高村武人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高村武人の意味・解説 

高村武人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 08:41 UTC 版)

高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12日 - 1998年(平成10年)10月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。山口県柳井市生まれ。

小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(1998年初版)でその生い立ち、戦歴が紹介された。

生涯

1935年(昭和10年)4月1日東京陸軍幼年学校 第39期生[1]として入学[2]。第3学年在学中の1937年(昭和12年)、日中戦争支那事変)が勃発し、繰上げで11月19日に卒業[3][4]。同年12月1日に陸軍予科士官学校へ入学した[3]。1940年(昭和40年)9月、陸軍士官学校 第54期卒業[5]

陸士卒業と同時に久留米第56師団(竜兵団)に所属し南方パラオに動員後、各地を転戦。その後、陸軍野戦砲兵学校に赴任、内地で終戦を迎える。

終戦後はイースタンモータース役員[6][7]を経て、イースタン興業社長に就任している[8] 。終戦時の階級は陸軍大尉。

1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、佐藤栄作岸信介と同じ山口2区から無所属で出馬し、3万8000票余りを獲得したが落選した[9]

1996年、朝まで生テレビに出演。


参考文献

脚注

注釈

出典

  1. ^ わが武寮 1982 p.857
  2. ^ わが武寮 1982 p.643
  3. ^ a b わが武寮 1982 p.642
  4. ^ 『官報』第3273号「彙報」、昭和12年11月29日(NDLJP:2959759/6
  5. ^ わが武寮 1982 p.646
  6. ^ 国勢協会 編『国勢総覧』(10版)国際連合通信社、1954年10月、94頁。 NDLJP:1699233/492
  7. ^ 国勢協会 編『国勢総覧』(15版)国際連合通信社、1957年、146頁。 NDLJP:1692758/601
  8. ^ 「決断の瞬間 <イースタン興業社長>高村武人氏」『サンデー毎日』第50巻第33号、毎日新聞出版、1971年8月、102-103頁、全国書誌番号: 00009588 
  9. ^ 選挙ドットコム>第33回衆議院議員選挙>山口2区”. 2022年8月22日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  高村武人のページへのリンク

辞書ショートカット

', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', ''];function getDictCodeItems(index) {return dictCodeList[index];}

すべての辞書の索引

「高村武人」の関連用語





高村武人のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable() {return sideRankTable;}

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高村武人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高村武人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS