震天雷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 14:31 UTC 版)
概要
9世紀初頭の中国で不老不死の霊薬を求める道教の錬丹術師によって火薬が発明されて直ちに軍事機密とされていたが、後の時代の中国で最初の爆弾である震天雷が製造される[1]。宋から元の時代の中国で用いられていた、金属製、陶器製の殻に火薬を詰めて導火線で点火させていた[2]。
バグダードの戦いでは、ブカ・テムルが率いる軍が敵軍が“qawārīr naft”を使っていたと記録している。これは金の華北出身の漢民族の部隊の武器であるならば震天雷に近いものと見れる。バグダード陥落には震天雷に類する兵器も活躍したと見れる。中国には震天雷が有ったが、マンゴネルのような投石器が無かった。マンゴネルには投石器で火薬の武器を飛ばすという発想が無かった。それぞれの足りない部分を補うように融通させた柔軟さと構想力こそが世界帝国を築いたモンゴルの真骨頂といえる[3]。
慶長の役での朝鮮軍では倭軍を倒すのに最も強力な武器であった。朝鮮軍は倭軍の火縄銃で苦戦するが、震天雷は倭軍を慄かせた朝鮮軍の秘密兵器であった。製造法は極秘で記録も消失して出土したことも無かったために全く知られなかったが、2019年に韓国の技術者が初めて明らかにする。それによるとバスケットボールよりも大きく、成人男性1人ほどの重量の時限爆弾とのことだった[4]。
脚注
- ^ “日本経済新聞 印刷画面”. www.nikkei.com. 2025年9月14日閲覧。
- ^ 館長, 武器・武装博物館 (2025年6月9日). “手榴弾の登場と歴史 | UNION WEBマガジン”. sabage-union.com. 2025年9月14日閲覧。
- ^ “モンゴル帝国と火薬兵器”. 2025年9月14日閲覧。
- ^ “倭寇討伐の震天雷の構造を明らかにした工学者”. 동아일보 (2019年11月20日). 2025年9月14日閲覧。
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