改称後
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1937年7月1日 - 松汀面が松汀邑に昇格。(1邑11面) 1949年8月14日 - 羅州郡平洞面・三道面・本良面を編入。(1邑14面) 1955年7月1日(1邑10面)瑞坊面・極楽面・孝池面および石谷面の花岩里・清風里・望月里・長灯里・雲亭里が光州市に編入。 石谷面の金谷里・忠孝里・徳義里が潭陽郡南面に編入。 1957年11月6日(1邑7面)大村面・芝山面および西倉面の一部が光州市に編入。 西倉面の残部が東谷面に編入。 1963年1月1日 - 光州市から一部を返還。(1邑9面)瑞湖洞・芳荷洞・新湖洞をもって西倉面を復活。 松石洞・登龍洞・鶴昇洞をもって大村面を復活。 1986年11月1日 - 松汀邑が市制施行し、松汀市となり、郡より離脱。(9面) 1988年1月1日 - 飛鴉面・河南面・林谷面・東谷面・西倉面・大村面・平洞面・三道面・本良面が松汀市とともに光州市と合併し、光州直轄市光山区が発足。光山郡消滅。
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改称後
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「香川短期大学附属女子高等学校」の記事における「改称後」の解説
1998年、香川誠陵高等学校に改称し、高松市鬼無町佐料に移転。香川短期大学附属女子高等学校は実質的には香川誠陵高等学校とは関係ないので香川誠陵高等学校に関することは割愛する。校舎 - 香川誠陵高等学校善通寺教場となる。 普通科 - 休止中であった尽誠学園高等学校女子部が1998年に再開され、女子部普通科に引き継がれる。男子部・女子部という区分は1997年の入学生が卒業した2000年に廃止されている。 衛生看護科 - 尽誠学園高等学校女子部衛生看護科が1998年に設置され、引き継がれる。 福祉科 - 設置準備中であったが、1998年に尽誠学園高等学校福祉科が設置され、引き継がれる。 1996年、1997年に入学した生徒は香川誠陵高等学校善通寺教場の生徒となり、そのまま善通寺教場で授業を受け、卒業した。
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