城山(206m)
2024年4月23日(火) 小雨
朝から小雨の降るイマイチの天気だが、訪れたい店があって旧宮崎村(越前町)へ。
開店まで少し時間があるので、すぐ近くのこの山へ。
城山(じょうざん)
旧宮崎村の広野と樫津の間に跨る低山で、北条時宗が山城を築いたという伝承から城山(じょうざん)と呼ばれるようになったとされる。
また”じょうざん”がいつしか上山(じょうざん)に転訛し、地元では上山(うえやま)とも呼ばれる。
鯖江から石生谷トンネルを越えて、R365沿いのおもいでなfarmに到着(10:02)
樫津児童公園が隣接しており、ここの駐車場に停めさせてもらう。
小さいながらもトイレ(水洗式)も完備されている。
準備を済ませ、空身でハイク開始(10:08)
かつてこの一帯は大きな湖沼があったとされ、
中山間地であるにもかかわらず、樫津(かしづ)、江波(えなみ)、舟場(ふなば)といった水運に関する地名が残っている。
R365・県道104分岐の樫津東交差点手前のここを左へ。
竹という喫茶店があったが、もうやっていないようだ。
竹さんとは所縁はなさそうだ(笑)
城山(上山)山上には観音堂があり、この道が参道のようだ。
シャガ(射干)
アヤメ科アヤメ属の多年草。
ウマノアシガタ(馬の足形)
キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草。別名キンポウゲ。
ムスカリ
キジカクシ科ツルボ亜科ヒアシンス連ムスカリ属の帰化園芸種。花がブドウの実のように見えることから、ブドウヒアシンスという別名も。
ニガイチゴ(苦苺)
バラ科キイチゴ属の落葉低木で、別名ゴガツイチゴ(五月苺)
アリウム・トリケトラム(Amaryllidaceae)
ヒガンバナ科ネギ亜科アリウム属の多年草で、ヨーロッパやアフリカが原産地。食用可で三角形の花茎を持つことから、別名ミツカドネギ(三角葱)とも呼ばれる。
ただし有毒なスイセンやヒガンバナと誤食する恐れがあるので、花期以外は危険。またペットが食べると生死にかかわるのでご注意を。
タチツボスミレ(立坪菫)
スミレ科スミレ属の多年草。
旧宮崎村は県内有数のタケノコの産地で、竹林が多い。
路肩で折られていた、まだ新鮮なタケノコ。
人間? それともイノシシくん?
イノシシたちも今が旬だと分かっているはず。
イノシシ用の箱罠もあったので、やはり出没するようだ。
火薬銃やクマ鈴は持ってきていないので、ばったり出くわさなければいいのだが…
10:21 子安観音(城山)登山口(標高約140m)
駐車場から13分。石碑(子安観世音)の脇には、六(体)地蔵が祀られている。
日光地蔵(天道)、宝珠地蔵(餓鬼道)、持地地蔵(じちじぞう)(修羅道)
除蓋障地蔵(じょがいしょうじぞう)(人間道)、宝印地蔵(畜生道)、壇陀地蔵(だんだじぞう)(地獄道)
六地蔵は、死後に行くとされる六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の苦しみから解放してくれるとされる。健啖家の私の場合、来世は餓鬼道かな?(笑)
イノシシ除けの高圧電線を跨いで参道へ。
序盤は道幅が狭く、すぐ左側に電線があるので触れないように注意。
もっとも触れてもチョッと痛いぐらいですが(笑)
竹林の斜面を登っていく。
登山道上にも時折タケノコが出ている。
千手観音
持物は右に錫杖(しゃくじょう)、左に宝戟(ほうげき)で、印相は合掌印。六道の餓鬼道を摂化(せっけ)するとされる。
参道には西国三十三カ所巡礼に因んで、33体の石仏があるそうだ。
聖観音(しょうかんのん)
持物は左手に蓮華(れんげ)で、印相は施無畏印(せむいん) 六道の地獄道を化益(けやく)するとされる。
道幅の広い参道に合流(10:27)
参道は下にも続いており、別の場所からも登られるようだ。
石仏が並ぶ階段を緩やかに登っていく。
石仏には開花したミツカドネギ(三角葱)が供えられており、地元の方が参拝されているようだ。
まだ小雨が降っているようだが、樹間なのでほとんど気にならない。
田中又左ェ門之碑
説明碑文によると、地元の有力者だった田中又左ェ門が、
京都の某寺の子安観音を譲り受け、大正13(1924)年に私財を投じて山上に観音堂を建立し安置。昭和6(1931)年に58歳で死去するまで自ら堂守りを行ない、その業績を顕彰して石碑が建てられた。
顕彰碑を過ぎてしばらく進むと、再び石段となる。
凝灰岩で、この一帯ではかつては多く産出されていた。
石段を登り切ると、防空壕のような祠。
昼夜籠って祈願する参籠堂(さんろうどう)で、不動明王が祀られている。
10:35 城山(上山)山頂(標高約206m)
タイムは11分で、麓からは27分。予想通り、誰もいなかった。
観音堂
今年で建立100年。
石造の祠もあったが由縁は不明。
大正期とはいえ、しっかり山上を整地された苦労が偲ばれる。
凝灰岩の大岩で造られた忠魂之碑。
風化具合を考えると、日露戦争の戦没者供養なのかも。合掌。
大きな梵鐘もあった。
銘によると個人の寄進で、昭和55(1980)年4月に鋳造。鳴らしたい衝動に駆られるも、獣を召喚しかねないので自粛(笑)
境内の春もみじ。
広葉樹が新緑になる前に、葉が本来持つ赤や黄色の色素が現れて紅葉したように見える現象を指す。このあと本格的な光合成により緑になり、秋に葉緑素を失って再び赤く色付く。
山頂からは南東方向のみ眺望が開けている。
眼下に見える宮崎中学校の校歌(2番)では、この城山が歌われている。
♪城山の風天王の水 歴史は永き古文化の郷~
開店時刻が近づいてきたのでそろそろ降りよう(10:41)
登りの際は気付かなかったが、広野側に林道が見える。
軽快に下っていくと、分岐点を通り過ぎてしまい、石階段へ。
どうやら先ほどの道路に合流するようなのでそのまま進む。なお石段は濡れていると滑りやすいので注意。1回コケました(笑)
10:49 子安観音参道入口(標高約145m)
下りは8分。
降りた地点は六地蔵のすぐ先だった。
ムラサキマムシグサ(紫蝮草)
サトイモ科テンナンショウ属の多年草。有毒植物。
コバノガマズミ(小葉の莢蒾)
スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木。
結局誰とも出会わなかった。
11:00 おもいでなfarm(標高約88m)
うわ~ 結構停まっているぞ! 急がないと…
☆今日歩いたコース☆ (クリックすると拡大します)
やっぱり、山っていいね!
樫津城山(206m)
累積標高差116m
登り 27分、下り 19分、TOTAL 52分
出会った人 なし 出会った動物 なし
2024年:12座目
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朝から小雨の降るイマイチの天気だが、訪れたい店があって旧宮崎村(越前町)へ。
開店まで少し時間があるので、すぐ近くのこの山へ。
城山(じょうざん)
旧宮崎村の広野と樫津の間に跨る低山で、北条時宗が山城を築いたという伝承から城山(じょうざん)と呼ばれるようになったとされる。
また”じょうざん”がいつしか上山(じょうざん)に転訛し、地元では上山(うえやま)とも呼ばれる。
鯖江から石生谷トンネルを越えて、R365沿いのおもいでなfarmに到着(10:02)
樫津児童公園が隣接しており、ここの駐車場に停めさせてもらう。
小さいながらもトイレ(水洗式)も完備されている。
準備を済ませ、空身でハイク開始(10:08)
かつてこの一帯は大きな湖沼があったとされ、
中山間地であるにもかかわらず、樫津(かしづ)、江波(えなみ)、舟場(ふなば)といった水運に関する地名が残っている。
R365・県道104分岐の樫津東交差点手前のここを左へ。
竹という喫茶店があったが、もうやっていないようだ。
竹さんとは所縁はなさそうだ(笑)
城山(上山)山上には観音堂があり、この道が参道のようだ。
シャガ(射干)
アヤメ科アヤメ属の多年草。
ウマノアシガタ(馬の足形)
キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草。別名キンポウゲ。
ムスカリ
キジカクシ科ツルボ亜科ヒアシンス連ムスカリ属の帰化園芸種。花がブドウの実のように見えることから、ブドウヒアシンスという別名も。
ニガイチゴ(苦苺)
バラ科キイチゴ属の落葉低木で、別名ゴガツイチゴ(五月苺)
アリウム・トリケトラム(Amaryllidaceae)
ヒガンバナ科ネギ亜科アリウム属の多年草で、ヨーロッパやアフリカが原産地。食用可で三角形の花茎を持つことから、別名ミツカドネギ(三角葱)とも呼ばれる。
ただし有毒なスイセンやヒガンバナと誤食する恐れがあるので、花期以外は危険。またペットが食べると生死にかかわるのでご注意を。
タチツボスミレ(立坪菫)
スミレ科スミレ属の多年草。
旧宮崎村は県内有数のタケノコの産地で、竹林が多い。
路肩で折られていた、まだ新鮮なタケノコ。
人間? それともイノシシくん?
イノシシたちも今が旬だと分かっているはず。
イノシシ用の箱罠もあったので、やはり出没するようだ。
火薬銃やクマ鈴は持ってきていないので、ばったり出くわさなければいいのだが…
10:21 子安観音(城山)登山口(標高約140m)
駐車場から13分。石碑(子安観世音)の脇には、六(体)地蔵が祀られている。
日光地蔵(天道)、宝珠地蔵(餓鬼道)、持地地蔵(じちじぞう)(修羅道)
除蓋障地蔵(じょがいしょうじぞう)(人間道)、宝印地蔵(畜生道)、壇陀地蔵(だんだじぞう)(地獄道)
六地蔵は、死後に行くとされる六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の苦しみから解放してくれるとされる。健啖家の私の場合、来世は餓鬼道かな?(笑)
イノシシ除けの高圧電線を跨いで参道へ。
序盤は道幅が狭く、すぐ左側に電線があるので触れないように注意。
もっとも触れてもチョッと痛いぐらいですが(笑)
竹林の斜面を登っていく。
登山道上にも時折タケノコが出ている。
千手観音
持物は右に錫杖(しゃくじょう)、左に宝戟(ほうげき)で、印相は合掌印。六道の餓鬼道を摂化(せっけ)するとされる。
参道には西国三十三カ所巡礼に因んで、33体の石仏があるそうだ。
聖観音(しょうかんのん)
持物は左手に蓮華(れんげ)で、印相は施無畏印(せむいん) 六道の地獄道を化益(けやく)するとされる。
道幅の広い参道に合流(10:27)
参道は下にも続いており、別の場所からも登られるようだ。
石仏が並ぶ階段を緩やかに登っていく。
石仏には開花したミツカドネギ(三角葱)が供えられており、地元の方が参拝されているようだ。
まだ小雨が降っているようだが、樹間なのでほとんど気にならない。
田中又左ェ門之碑
説明碑文によると、地元の有力者だった田中又左ェ門が、
京都の某寺の子安観音を譲り受け、大正13(1924)年に私財を投じて山上に観音堂を建立し安置。昭和6(1931)年に58歳で死去するまで自ら堂守りを行ない、その業績を顕彰して石碑が建てられた。
顕彰碑を過ぎてしばらく進むと、再び石段となる。
凝灰岩で、この一帯ではかつては多く産出されていた。
石段を登り切ると、防空壕のような祠。
昼夜籠って祈願する参籠堂(さんろうどう)で、不動明王が祀られている。
10:35 城山(上山)山頂(標高約206m)
タイムは11分で、麓からは27分。予想通り、誰もいなかった。
観音堂
今年で建立100年。
石造の祠もあったが由縁は不明。
大正期とはいえ、しっかり山上を整地された苦労が偲ばれる。
凝灰岩の大岩で造られた忠魂之碑。
風化具合を考えると、日露戦争の戦没者供養なのかも。合掌。
大きな梵鐘もあった。
銘によると個人の寄進で、昭和55(1980)年4月に鋳造。鳴らしたい衝動に駆られるも、獣を召喚しかねないので自粛(笑)
境内の春もみじ。
広葉樹が新緑になる前に、葉が本来持つ赤や黄色の色素が現れて紅葉したように見える現象を指す。このあと本格的な光合成により緑になり、秋に葉緑素を失って再び赤く色付く。
山頂からは南東方向のみ眺望が開けている。
眼下に見える宮崎中学校の校歌(2番)では、この城山が歌われている。
♪城山の風天王の水 歴史は永き古文化の郷~
開店時刻が近づいてきたのでそろそろ降りよう(10:41)
登りの際は気付かなかったが、広野側に林道が見える。
軽快に下っていくと、分岐点を通り過ぎてしまい、石階段へ。
どうやら先ほどの道路に合流するようなのでそのまま進む。なお石段は濡れていると滑りやすいので注意。1回コケました(笑)
10:49 子安観音参道入口(標高約145m)
下りは8分。
降りた地点は六地蔵のすぐ先だった。
ムラサキマムシグサ(紫蝮草)
サトイモ科テンナンショウ属の多年草。有毒植物。
コバノガマズミ(小葉の莢蒾)
スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木。
結局誰とも出会わなかった。
11:00 おもいでなfarm(標高約88m)
うわ~ 結構停まっているぞ! 急がないと…
☆今日歩いたコース☆ (クリックすると拡大します)
やっぱり、山っていいね!
樫津城山(206m)
累積標高差116m
登り 27分、下り 19分、TOTAL 52分
出会った人 なし 出会った動物 なし
2024年:12座目
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