江戸落語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/02 02:41 UTC 版)
江戸落語(えどらくご)は、江戸時代にはじまる古典落語のうち、江戸(いまの東京)を中心に演じられる落語、およびその演目。東京落語。
注釈
- ^ 武左衛門もまた辻噺をおこなっており、中橋広小路(いまの日本橋三丁目)での様子が『燕石十種』に描かれている。”ぶん蔵"「第6話 落語家のルーツ-江戸編-」。
- ^ 元禄6年(1693年)、江戸でコレラが大流行して死者が1万数千人以上にのぼったなか南天と梅干の実が効くという風評が広がり、その風評の出所を調べるうち、梅干を高く売りつけたい浪人の筑紫園右衛門と八百屋の惣右衛門が広げた嘘だということがわかったが、2人が武左衛門の咄からヒントを得たと供述したため武左衛門が詮議にかけられ、冤罪によって配流された。武左衛門はのちに赦されて江戸に戻ったがその年のうちに亡くなってしまった。"ぶん蔵”「第7話 武左衛門の災難」
- ^ 團十郎の熱狂的なファンであった焉馬は本所の竪川沿いにしていたため「立川談洲楼(たてかわ だんしゅうろう)」とも号した。
- ^ 下谷神社の境内には、正岡子規の「寄席はねて 上野の鐘の 長夜哉」の句碑とともに「寄席発祥之地」の碑がある。
- ^ 可楽門下には朝寝房夢羅久(初代)、船遊亭扇橋(初代)、林屋正蔵(初代)、三遊亭圓生(初代)のほか、可楽(2代目)、喜久亭寿楽(初代)、萬笑亭亀楽(初代)、三笑亭佐楽(初代)、東亭鬼丸(初代)、自笑亭里楽、宇治新口(初代)、三笑亭古楽(初代)、三笑亭可上(初代)、三笑亭可重(のちの2代目可上)、三笑亭世楽、つるや萬助、初代川島歌遊(初代)、よたん坊ゆ又、瀧亭鯉丈(初代)、菅良助(初代)、菅良助(2代目)などが確認されている。
- ^ 当時、かけそば1杯の値段が1銭2厘であった。
- ^ くじ売りはそれまで若い芸人の小遣い稼ぎになっていたため、若手には痛手であったという。
- ^ 圓遊は最盛期に昼夜で19軒の寄席を掛け持ちしたといわれ、雇った人力車夫が血反吐を吐いたというエピソードがのこっている。
参照
- ^ a b c 文化庁「国指定文化財等データベース」
- ^ 『CD付 落語入門』(2008)p.14
- ^ a b 日本芸術文化振興会「落語の歴史:落語家のはじまり」
- ^ 歴史公文書探究サイト”ぶん蔵"「第6話 落語家のルーツ-江戸編-」
- ^ a b 山本(2006)pp.10-12
- ^ 歴史公文書探究サイト"ぶん蔵”「第7話 武左衛門の災難」
- ^ a b c d e 山本(2006)pp.12-15
- ^ a b c d e f g h 日本芸術文化振興会「落語の歴史:興行としての成立」
- ^ a b c 歴史公文書探究サイト"ぶん蔵”「第9話 烏亭焉馬と咄の会」
- ^ a b c 柳家花緑(2002)pp.44-47
- ^ a b c d e 歴史公文書探究サイト"ぶん蔵”「第10話 寄席の登場」
- ^ a b c 山本(2006)pp.16-18
- ^ 暉峻(2007)p.160
- ^ a b c d e f 日本芸術文化振興会「落語の歴史:江戸落語のにぎわい」
- ^ a b c 山本(2006)pp.18-20
- ^ a b c 歴史公文書探究サイト"ぶん蔵”「第11話 落語と天保の改革」
- ^ a b 山本(2006)pp.22-24
- ^ 海野(2005)
- ^ a b 山本(2006)pp.24-28
- ^ a b c d e f g h i 山本(2006)pp.32-37
- ^ a b c d e f g h 歴史公文書探究サイト"ぶん蔵”「第12話 明治をむかえた落語」
- ^ a b c d 『CD付 落語入門』(2008)pp.4-5
- ^ a b c 山本(2006)pp.45-48
- ^ 広瀬(2010)pp.13-26
- ^ a b c 日本芸術文化振興会「江戸落語と上方落語」
- ^ a b c 桂文虹「上方落語と江戸落語」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『CD付 落語入門』(2008)pp.26-27
- ^ 『CD付 落語入門』(2008)pp.22-23
- ^ a b 高橋『落語登場人物辞典』(2005)p.59
- ^ 高橋『落語登場人物辞典』(2005)p.123
- ^ a b 高橋『落語登場人物辞典』(2005)p.71
[続きの解説]
「江戸落語」の続きの解説一覧
- 1 江戸落語とは
- 2 江戸落語の概要
- 3 江戸落語の登場人物
- 4 寄席と落語家
- 江戸落語のページへのリンク