鉱山施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
北大東島のリン鉱山施設は、先行してリン鉱山開発が進められていた沖大東島のものと類似している。これは1918年のリン鉱山操業開始に際し、北大東島における東洋製糖の責任者である出張所長らが沖大東島の視察を行い、施設整備の参考にしたためであると考えられる。 北大東島の場合、採掘方法が露天掘りであるため鉱山本体に関しては特段設備らしいものを設ける必要が無かった、一方、遠隔地にある北大東島において鉱石中に含まれる水分を減らすことは輸送費軽減に繋がるため、乾燥、貯蔵設備が鉱山設備の中で特に重要視されることになった。 採掘後、計量を終えて軌道脇に積まれた鉱石は、随時ガソリンカーないし牛にけん引されたトロッコによって乾燥場に運ばれた。鉱山開設当初は、塊鉱については乾燥場に積み上げて石炭、薪による火力で乾燥させ、礫、粒、粉鉱に関してはロータリードライヤーで乾燥させた後、ともにトロッコで貯蔵庫に運ばれて貯蔵された。やがてリン酸礬土鉱が採掘する鉱石の主力となると、採鉱所から貯蔵庫までの中間にある比較的平坦な場所に鉱石を広げ、天日による乾燥を行うようになった。鉱石全体を乾燥させるため、牛に引かせた犂で鉱石を何度もすき返した。乾燥が終了すると鉱石はトロッコによって貯蔵庫へと運ばれた。なお採鉱所から乾燥所を経て貯蔵庫まで、トロッコの軌道は地形を考慮して敷設されており、トロッコによる運搬自体は比較的スムーズに行われていた。 貯蔵庫は上部から乾燥後のリン鉱石をトロッコから投入し、搬出時には下部の取り出し口から鉱石をトロッコに流し込む仕組みとなっていた。リン鉱石の積み込み船が入港すると、貯蔵庫から続々とトロッコによってリン鉱石が搬出され、桟橋へと運ばれた。リン鉱石積み出し用の桟橋は沖大東島の桟橋をモデルとして建設され、ほぼ同様の設備となっていた。桟橋の先端は出し入れが出来る構造となっており、リン鉱石積み込み時には約6メートル海上に向けて延伸した。桟橋の先端には象の鼻と呼ばれた鉄製の漏斗が海面近くまで伸びていて、リン鉱石を漏斗内に流し込んだ。 漏斗の下には艀が待ち構えていて、リン鉱石を積み込むと沖合いに停泊している積み込み船にリン鉱石を運んだ。艀は5人乗りで2トン積みであった。この艀による荷役作業は請負制であるため、争うように漏斗からリン鉱石を積み込もうとした。桟橋と積み込み船との間を幾度となく往復するうちに、全身リン鉱石の粉にまみれて顔つきもわからなくなったという。一日で約1000トンのリン鉱石が積み込まれ、また船から島内に運び込む生活物資等も艀作業によって荷揚げされるため、積み込み当日は応援としてサトウキビ農家を含め、島内の人員が駆り出されることになった。
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