z is for zokkon

50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

Wikipediaはつぶれちゃダメなんだ

第2期トランプ政権の発足以来、イーロン・マスクらによるアメリ連邦政府の破壊ぶりを戦慄しながら見ています。海洋大気局(NOAA)や航空宇宙局(NASA)の業務が縮小されたら日本に住んでいる人間にも直接影響が及ぶと思うので、まったく他人事ではなくなっています。政府機関だけじゃなくて、公共放送のNPRなども標的にされており、迷惑な話です。

www.nhk.or.jp

心配なのがWikipediaです。民間の非営利団体が運営しているのだから、政府が口を出す筋合いはまったくないと思うのですが、彼らは薄弱な根拠でもあれば十分で、自分たちに都合の悪いことに関しては歴史を改竄することもいとわないでしょう。

www.404media.co

Wikipediaは仕事でも調べ物の入口として使っていて、英語版の充実ぶりは話者が多いので当然ですが、日本語版もかなりよくなっています。出典を明記するなどガイドラインに沿って記述すれば、そうそう変な内容にはならないはずですから。問題があれば多くの場合、ボランティアによる指摘が入り、善意の人が修正することになります。もちろん、人の目が足りない分野で未修正のまま放置されている項目も多いとは思いますが。半可通が「ウィキは信用ならない」とよく言いますが、そんな単純な話ではない(そもそもWikipediaを「ウィキ」と呼ぶのがよくわかってないしるし)。派生プロジェクトのWiktionaryも同様に充実してきています。

もともと閲覧者が簡単に書き換えることができるwikiという仕組みに基づいたサイトで、初期インターネット特有の楽観性というか人間の善意への信頼があって成立しているものです。その脆弱さは誰の目にも明らかですが、逆に言えば、ネオナチ野郎どもが世界の大部分を支配する世界になってもWikipediaには(ある程度の)信頼性が保たれているということになれば、まだ希望は持てると思うのです。

巨大な商業サイトがことごとく闇堕ちして例外を挙げるのが難しくなっている今、パンドラが開けた箱に最後に残っているまっとうな大規模サイトとして、Wikipediaはこれまで以上に大事にしていかなければなりません。

というわけで、寄付もしていくつもりですが、記事の充実にも貢献したいと思い、英語版に記事を作成してみました。スペイン語版からの翻訳です。

en.wikipedia.org

ニック・デカロはこれまで日本語版とスペイン語版だけがあって、なぜか英語版がなかったので。スペイン語版では日本語版になかった山下達郎との関係についても触れられています。

英語版から日本語版への翻訳による記事の新規作成は以前にやったことがあり*1*2、先日また英語版から翻訳しようとしたら「まだ貢献が足りないので草稿しか作成できません」という趣旨の表示が出たので、いったんあきらめました。しかし、新規に作成したことにして「要約」欄に英語版からの翻訳である旨を記述して継承関係を明らかにすれば問題ないかと思い、公開した上で各国語版リンクを編集して結びつけるという形をとりました。今回のスペイン語版から英語版への翻訳も同じ形で実行しました。

個人的な課題としては、画像をどうやって入れるのかというのと、カテゴリの設定をどうすればいいのかがまだわかっていないので、調べておきたいと思います。

また、上記の方法での公開に問題がある、あるいはもっといい方法があるという場合は、ご教示いただければ幸いです。

Amazon.co.jp: イタリアン・グラフィティ: ミュージック

(上の動画はProvided to YouTube by Universal Music Groupとあり権利者が公開しているものだと思います。)

NHKサラメシの終了を惜しみ弁当を作る

気がつけば2月も半ば。テレビ局(我が家にとっては主にNHK)の人事異動や番組改編の話題が目に入ってくる季節になりました。

そんな折、衝撃のニュースが。NHKが「中井貴一のサラメシ」をこの3月で終了させるというのです。14年間放送してきたとのこと。「区切りをつけ」たいという幹部の発言とともに先日報道されました。あの軽妙なナレーションが番組の大きな魅力になっている面もあるので、もし中井貴一がもうやめたいと言ったなら区切りをつけるのもわかりますが、「サラリーマンの昼飯」を思わせるタイトルでありながら、農家も職人も町工場も海外で働く自由業の人も登場して、それぞれの昼飯を通して人生観まで見えてくる希有な番組で、いつまでも続けてもらいたかった。素材はまだまだ尽きないでしょう。本当に惜しいです。そして、自分も昼食に出かけて戻るときにサラメシの取材を受けるようなサラリーマン生活を送ってみたかったな、ともちょっと思いました。

でも、手放しで褒める人ばかりではなく「自営業者なんかで賄いを作る人として出てくるのはたいてい妻。見てるとつらくなる」といった意見もあり、たしかにそういう見方はできたかもしれないと思わされました。近年はそういう固定した役割分担の人が登場する回はそんなに多くなかったんじゃないかと思いますが。

さて、我が家も実は弁当を作るのは妻の役割として固定されています。なお、弁当を持って出かけるのは子供と妻本人(時々)です。で、妻が泊まりで出かける日があったので、以前見たサラメシに触発されたのもあり、生涯初めての弁当作りに挑戦してみました。高校生の息子の弁当です。その記録を残しておこうと思います。

慣れない朝食と弁当作りの両方を朝の短時間にこなすのは難しいので、前の晩に可能な限り下ごしらえをしておきます。メニューはレシピサイトを見て、次のように決めました。

    • 朝食
      • 焼き豚
      • 茹でたもやし
      • デザートのりんご
    • 弁当

加熱には電子レンジを極力使って省力化。前日に鮭を味噌・みりん・酒・砂糖を混ぜたタレに漬け込み、小松菜を食べやすい大きさに切り、にんじんは細切りにしてタッパーに入れて冷蔵庫に置いておきます。そして炊飯器のタイマーをセットしてから就寝。

当日は朝6時に起床。この時季はまだ日の出前で真っ暗ですが、がんばって起きなきゃと思っていたら、緊張していたのか、数分前に目が覚めました。ゴミを出して手を洗い、弁当作り開始です。

まず、鮭と野菜を冷蔵庫から取り出し、鮭の味噌を菜箸で軽く落としてからグリルに並べて焼きます。これは時間を見ていればいいだけなので簡単。しかし味噌の落とし方が不十分だったため、かなり焦げが発生してしまいました。

鶏もも肉の唐揚げ風は電子レンジで加熱します。調味料をしみこませる工程があるので、先に取りかかります。一口大に切ってポリ袋に入れて醤油・にんにく・しょうが・塩をもみ込んで5分おき、さらに片栗粉をまぶしてサラダ油を加えてもみ込みます。なお、にんにくと生姜はチューブ入りのものを使う前提です。これを耐熱皿にクッキングシートを敷いて並べ、ラップをせずに加熱します。加熱時間は、あるレシピサイトによると600Wでまず5分、裏返してさらに5分とのことでした。

やってみると、ラップをしないのでレンジ内部で脂のはねがすごかった。クッキングシートにも大量に染み込み、シートの紙が肉にくっついて剥がすのに手間取ります。また、裏返してからの加熱は5分も必要ではなく、3分で十分に熱が通った感じでした。

小松菜とにんじんも電子レンジで。レシピサイトによるとめんつゆ・ごま油・すりごまを混ぜて耐熱容器に入れ、600Wで3分加熱という作り方です。めんつゆは市販の既製品を買ってあるわけではなく、出汁に醤油とみりんで味付けをした自家製の作り置きが冷蔵庫にあるのでそれを使います。しかしこれは醤油とみりんを使ったほうが味が濃くなってよかったかも。

これらを弁当箱に詰め、余った空間にミニトマトを入れればいいという算段でしたが、今一つうまく収まらず、かなりの隙間ができてしまいました。

二段式の弁当箱のもう一段にはご飯を詰めてふりかけをかけておきます。これで弁当はなんとか完成。この時点ですでに7時過ぎ。鶏肉に貼り付いたクッキングシートを取るのに手間取ったり、にんにくチューブがなかったのですりおろしたりした結果、予想以上に時間がかかってしまいました。

完成した二段重ねの弁当の写真。右がご飯、左がおかず

完成した二段重ねの弁当

それから焼き豚をフライパンで焼き、もやしを電子レンジで加熱してかつお節をかけ、りんごの皮をむき、パンと餅(子供が食べやすいと言うので朝食はいつもこれ)を焼いて、朝食もなんとか格好が付きました。子供が朝食を食べる時間を確保したうえで登校時間にも間に合いました。

自分の昼食もほぼ同じものを食べて味を確認してみました。鶏肉と鮭はまあまあでしたが、野菜は味が薄すぎてちょっとかわいそうだったかな。でも帰ってから「おいしかったよ」と言われたのでよしとします。

弁当作りと朝食が終わっても、洗濯と掃除という家事が残っています。電子レンジの内部を拭き掃除するという予想外の作業も加わったし。自宅で仕事をしているのでなんとかなりましたが、これに出社が加わったら無理でしたね。妻はこれを毎日こなしているわけで、頭が下がります。

今にして思えば、子供には昼食代を持たせて購買部で買ってもらうという選択肢もあったし、いきなり他人の弁当作りに挑戦するんじゃなくて自分のを試しに作ってみてからの方がよかったかなという気もします。しかしこれで(今風に言えば)弁当作りの実績解除。生活の楽しみがまた一つ増えたかも、と思うことにします。

新装版 主婦の友 365日きょうのおかず大百科

あれから30年(SMAPがついに…)

中居正広が芸能活動からの引退を発表。SMAPが売れない時代を経て国民的アイドルに上り詰め、権力者のわがままで解散……という一部始終を目撃したのち、エンドロールのあとのエピローグとして再結成の可能性を絶たれるところまで見届けたことになります。数年後にNetflixでドラマになりますよね。

SMAPがまだ売れてなかった頃、土曜の午後に12チャンネルでやっていた歌番組で中居くんと木村くんが一緒に司会しているのを見た記憶があります。確認しようとしてWikipediaの「ヤンヤン歌うスタジオ」の項を見たら、中居・木村が司会を担当していたなんて一言も書いてない。東京サマーランドから中継した回とか見たような記憶があるけど……思い違いかも。水泳大会のときだけとか、一つのコーナーだけだったのかな? あるいは別人と混同しているんでしょうか。(※追記:テレビ朝日の番組だという指摘をThreadsで頂きました)

SMAPがアイドルとして売れた頃は、ロッキンオン社の雑誌Cutで木村くんが来日したエアロスミスとフォトセッションした号なんかが記憶に残っています。当時、有線放送を自室に引いていて、どこかのチャンネルでSMAPが特集されてその音楽性を高く評価されていたこともありました。バックを務めたアメリカの一流ミュージシャンたちの演奏がSmappies名義のアルバムとして出ました。それは2枚出て、どちらも買いました。

SMAPのCDは当時は買ってなかったのですが、数年前に思い立ち、3枚だけ持っています。

今日はSMAP 007 Gold Singerを引っ張り出して聴いてみました。1995年7月発売なのでちょうど30年前の作品。
パッケージデザインは故信藤三雄。90年代の空気そのものでかっこいい。バックの演奏もやっぱりかっこいい。
KANSHAして」では「セクハラ上司を笑顔でかわし」なんて歌ってたんですね。今にして思えば皮肉。中居くんも当時は自分がセクハラ上司側に回るとは思ってなかっただろうな。ドラムがヴィニー・カリウタ。
「ルーズなMorning」「切なさが痛い」のアルトサックスソロはスパイロジャイラのジェイ・ベッケンスタイン。
「しようよ」のテナーサックスソロは今は亡きボブ・バーグ。
ブックレットで最初に現れるメンバーは若き中居正広

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ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ

SMAP 007

サンデーといえばサイレンスだったのに

山下達郎のサンデーソングブック聴きました。

問題のコメントは、直後からネットに全文の書き起こしが上がっていますね。

anond.hatelabo.jp

いろいろ意外だった点がありました。

まず、松尾潔さんに対して少しは慇懃な敬意を見せるかと思いきや、もう全然会ってなくて年に数通のメールだけ、向こうがスマイルカンパニーに顧問料を払うという関係、と完全に切って捨てました。松尾氏のやり方がよほど腹に据えかねたんですね。

なかでも逆鱗に触れたのはたぶん、日刊ゲンダイに載った文章の締めくくりだったんじゃないでしょうか。達郎が作詞作曲したOPRESSION BLUESの歌詞を引用していました。最新作に収録した反戦の歌ですが、この文脈で使われるということは、「身近にいる被害者を守る姿勢を見せることもせず、弾圧だの銃声だの遠いところに関してきれいごとを訴えるだけでいいんですか」と啖呵を切られたのと同じですからね。「最高の先輩」とかさんざん持ち上げておいて最後にこれ。激怒したとしてもおかしくない。

もう一つは、ジャニー喜多川への変わらぬ敬意を表明したこと。小杉理宇造氏について名前を直接出さなかったのは予想通りでしたが、ジャニーズとの関係は同氏を媒介とするビジネスと割り切っているのかと勝手に思っていました。全然そうじゃなかった。つまり、義理や人情は小杉氏だけに向けられたのではなかった。ジャニー喜多川も含んだ人間関係が構築されていたのだと知りました。

BRUTUS山下達郎特集号が手元に2冊あるのでパラパラ見てみましたが、音楽人としてのジャニー喜多川を評価したような記述は見つけられませんでした。だから音楽を通した結びつきもあるとは認識していなかったのです。かつてサンデーソングブックで初代ジャニーズを高く評価して曲をかけたことがあるという情報は今回Twitterで知りました。

BRUTUSは2018年と2022年に達郎を特集

BRUTUS誌上で印象的だったのは、楽曲提供した近藤真彦についてのエピソードです。筒美京平が手がけた後に回ってきた仕事で、ナンバーワンを取らなきゃいけないというプレッシャーもある。そんな中で闘争本能を燃やした。近藤がそれまでに発表した曲のすべてを聴き込んで、音階が上がっていく発声は弱いが逆に下がっていく順次進行は安定度が高いという特徴をつかみ、メロディーを工夫したとか。ポップ職人の面目躍如です。そういう制約がある環境でベストを尽くすのが達郎は好きなんですよね。

ジャニーズのグループというと、人数はたくさんいるのに歌はだいたいユニゾンで、コーラスグループ愛好家の達郎の指向とは相容れないのかと思っていました。勝手な思いこみだったようです。考えてみれば、達郎と関係の深い KinKi Kids や少年隊なんかはハモっているわけですし。

小杉家・山下家・藤島家の結びつきは本当に強かった。

今回の騒動で音楽業界からは、松尾氏のやり方は恩を仇で返す行為だといった声も聞こえます。周辺の関係者で快く思っていない人はかなりいそうです。一方、達郎のコメントのほうも、書いた文章を読み上げたにしては表面上の礼すら欠く稚拙なものに見えて、そのことには長年のファンとしてがっかりしました。ネット世論では松尾氏の圧勝でしょう。この先どう動くのか、外野として注目しています。

新旧のサクセスストーリー、松尾潔と山下達郎

松尾潔氏がスマイルカンパニーとの契約を解除されたと明かしてから、ネット界では山下達郎が「こだわりの強いポップミュージックの職人」から「性犯罪者を擁護する悪人」へと一気に変わった感があります。

ラジオでのしゃべりを書き起こしたテキストなんかあんなに人気だったのに。

そういえば昔々、まだブログが普及する前のこと、僕はHTMLを手打ちしたファイルで個人テキストサイトをやっていまして、達郎の音楽のすばらしさを全世界に向けて発信(笑)していたことがあります。英語版も作って、唯一ブラジルから反応がありました。「同意します! 達郎は最高です!」と。えーあなたの国のジョアン・ジルベルトとかカエターノ・ヴェローゾのほうがいいんじゃないのと思ったものですが。柳ジョージも好きだと言っていました。その後交流は途絶えてしまったのですが、シティポップの流行で達郎が脚光を浴びていることについて感想を聞いてみたかった。

今回火をつけた松尾氏は、僕と同学年(早生まれなので暦年では1つ下)。大学生のころから黒人音楽の専門誌でライターとしてよく名前を見かけていましたが、気づいたら音楽を制作する側にまわっていて、作詞作曲もしてレコード大賞を受賞するような大立者になっていました。

徒手空拳からここまで上り詰めるのはそうそうお目にかかれないサクセスストーリーです。そして今回の騒動は、さらに一段階上のサクセスをつかむ重要局面になりそうで、外野からわくわくしながら眺めています。

日刊ゲンダイに載った文章に現れているように緻密な計算をめぐらせることができ、熱意と行動力も併せ持ち、狙ったことを着実に実現させてきた人という印象です。人の心をつかむのも上手そう。ビジネスマンとして最強の部類に入るでしょう。

www.nikkan-gendai.com

今回も、エンターテインメント業界が世界的に人権も大事にする方向に地殻変動を始めていることをしっかりつかみ、その流れに乗ろうとしているのだと思います。それによって業界に属している人が余計な心配をせずのびのび働けるようになり、良質な作品を持続的に生むことができる環境ができるなら、悪いことはなにもありません。持ち金全部を松尾さんにベットしたい。

しかし、スマイルカンパニーはその方向に動こうとはしなかった。

音楽評論家/プロデューサーの高橋健太郎氏は(スマイルカンパニー上層部は)「本件で松尾がインフルエンサーになる、ゲームチェンジャーになることに不快だった。許さなかった」と表現していました。論理的には松尾氏の示した方向性が正解に違いないのに、同社上層部の感情がそうさせなかったのでしょう。

スマイルカンパニーの会議で社長(小杉ジュニア)が「小杉家と山下家と藤島家は義理人情でつながっている」と発言したという話が漏れ伝わっていますが、唐突に「家」が出てきたのに違和感あるいは嫌悪感を覚えた人も多かったようです。小杉理宇造氏と達郎の個人的な信頼関係はともかく、なぜ家?と。そのことを考えていて思い至ったのが、松尾氏からの「提言」は宮廷革命を小杉ジュニアに対して勧誘するものだった可能性です。少なくとも親世代のスマイルカンパニー上層部はそう感じた。小杉ジュニアはその誘いに乗らなかったけれど、松尾氏への共感もある程度示したため、上層部はまだ実権を渡すつもりはないという意思表示として、釘を刺す意味で「家」という表現を使わせた、というのが僕の推測です。

小杉理宇造氏と達郎の結びつきについては、達郎自身がリマスター盤のライナーノートに書いた文章などで明らかにしています。

バンドの解散による精神的ダメージと、シュガー・ベイブで目指した1960年代テイストやレコード・マニア的趣味性が当時の日本の音楽状況にまったく受け入れられなかったことへの挫折感とで、私は自分がこの先どうすればいいのか皆目わからなくなっていました。

そこで第三者にプロデュースとアレンジを任せて自分の力量を客観的に判断してもらおうと考え、海外でレコーディングを行うことをソロ契約の条件として設定したということです(ただし小杉氏の回想は少し違っていて、他社にほぼ決まっていたのをRVCが海外録音という条件をのんでさらった)。しかし新人には見合わない予算が必要。

妄想にもとづいて何人かのアレンジャーとミュージシャンを想定し、当時ソロ・シンガーとして契約したいと声をかけて来たレコード会社数社に諮ったところ、当然ながらどの会社も一様に難色を示しました。(中略)

そんな中でひとりだけ、RVC(現BMG)の若いディレクターが手を上げてくれました。

引用はソロデビューアルバムCIRCUS TOWNのライナーノートから

これが小杉理宇造氏。滞米経験と英語力を生かしてニューヨークとロサンジェルスでの録音の話をまとめ、達郎の歌手としての活動の基盤をつくったのです。盟友であり恩人なのでしょう。この当時の達郎の心境を思うとグッときます。これもまた松尾氏とは違いますが徒手空拳からのサクセスストーリーで、それを支えたのが小杉氏なのです。それ以来の堅い絆があるから、小杉氏が独立してレコード会社をつくったときも達郎は行動をともにした。絆がなによりも優先するという判断は、ヤクザの論理だと言われればその通りですが、理解はできます。

よくわからないのは、小杉氏がなぜそこまで藤島家に忠誠を誓う必要があるのかという点です。悪名高い近藤真彦中森明菜の金屏風会見の背後にも小杉氏がいたというのは知られた話だったようですが、僕は今回初めて知りました。かつてグループサウンズにいて、ミュージシャンの待遇改善に動いたことがあるということも。初めは高い理想に燃えていた人が闇堕ちしてダークな実力者と一体化するなんてドラマティックな話が現実にあるんですね。

山下達郎は明日のサンデーソングブックでコメントを発表するそうです。小杉氏の謎に包まれた部分についてなにか言ってくれないかなあ。無理だと思いますが。

広末涼子も高知の女だったか

4月に朝ドラらんまんにかこつけて広末涼子愛を語って2か月。いやそんなに語ってないか。その記事をリンクした先のFacebookで友人たちとそういう話になりました。その頃には想像もしていなかった事態にびっくり。

ところで、メディアでは広末の名字を発音するとき、「ろ」が一番高くなる抑揚をつけるのが標準的ですが、地元高知では基本的に平板アクセントで発音されていると思います。「底冷え」とかと共通。

さて、今回のスキャンダルが明るみに出た際、「西原理恵子と同郷だし、あんなにかわいくなければ今頃は子供連れてパチンコ打ってる人生」というようなツイートを見かけました。

それは違う。たぶん。

実家は高知の城下で一番栄えている(あるいは栄えていたと過去形にすべきか)区域で商売をやっていて、庶民の中でも格上。漁師町育ちの西原とは環境が違う。お母さんは県外から連れてきた(おそらくは)美人だし。

だから自分たちの代表という感じではなくて、まあ何というか、王室のはねっかえりの姫が馬術でオリンピックに出場しているのを少し誇らしく思いつつ応援するみたいな感覚で、ちょっとイタい言動も含めて支持していました。少なくとも僕は。この感覚が高知でどれだけ共有されているのかわかりませんが。

その気持ちは今回のことがあっても別に変わりません。

しかし、離婚歴があって自分で稼いでいる女性で気の強さも持ち合わせている。これこそまさに高知の女性、はちきんのあり方そのものではないですか。客観的に見ると西原との違いがわからないのは当然。

ちなみに、高知出身ではない我が妻に言わせると、「高知の女性は全員はちきん。例外はない」とのことです。いや例外あるろうと思いますが妻は少なくとも会ったことがない。

そういえば広末がこれまでつきあったとされる男性の中で、つきあう前には知る人ぞ知る存在だったのが、一般の人にも注目される存在への上昇を果たした人はけっこう多いんじゃないでしょうか。一昔前ならあげまんと呼んだのだろうと思いますが、最近はその言葉をあまり聞かなくなったかな。そんなに品のいい言葉じゃないのでそれはよかったと思いますが、そういうところもちょっと誇らしい気持ちになる要因だったかも。

少し前に出版された広末の著書が、今や「不倫デスノート」なんて呼ばれているそうです。僕はいち早く買って手元に置いているのですが、読んでいて気恥ずかしく感じる部分もあり、なかなか読み進められないでいたらこんなことに。そしてもっと恥ずかしい直筆の手紙まで公開されて。それは読む気になれないどころではなく、頭に来て個人的に文春不買運動を展開中です。

カバーの箔押し、やや横長の判型など造本も凝っている

広末にとっては今までになかった逆風で、今後の展開は予断を許しませんが、上にも書いたとおり、広末を応援する気持ちはいささかも揺らぐことはありません。これからの彼女の人生に幸多かれと祈ります。我々はずっと味方です!

4日連続で走ると……疲れます

このところすっかりランニングからは遠ざかっていて、3月に走ったのは3回、4月はゼロ、5月は2回といった具合でした。

それが、6月に入ってからもう4回も走っています。それも、6日から4日連続で。

というのは、国連UNHCR協会が主催する「WOMEN+BEYOND私たちから、世界を変えよう」というイベントに参加しているからです。昨年もやっていたそうですが気づいてなかった。今年は、バングラデシュでの避難生活が6年目を迎えたロヒンギャ難民の自立支援がテーマだそうです。ミャンマーからバングラデシュの難民キャンプまでの距離をともに体験することを通じて、支援を行うというものです。

https://www.japanforunhcr.org/appeal/women-beyond

6月6日から20日までの間に、50kmという距離をランニングまたはウォーキングで踏破します。1000円、3000円、5000円という寄付つきエントリーのほかに、無料エントリーもできます。Runtripというランニング支援アプリ/サービスを通じてエントリーして計測、所定の距離を累積で踏破すれば完走賞/完歩賞がもらえます。

無料エントリーなら金銭的には支援になりませんが、それでも参加することに意義があるのは、参加人数が多くなればなるほど、こうした現実があることを世間に広く知らせる力になるからですね。

ゴールが設定されている6月20日花田裕之さんの誕生日……というだけではなくて世界難民の日。そこを目標にするので、日本では梅雨時という条件のよくない季節に実施するのですね。

さて、15日間に50kmということは、平均して1日あたり3.3km走ることになります。しかし、雨で走れない日もあるでしょう。1日あたり5kmを10回走るとすれば、期間中に5日休んでも大丈夫という計算が成り立ちます。

と考えて初日から5kmランを始めたのですが……初日はRuntripアプリを使わないで走ってしまい、5.6kmがカウントされない痛恨のミス。

気を取り直して翌日から3日連続して走りアプリを使って計測、昨日までで17.39kmを記録しています。少々の雨でも、翌日にもっと降るかもしれないから少しでも距離を稼いで、大雨のときに休めばいいという考えでわりとがんばって今のところ4日連続で走っています。

Runtripに投稿するとたくさんの人から声援を受けます

それにしても、ひところは5kmつまり皇居一周に相当する距離なんて別になんてことない距離だと思っていましたが、しばらく体を動かさないでいるうちにそれもきつく感じるようになっていました。

しかも4日連続というのは本当に久しぶりなので、相当無理をしているように感じます。

走り始めの段階で、腰骨にひずみがあるに違いないと思わせるような違和感があったり。

足の親指の爪の内側が内出血していたり。ユニクロで買ったスポーツソックスを履いていると、たぶん隣の指が当たる衝撃がそのまま爪のところにきているのでしょう。タビオの5本指ソックスを買い直さなければ。

まだ筋肉痛が出ていないのはむしろ怖いところですが、この調子でいけばなんとか20日までには50km走破は達成できそうです。

これを読んで興味を持った方、エントリーは19日まで可能なので、今からでも参加しましょう!