序説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:22 UTC 版)
前述したように、クインティリアヌスは皇帝ドミティアヌスの治世の最後の年にこの本を執筆した。ローマ皇帝の中でも、たとえばネロ、カリグラ、ドミティアヌスの治世下は、時が経つにつれてますます非道なものになっていった。「秘密警察がさかんにローマ市民を餌食にしていき、元老院議員たちでさえさまざまなやり方でさかんにお互いを密告しあった…… ドミティアヌスの治世下、皇帝に対する不敬のほんのわずかの疑惑でも極刑に値した」。社会的・政治的腐敗がはびこっていた。最大の皮肉は、堕落したドミティアヌスが「公衆道徳の責任のある終身監察官に」自分自身を任命したことだった。 こうした背景で、「国の敵を公けに告発したことで弁論家としての名声」をも博したキケロの流れを受け継ぐ弁論家を見付けるのは困難であった。アウグストゥス以降の皇帝の統治下、そのような立場を取ることは率直にいって危険すぎた。したがってキケロの時代以降、弁論家の役割は変わってしまっていた。当時の弁論家は何よりも裁判での弁論を生業としていた。そんな時代に、クインティリアヌスは、過去の理想主義を投げ込もうと試みたのである。「政治的雄弁は死んだ。そしてローマの誰もがそれが死んだことを知っていた。しかしクインティリアヌスは自分の教育的理想として、過去の世代の雄弁をあえて選んだ」。
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