女もややうなずいた。そこで彼は社長秘書を呼んだ。「何か冷たいものをとってよ。有希子は何がいい?」山崎結美が代わりに答えた。「ストロベリージュースがいいわよね」秘書はストロベリージュースと専務たちの分を注文した。
その時、事務所に急行している相沢秀禎から自動車電話が入ったという伝言がきた。本人の前では事情説明もしにくい。「ちょっと待って」と告げて、福田は隣室の受話器を取るために社長室を出た。
ほんのつかのま、社長室には本人と山崎結美二人きりになった。「ちょっと、ティッシュを……」そう言った後、本人が姿をくらますまでの「一瞬」は、関係者の証言でも「空白」となっている。とにかく、ほんの一瞬、目を離したスキに彼女は部屋を脱けだしたのである。
「有希子がいませんッ」福田のいる隣室に顔面蒼白の山崎が飛びこんできた。「なにッ」福田は受話器を落としそうになった。山崎はオロオロするばかりで、何を言ってるのかわからなかった。
とにかく捜した。捜し始めた福田の目に脱ぎ捨てられたスリッパが飛びこんできた。それは病院からそのまま本人が履いてきたものだ。右足の分が少し前方を向いて傾いている。彼女の両足を離れたスリッパは七階の屋上に向かう階段の下で、その肉体のゆくえを示していた。
「おい、屋上だッ」四月のまばゆい陽光の中に、その扉は口を開けていた。駆けあがった屋上にも彼女の姿はなかった。屋上の表通りに面した方角は『クリナップ流し台』の大看板でゆくえを遮られている。「こちらのわけがない!」と直感的に判断した福田は、裏通りのほうから眼下を覗いてみた。
その時、山崎結美があがってきて、その場にしゃがみこんでしまった。「落ちたな……」山崎の姿を見て、福田は事態を了解した。そして階段方向からざわめきが聞こえた。注文した飲み物が届く前の、ほんの一瞬の出来事である。飲み手を失ったストロベリージュースの氷が溶けていった……。
この日全国のほとんどの学校では入学式が行なわれ、総数五百五十万六千六百六人の新入生が希望に胸をふくらませて校門をくぐった。東京に桜の開花宣言が出されたのは二日後のことだった。。
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>念願の青山に自分の城が持てたわけですから。そんな、まったく、死ぬような理由はないわけですよね
だから殺されたんですよ!
>男ともだちみたいなことが最後の理由として残ってくるんですけど、
現場に異様に早く到着した梨元が峰岸徹が原因であるという線に結びつけようとしている! 私は峰岸徹が原因であるという話は、真実から遠ざける為のスピンだと考えています。
>東京に桜の開花宣言が出されたのは二日後のことだった。
この1986年は、春の訪れがとても遅かった。1984年よりは早かったが。1984年は4月下旬に当時住んでいた千葉県船橋市で桜が咲いていました。1986年、首都圏では春分の日頃に大雪が降った。私が当時住んでいた相模原市では大雪の日に停電になった。雪が電線に付着した為に停電になったという報道を、地下原発とか長距離送電は不可能とか送電線は空きだらけといった話を知らなかったので信じた。電気の暖房機しかなかったので厚着をしてしのいだ。
(4)向陽という言葉の意味
>番組冒頭の提供(企業)は、日航機123便事件が起こることを前もって知っていたのではないか?
提供(企業)が前もって知っていたとのお考えですが、それは幹部だけが知っていたというお考えなのですか?
>もちろん「ザ・トップテン」の関係者(司会者を含)、日本テレビも知っていたのではないか?と思います。
たぶんそうでしょうね。
>岡田有希子さんは愛知県名古屋市立"向陽"高校から堀越学園に編入されています。僕はこの向陽という言葉に意味があると考えています。
夕方に東京から大阪へ向かうのですから、123便は太陽に向かって飛行し始めたのです。それが向陽です。ところが太陽に背を向ける方向に誘導されます。岡田有希子さんが向陽高校から堀越学園に編入した事は、123便が太陽に背を向ける方向に誘導される事を象徴していると考えます。
更に「向陽」は、岡田有希子さんの所属事務所であるサンミュージックを象徴していると考えます。
>「禁じられたマリコ」について、福田さん、日月土さん、皆様のご見解をお聞かせいただけるとありがたいです。長文失礼致しました。
教師って極めて多忙で、学校に夜遅く迄いる事も多いし、自宅でも授業準備をはじめやる事が多いので、長い教師生活でこのドラマを見たと記憶に残っているのは極僅かです。
ロケ地が私が勤務していた東京都立南野高等学校の近くだったので見ていた『毎度おさわがせします』と、岡田有希子さんと噂があった峰岸徹が実の娘と近親相姦しちゃう父親を演じた「高校教師」と、自宅アパートの近くのデパートが映っているので見ていた『デパート!夏物語』『デパート!秋物語』と、『みんな!エスパーだよ!』と、「リミット」くらいです。 大河ドラマはたまに見る程度でした。
ですから「禁じられたマリコ」はまったく見ていません。「禁じられたマリコ」と聞いて、岡田茉莉子と篠田麻里子が頭に浮かびました。岡田茉莉子は岡田有希子の岡田から思い浮かんだ。44の(1)に書いた通り、篠田麻里子は岡田有希子が逝去した1986年の311に生まれた。
「禁じられたマリコ」に出ていた生田智子は、生前の岡田有希子と最後に話したタレントとなった。1986年4月7日午後11時過ぎ、有希子が最初に生田にかけた電話は「いつもと変わらない明るい声だった」という。午後11時半ちょっと前、 今度は生田智子が電話するが、出なかったため留守電に用件を残して切る。
「禁じられたマリコ」に出ていた峰岸徹は、岡田有希子が恋い焦がれていて岡田有希子の自殺の原因となった男性とされている。
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