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反戦はお花畑?なぜ平和の声は伝わりにくいのか トランプ氏ら為政者の「平和の悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ【サンデーモーニング・風をよむ】
https://news.yahoo.co.jp/articles/d813da1fbdd7b9c079e3e09f96d1065867cd754f/comments
戦争反対について私の心の中には、どうしても拭いきれない矛盾を感じる。
ニュースでは、イスラエルやアメリカの攻撃による惨状が報じられ、それに対して「戦争反対」の声が上がる。でも、そもそもこの危機の原因を辿れば、イランが核兵器を持とうとしている、という現実に行き着くのではないだろうか?
「戦争反対」と叫んでいる人たちは、イランが核を持つことには賛成なのだろうか? 今までイランの核開発に提言せずに戦争になったら反対というのは都合よすぎないか?
(都合の良い立場を切り取って良い事言ってるでしょ的な、そういうところが腹立つ)
もし、「戦争はダメだけど、核開発は止める手段がないから放置するしかない」という立場なのだとしたら、それは巡り巡って、将来もっと悲惨な、取り返しのつかない大戦争が起きることを許容しているのと同じではないか。
だとすれば、「今の平和」を叫ぶことは、結果的に「未来の地獄」に賛成していることにならないだろうか。
SNSで平和を訴える人たちに対して、「お花畑だ」という批判が飛ぶことがある。
今の状況を見ていると、その批判が出てくる理由も少しわかる気がする。
でも、私たちが向き合わなきゃいけないのは、「どうすれば核の脅威を止められるのか」「どうすれば将来の犠牲を最小限にできるのか」という、綺麗事だけでは済まない泥臭い現実なんだよ。
具体的な解決策を持たずに、ただ抽象的な「平和」という言葉だけを並べるのは、ただの自己満足に見えてしまう。あるいは、現実から目を逸らしているだけではないのか。
「核を持たれた後の100万人の死」と、「核を止めようとする今の戦いでの死」を天秤にかけなければならないとしたら? どちらを選んでも地獄だ。でも、その地獄から目を逸らさずに考えることこそが、本当に平和を願うということではないだろうか。
可愛いイラストやNo Warというスローガンの裏側にある、この重たくて不都合な矛盾。
それを無視したまま語られる平和には、どうしても違和感を感じずにはいられない。
複雑な問題を、複雑なまま受け止めること。
今、私が大切にしたいのは、そんな割り切れなさの中に留まり続けることだと思っている。