古例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:24 UTC 版)
人魚を八百比丘尼が食したのが清寧天皇5年(西暦480年)で、人魚出現の最古例と藤澤衛彦はしているが、口承伝承なのか文献資料が確認できない。 つぎに推古天皇5年(619年)4月に近江国蒲生河に出現した、また7月摂津国の堀江(堀江川運河)で網にかかった、という各事案が『日本書紀』に記載されており、これが文献資料に裏打ちされた最古例とされる。 これらの古例は海棲でなく川でみつかった人魚であることが指摘され、また、「人魚」であるとは言葉で明言されていない。ただ、推古女帝の摂政であった聖徳太子が「人魚」という語に言及したと、のちの『聖徳太子伝暦』には伝えられているが、実際にその言葉をもちいたかは疑問視される。同書によれば、聖徳は人魚を禍をもたらすものとしているが、江戸時代の浅井了意『聖徳太子伝暦備講』では、さらにその時代の漁師はもし網にかかっても逃がす風習であると解説する。 また、聖徳太子は、近江国の人魚が出現したことを凶兆と危ぶみ、当地に観音菩薩像を配置させたと、滋賀県願成寺の古文書では伝えるという また滋賀県の観音正寺の縁起によれば、聖徳太子が琵琶湖で人魚に出会い、前世の悪行で人魚に姿を変えられたと聞き、やはり観音像を収めて寺を建てて供養したのが寺の由来だという(観音正寺および「§人魚のミイラ」に詳述)。
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