フロッタージュとコラージュを実践する


自主ゼミは、前回からシュルレアリスムについて考えているのでした。


今回は、参加者の1人、長名大地さんのご提案で、マックス・エルンストなどが実践していたコラージュやフロッタージュを、われわれも実際にやってみることにしました。


アンドレ・ブルトンの言うシュルレアリスムでは、人間の意識や理性の埒外に置かれてきた無意識やそれに類する人間精神の働きを、どのようにして感知するか、どのようにしてそのことを表現にもたらすか、ということに強く関心を持っていたわけです。


その代表例として、「自動記述」という技法が実践され、文章表現においては、「意識・理性中心主義」(と仮に呼びます)だけではない、無意識や非理性の働きを垣間見ることができたわけです。


では、それ以外の表現についてはどうか。例えば、絵画では無意識や非合理はどう働くのか/働かないのか。そのことを考えるだけでなく、自らコラージュやフロッタージュに取り組んでみることで、体感してみようという底意地です。


参加者が、拾ってきた木の葉や実、プラスティックの包装、丸太(!)などを持ち寄って、薄い紙の下にそれらを置いて、紙のうえからクレヨンや鉛筆でこすります(フロッタージュ)。また、新聞や雑誌から写真や絵を切り抜いて、それらを紙の上に貼り付けてゆきます(コラージュ)。


同時に、エルンスト、マン・レイをそれぞれ研究対象とする参加者から、簡単なレクチャーをしていただきました。


3時間にわたって黙々と、倦むことなく、しかも皆で大きなキルトを編む人たちのように、おしゃべりさえしながら、各人が紙の上になにかをつくりあげたのでした。


次回は、こうした体験を踏まえたうえで、また、そこでつくられたものを見ながら、この創作のなかでなにが生じていたのかということを、見直してみたいと思っています。当然そこでは、意識/無意識、理性/非理性、思考や精神の働きといったことについて、こうした言葉で写し、自明視して済ませていることについても捉え直す必要があるはずです。


⇒作品メモランダム > 2011/05/09 > シュルレアリスムについて
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110509/p2