絵画作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 19:54 UTC 版)
サリーは1801年に18歳で職業画家になった。ボストンのギルバート・ステュアートに3週間付いて肖像画の描き方を勉強した。その後バージニア州で兄弟と共に過ごした後で、ニューヨークに移転した。 1806年にはフィラデルフィアに移り、その後はこの町で暮らすことになった。1809年、ロンドンに9か月間旅し、ベンジャミン・ウエストについて学んだ。 サリーが1824年にジョン・クインシー・アダムズの肖像画を描くと、アダムズはそれから1年以内に大統領になった。この絵は現在ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーが保存している。続いてラファイエット侯爵の肖像画を描くと、当時の画壇の最前線にサリーを押し出すことになった。当時の著名なアメリカ人の多くがサリーに肖像画を書かせた。1837年から1838年、フィラデルフィアのセントジョージ協会の要請で、ヴィクトリア女王を描くためにロンドンに行った。ヴィクトリア女王が多忙なときは、その衣装を娘のブランシェが来て身代わりになって助けた。サリーが描いたトーマス・ジェファーソンの肖像画の1つはバージニア大学のジェファーソン文学討論協会が所有しており、協会のロタンダに掛けられている。別のジェファーソンの肖像画は頭からつま先まで全身を描いたものだが、ウェストポイントの陸軍士官学校に掛けられており、アレクサンダー・マコーム将軍の肖像画も同様である。 サリーが独自に付けた通し番号によって、1801年から2631枚の絵を描いており、その大半は現在アメリカ合衆国国内にある。その画風はトーマス・ローレンスに似ていた。肖像画家としてよく知られているが、歴史的な場面や風景画も描いた。歴史画の例としては1819年に描いた『デラウェアの通過』があり、現在はボストン美術館に収められている。サリーの描いた『アンナとハリエットのコールマン姉妹の肖像』は、2013年9月28日に、ペンシルベニア州マンハイムのジョン・M・ヘス・オークション・サービスInc.によって145,000ドルで売られた。
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