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「山本さん、キツネは足跡をシッポで消して歩くのですぞ」とは、科学技術史家で(も)ある我が師、赤木昭夫が議論のなかでしばしば注意を促すことの一つだ。


この場合、「キツネ」とは科学者を指している。科学者たちは、研究に研究を重ね、実験に実験を重ね、考え抜いた果てに、いままで誰も気付かなかった事実を発見する。しかし、一度発見したことを発表する段になると、どうやってそこまでたどりついたのかという「足跡」は消してしまうというのだ。


もちろん足跡を消すといっても、論証や証明の過程はしっかり示す。しかし、いったいぜんたいどうやってそのような論証や証明にたどり着いたのかという肝心のことは表に出さないという次第。だから結果だけを見ると、天才的なひらめきや霊感で発見したかのように見えてしまうこともしばしばだ。


でも実際には、向こうに見えているキツネはどこかを通ってこの場所からその場所へ歩いたはず。足跡がないからといって、空を飛んだわけでもテレポーテーションしたわけでもない。さて、それはどこをどう通ってかというわけだ。これはしばしば科学史家が追跡するテーマにもなっている。


この印象深い話を何度か聴いているうちに、ことあるごとにキツネと足跡の関係を考えるようになった。そこで、今回の本を書くときにもそのことを想起した。今回のキツネはプログラマである。


完成したプログラムだけを見ると、初心者は「いったいどうやってこんなプログラムを作り上げたのか?」と取りつく島もないような気持ちになることがある。


しかし、もしもそのプログラマが、プログラムを書き進めるあいだ、その画面を動画に保存してみたらどうか。おそらくエディター上では、あっちにいったりこっちにいったり、一行書いては三行を消し、関数やオブジェクトをこしらえては作りかえ、と、思考錯誤が行われている様子が見えるはず。もちろん、江藤淳のように頭の中で文章を完成してから筆を降ろす作家のように、頭の中で見通しがばっちり立ってからキーを打つプログラマもいるだろう。しかし、私が知る多くのプログラマの流儀を見ていると、考えながら書き、書きながら考えるというスタイルが多い。


もし、このようにプログラマが「完成」に至る過程を垣間見られたら、「いったいぜんたいあのプログラムをどうやって作ったのか?」という神秘的な感じを薄めることができるのではないか。そう考えて、今回の本では遠回りも辞さず行きつ戻りつの様子を含めて書いてみたのだった。


じつは同じことが、ヴィデオ・ゲームについても当てはまる。現在作られているヴィデオ・ゲームは、相当に複雑で大規模なものが多く、外から見てもどうやって作っているのかはなかなかわからないのではないだろうか。本書では、主題ではないため細かく書くことはできなかったけれど、ヴィデオ・ゲーム開発の方法についても、踏み台にできる教科書のようなものを作ったらどうかと思ってゲーム会社で働く友人と画策をしているところ。


前回ご紹介したartonさんによる的確なコメントに続いて、『ぷよぷよ』『BAROQUE』などの作品で知られるゲーム作家で文筆家の米光一成さんのブログ「こどものもうそう」で冥利に尽きるコメントを賜りました。ありがとうございます!


⇒こどものもうそう > 2008.05.29
 http://blog.lv99.com/?eid=799310
 米光一成さんのブログです。


⇒polternhaus > 2008/05/23
 http://poltern.jpn.org/modules/wordpress/index.php?p=32
 装幀を担当してくださった河原田智さんのブログでご紹介いただきました。
 (装幀については次回のエントリで書いてみたいと思います。)


⇒作品メモランダム > 2008/05/27 こけつまろびつプログラミング
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20080527