栄進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 13:45 UTC 版)
父の跡を継ぎ、モンケ・カアンの南宋遠征では厳氏の東平軍を率いて功績を挙げた。モンケ死後の争いでクビライ・カアンはアリクブケに対抗するために、漢人軍閥の兵力を直下の親衛軍として組み込み、武衛軍(後に侍衛親軍)を組織した。四大世侯配下の有力武将たちが部隊長の将校として登用され、劉復亨もその一人であった。中統元年(1260年)にはアリクブケを逐った後のカラコルムを警備し、武衛軍副都指揮使(副司令官)となる。中統3年(1262年)の漢人軍閥李璮の乱では、乏しい兵糧に私財を提供し、クビライから褒賞金を与えられたが固辞した。至元2年(1265年)に左翼侍衛親軍副都指揮使となり、至元9年(1272年)に昭勇大将軍・鳳州等処経略使となる。至元10年(1273年)、日本侵攻軍の副司令官、征東左副都元帥に任ぜられた。
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