濱江丸
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濱江丸(ひんこうまる)は、大連汽船が1936年に建造したばら積み貨物船。太平洋戦争で日本海軍に徴用され、1944年に空襲により父島で大破放棄された。残骸が戦後も長く放置され、観光スポットとなっている。
注釈
- ^ 1945年(昭和20年)7月25日、空襲により被弾沈没。
- ^ 加入輸送船は「濱江丸」「白山丸」「日本海丸」「第八雲洋丸」「営口丸」「麗海丸」「錦州丸」「夏川丸」「東豊丸」「清海丸」「明島丸」「千代丸」。護衛艦は、駆逐艦「旗風」(旗艦)、海防艦「御蔵」、同「三宅」、第16号海防艦、敷設艇「猿島」、第20号掃海艇、第48号駆潜艇および特設防潜網艇「第二号興亜丸」[10]。指揮官は第5護衛船団司令官の吉富説三少将。船団名は横須賀鎮守府の護送船団への命名規則に基づくもので、千の位の3は横須賀・トラック島間航路の下り方面を、下3桁は5月15日出航を意味する[11]。
- ^ 駒宮(1987年)は加入船全てが被爆沈没としているが[12]、「濱江丸」はこのときは沈没を免れている。
出典
- ^ a b c 岩重(2011年)、118頁。
- ^ 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1943年、関東州在籍船の部8頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050086500、画像9枚目。
- ^ Ryuko_Maru_class
- ^ a b c 岩重(2011年)、40頁。
- ^ 米田冨士雄(著)、西村勝巳(編) 『現代日本海運史観』 海運産業研究所、1978年、264-265頁。
- ^ 「輓近に於ける本邦造船界の囘顧」『造船協会会報』1940年6月(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “萬達丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月15日閲覧。
- ^ “永安丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 海軍省兵備局 『昭和一九・六・一現在 徴傭船舶名簿』 JACAR Ref.C08050095500、画像46枚目。
- ^ a b 駒宮(1987年)、176-177頁。
- ^ 岩重(2011年)、71頁。
- ^ a b 駒宮(1987年)、192頁。
- ^ 父島方面特別根拠地隊 『自昭和十九年六月一日 至昭和十九年六月三十日 父島方面特別根拠地隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030275500、画像45-47枚目。
- ^ 父島方面特別根拠地隊司令部 『七月四日米機動部隊艦載機対空戦闘 戦闘詳報 第二号』 JACAR Ref.C08030275100、画像10枚目。
- ^ 父島方面特別根拠地隊司令部 『父島方面特別根拠地隊 戦闘詳報 第四号』 JACAR Ref.C08030275300、画像45枚目。
- ^ 「観光情報:父島全体マップ」 小笠原村公式サイト(2012年7月28日閲覧)
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