ツーリング日和25(第29話)試練は突然訪れる

 スッキリして戻ってきたら、衝撃の光景が目に飛び込んで来た。あいつは誰なんだ。女が親し気にコータローと話してるじゃないか。なんだよ、なんだよ、この展開。千草と言う妻がいるのに白昼堂々ナンパかよ。

 それもだぞ、トイレに行って帰って来る間に手を出すとは信じられないよ。殺意がメラメラと湧いてきて女を睨みつけたのだけど、

「飛野さん。お久しぶりです」

 どうして千草の苗字を知っているんだ。それにだぞ、千草の友だちに苗字で呼ぶやつなんいないはず。ちょっと待て、この顔にはどこかで見覚えがあるぞ。誰だっけ、誰だっけ、う~んと、う~んと、思い出した。末次さんじゃないか。

 末次さんならそんなに親しくないと言うか、同じだったのは中学だけでクラスも一緒になったことがないから、千草を苗字呼びするのはわかった。でもだよ、

「コータローも年貢をついに納めてたとはね」

 名前呼び、しかも呼び捨てだぞ。末次さんはコータローと小学校から高校まで同じで、なおかつコータローの初恋の人。千草が知っている限り、唯一のコータローの好みのタイプだ。しかも高校の時は限りなく恋人に近かったはず。

 千草も席に着いて話に加わったのだけど、末次さんってこんなに可愛かったっけ。良く知ってるとお世辞にも言えないけど、千草が覚えてる末次さんは、ブスじゃないけど地味で大人しくて目立たない子だったもの。

 あれだろうな。高校から大学、社会人になって花開いたタイプで良い気がする。だからか。地味子から花が開いた末次さんにコータローは飛びついたのか。それにしても羨ましすぎる。だから結婚も早かったのはわかるけど、どうしてこんなところに一人で、それにそのウェアって、

「バイク女子もやっています」

 突然みたいに現れたコータローの初恋の人である末次さんの登場に動揺しまくる千草だけど、バイク女子とは意外だな。何乗ってるの。

「ダックスです」

 ああ、あれか。駐車場に停めてあったから気になってたんだ。あれも、そうは見ることがないバイクだものね。人気はあるけど、売り出されたのがモンキーよりも遅いから、台数もまだ少ないぐらいで良いはずだ。

「あれも凝ったバイクやからな」

 殆どのバイクはパイプフレームと言ってパイプで骨組みを作って、その上に外板が貼り付けてあるんだ。モンキーだってそうだ。だけどダックスはモノコックフレームと言って、外板がフレームになってるんだって。

 どこが凄いかわかりにくいのだけど、昔のダックス五〇がそうで、それを一二五CCとして復活させる時に踏襲したとかなんとか。それによるメリットは色々あるそうだけど、それ以上は千草の理解を越える。

 とにかくスタイルが個性的で、モンキーと可愛らしさで人気を二分するぐらいだとか。それと自動遠心クラッチだから小型免許のATでも乗れるのも良い点かも。千草ならクラッチ付が良いと思うけど、今から免許を取るのなら、

「小型のATの教習車ってスクーターやそうやから、技能講習は楽勝やろ」

 クラッチ付は難しいものね。走行性能はモンキーと同じカブエンジンだから同じようなものだと思うけど、

「大きさも重さも同じぐらいやけど、ダックスはタンデム出来るよな」

 そのせいかシートが長いのよね。ただなんかモンキーより長く見える気がするかな。実質は五センチぐらいしか変わらないのだけど、そう見えるデザインぐらいと思うな。唯一の欠点は、

「タンクが三・八リットルしかないので、二百キロぐらいで給油が必要になります」

 それはちょっと短いな。モンキーはツーリングなら三百キロは余裕で走れるものね。

「三・八リットル言うたら、モンキーの燃料警告灯がチカチカするぐらいや」

 あれっていっつも思うけど早すぎるんだよ。そこから百キロ以上走れるって、それってなんだと思うもの。あかん、あかん、今はダックスの事はどうでも良いんだよ。この場で最大の問題はどうして末次さんがここにいるかだ。

 どうしてこんなところに・・・いても問題ないか。バイク女子になったらツーリングはするだろうし、ツーリングの目的地が生野銀山であっても何も悪いことないものね。小型バイクでツーリングが楽しめるところって、どうしたってそれなりに限られてしまうのは学習した。

 だったらわざわざコータローに声をかけた・・・かけるよな。ツーリング先で旧友を見かけて声をかけない方が不自然だろ。ツーリング先でなくても街中で出会ってもそうすることが多いはず。

 ましてや千草はお手洗いに行ってたからコータローは一人で席にいた。もう一人いるぐらいはテーブルを見ればわかるだろうけど、それが誰かはわからない。怪しげな女連れじゃなかったら、声をかけない方が不自然だ。

 つうかさ、たとえ千草がいたって声をかけるよ。千草とコータローの関係がどうであっても、千草だって顔なじみ程度の同級生ではある。赤の他人じゃないものね。たとえばだよ、逆の立場であれば千草だって声をかけたはず。

 ここで一つわかるのは、コータローと末次さんの仲は険悪じゃないな。この二人はそれなりにでも高校の時には付き合いがあったのは事実だ。どうも高校卒業で別れたで良いはずだけど、恨みとか、気まずい思いをしてとか、喧嘩別れしてのものじゃなさそうだ。その証拠が呼び捨てで名前呼びしてる点だ。コータローだって、

「唯も元気そうでなによりや」

 末次さんの名前は唯だけど、千草が知っている限り、女友だちでさえ呼び捨ての名前呼びしてるのはいなかったはず。そこぐらいまでは付き合っていたのはわかる。だったら、だったら、この遭遇が自然で偶然かと言えば・・・そんな訳がないだろうが。

 あの末次さんがバイク女子になっている点は置いとく。さすがにこれだけの歳月が流れたからあれこれあったのだろうぐらいだ。それより何より、どうして生野銀山にバイクで現れたかなんだよ。

 だってだよ末次さんは既婚者だ。それも東京に住んでるはず。こっちに帰るとなれば実家に里帰りぐらいになるはずだけど、ダックスで東京から走って来れるものか。高速使っても遠いなんてものじゃないけど、ダックスなら下道オンリーだぞ。

 ならば実家にダックスがあったことになるけど、これはこれで不自然過ぎる。それにだぞ、実家にダックスがあったとしても、里帰りの日数なんて限られてるはずじゃないか。その中の一日を潰して生野銀山にソロツーで来るものか。

「今は神戸ですから」

 えっ、そうなのか。それって旦那の転勤に伴ってってやつとか。

「人生は色々あります」

 チョット待てい。それって、もしかして、

「今は末次唯に戻っています」

 それは色々過ぎるだろ。そりゃ、離婚なんて珍しいものじゃないけど、あの末次さんが離婚してたなんて。それならダックスで生野銀山にソロツーしたっておかしくはないけど、バイク女子になったのも、

「こちらに戻って来てからです」
「そやったんか」

 コータローも間の抜けた相槌を打つなよな。ここはもっと驚かんかい。

「それにしてもコータローと飛野さんとは少し意外でした」

 ほっとけ・・・と言いたいけどそう見るだろうな。それぐらいの自覚は余裕である。それでも条件だけは釣り合ってるからな。あくまでも見合いの釣書的なバランスだけだけどね。それ以外は言いたくない。

 それにしてもヤバいぞ。千草には今でさえ解けないと言うか、納得できない謎がある。それはどうしてコータローが千草に惚れたかの真の理由だ。もっともらしいと言うか、それなりに説得力のある話をコータローはしてくれたが、それでもなんだよ。

 とにかくわからないのがコータローの女の好みだ。誰だって好みのタイプがあるじゃないか。もちろん千草にもある。恋人を探したり、魅かれたりするのは基本的に好みのタイプを誰だって基準にする。

 けどさぁ、どれだけ聞いても出るのは末次さんだけなんだ。そりゃ、初恋の人だって言うし、男は女より初恋の人に執着するらしいから、末次さんが出て来るの自体は不自然じゃないけど、それ以外になるとことごとく、

『趣味やあらへん』

 これなんだよ。だったら末次さんと千草が似てるかと言えば似てない。共通点は同い年であるのと、女である点ぐらいしかないじゃないの。まさかと思うけど、コータローは初恋に破れてから、ずっと末次さんタイプの女を追い求め、恋に疲れた挙句に千草に喰らいついただけだったとか。

 そういう時って、追い求めたタイプとの恋が上手く行ってないから、気まぐれのように逆のタイプに魅かれることがあるってどこかで読んだことがある。それならそれで納得は出来るけど、それなら目の前にある現実はシビア過ぎるじゃない。

 だってだよ、末次さんタイプじゃなく、ご本尊の末次さん本人じゃない。それも既婚者ならあきらめも付くだろうけど、離婚してるとはなんなのよ。それも偶然とはいえ出会ったから末次さんから声をかけてるし、コータローだって嬉しそうに反応してるじゃないの。

 しかもだぞ、末次さんは今でも余裕で魅力的だ。このシチュエーションで動揺しない男がいるものか。そりゃ、コータローは千草と結婚してる。既婚者が他の女と付き合ったりしたら不倫だし、不貞行為だ。

 それがブレーキになって何も起こらないとするのは甘すぎる。いくら結婚してたって離婚はいつでも出来る。そうなんだよ、その気になればコータローは千草を捨て、末次さんのところに走って行くのだって出来ちゃうもの。

 千草はコータローを信じてるし、コータローから受け取っている愛は本物だと確信してる。でもさぁ、でもさぁ、相手が悪すぎる。選りもよって、コータローが人生最高としている初恋の人である末次さんだ。それこそ、

『オレは真実の愛を見つけてしもうたんや。千草、ゴメン』

 こんな展開にならない保証がどこにあるって言うんだよ。そうなって欲しくないし、そうならないように何とかしたい。でもどうやったら良いんだ。最後の砦は妻の座だけど、これは守るだけなら不可能じゃない。

 離婚ってね、有責側からは請求できないって聞いた事がある。つまりは浮気したから離婚してくれは、妻が同意しない限り法的には不可能のはずなんだ。でもだよ、そんなものを盾にして妻の座を守るのにどんな意味があるんだって話だ。

 千草が欲しいのは、千草を愛してくれるコータローとの夫婦生活だ。そこの愛情が枯渇し、法を盾に妻の名目だけを守るのに価値なんてあるものか。人生はそれぞれだし、結婚も離婚もある。けどさぁ、けどさぁ、この状態は千草には辛すぎる。

 千草が人生あれこれ、それこそ紆余曲折の末に、やっと、やっと掴めた幸せなんだ、コータローとの結婚は心の底から満足してるし、それこそ人生最大のご褒美と思ってる。これを守り抜くのが残された人生のすべてなんだよ。それなのに、それなのに、トイレに行ってる間にこんな事になってしまうなんて。