ちくま文庫

凧あげ
『有吉佐和子ベスト・エッセイ』より1篇全文公開

1/14発売『有吉佐和子ベスト・エッセイ』(有吉佐和子著、岡本和宜編)より発売前に収録作1篇を全文公開いたします。お正月にぴったりの、かわいらしいエッセイです。
 

もう幾つ寝るとお正月

お正月には 凧あげて

羽子板ついて 遊びましょ

早く 来い来い お正月

 この唄を、私は小学校の唱歌の時間に習っていた。ときは昭和十四年、私はジャバ島にあるバタビヤ日本人小学校の二年生であった。

 南海万里、春を迎えるために先生も父兄も何がなし浮立って、だから児童たちにもこの唄を唄わせていたのだろうが、唄っている当人たちには一向に「お正月」なるものピンと来ないのである。

 私のような内地生れも半数あったが、残る半数はジャバ育ちだ。春夏秋冬という季節の推移も棒暗記しなければいえない子供たちに、冬という季節に包まれた情緒的な正月は無縁であった。

 同じように一月一日でジャバの暦もあらたまるが、ここには新年を迎えるための行事らしい行事はない。あったとしても、私たち日本人が祝うものとはてんで無関係なものなのであった。

 お正月には女の子は振袖を着るものだ、と私たちは教えられた。内地から送られてくる絵本に、華麗な着物にポックリをはいて、羽根つきしている女の子たちの姿が描かれてあった。

 が、常夏の国で袷の振袖は着られないし、平絽の着物を着せられた子が、脱いだらおなかの周りに汗もが一杯になってしまっていたりして、ともかくこの知識は実行に移せぬ類のものであった。

 お正月には男の子は凧を上げるものだ、と私たちは教えられた。

 ジャバ人の子供たちも雨期が過ぎると凧遊びをする。赤や緑の逆三角形の単調な姿をした凧が空にあげられ、私たちは仰ぎみて、これがお正月かいなと思っていたが、大人たちは日本の凧には鍾馗(しょうき)さまなどの勇壮な絵が描かれてあり、大体四角いもので、たまに奴凧という(ひよう)けたものもあるのだと教えてくれた。

それでは、この三角の凧ではお正月遊びにならないのかと子供たちは途方に暮れ、学校の先生たちが工夫して作った日本式四角凧と奴凧は、その華麗な彩りにもかかわらず、なんとしても空に浮ばなかった。

 お正月には屠蘇を祝うものだ、と私たちは教えられた。

 大人の男たちは、日本からとりよせた樽詰の酒に酔っ払い、屠蘇の素になる漢方薬みたいな三角包みは届いたのに味淋(みりん)の方を忘れたといい、私は日本に帰るまでお屠蘇なるものは単に酒に匂いをつけ足したものであると思いこんでいた。

 校庭で羽根つきもしたが、バドミントンより面白いとは思えなかった。

 数の少ない追い羽根は、駄菓子屋の店先で選んで買ったもののようには優秀な飛び方をしないのである。テーブルの上で双六をやるのも、大理石のフロアで福笑いをやるのも、正月にはやるものだと教えられてやったが、どことなく阿呆らしくて馴染めなかった。

 戸外には太陽が緑の上に燃えさかっているのに、健康な子供には正月遊びよりプールで水を浴びる方が遥かに魅力的だったのである。

 日本に帰ってきたのは昭和十六年の二月であった。その暮の十二月八日には大東亜戦争が始まり、待望の日本の正月は非常時下、自粛のやむなきにあり、私は念願の振袖を到頭つくって貰えなかった。

 新年を祝う日、本物の屠蘇というものが味淋台のこってりした味わいと芳香のあるものだと初めて知った私は、いそいそと学校に出かけて行ったが、講堂に集った生徒の中和服姿の女生徒が数人混っていたのには眼を瞠った。申しあわせたように彼女たちは紫の袴をはいていた。小学生にこんな格好をさせる親たちは、まあどんなに心豊かな人たちだろうかと私は羨しかったものだ。

 当時、私は上野から寛永寺坂を下った根岸という町に住んでいたが、父に連れられて上野の山に出かければ、男の子たちは凧あげに興じていた。小学校五年生だった私は、幼稚園以前の幼い弟にかこつけて凧を買ってもらい、凧糸を買えるだけ買いこんで数日その凧をあげることに熱中した。

 夕刻、いつまでも帰らぬ私に心配して父が探しにやってきたとき、私は寛永寺坂でたった一人夢中になって糸を繰出していたものである。

 豆粒のように小さくなっている凧を見上げ、私がまっ赤な顔をして凧糸をひっぱっているのを見下した父は、私が女の子だということに嘆息したようである。母は、私に似たのだといって笑っていた。

 羽根つきは相変らずつまらなかった。あの唄は間違いだ、と私は発見していた。凧をあげられるような風のある日に、どうして羽根がつけましょうぞ、である。

 失点ごとに白粉や墨を顔に塗る遊び方も、まだ色気以前の私には面白いとは思えなかった。

 近頃になって、羽根つきのそもそもが悪魔払いであったという故事来歴を知って、のどかな音ののどかな遊びと昔をなつかしむ方法と会得したが、ともかくこれは現代の子供だけの遊びでないことだけは確かである。古典はインテリ向きの読みものであるように、正月の行事は概ね大人向きのものだ。

 それを立証できるのが、この正月を迎えるにあたって、私が心掛けたのが姪を飾ることであったといえるようである。

 正月三日は、会社も休み、新聞も毎日は来ないし、一人で仕事をするのも馬鹿らしく、つまりなんとなく手持無沙汰で困ったものだというのが正直な私の感慨なのだが、数えでいえば六つになる姪に、せめて綺麗な格好はさせてやりたいと思い、庭先で羽根つきの真似もさせてみたいと思うのである。

 双六も、平仮名のカルタも、姪と甥のために買いととのえ、福笑いも家中で嬉しもう、それも姪たちを中心にして、とこう考える私の心の中に、季節を持たぬ正月を過した幼い頃の悔があって、姪たちには日本にいる正月を満喫させたい殊勝さがあるのならいいが、前にいったような大人の古典趣味からのものとしたら、姪はさぞ迷惑なものに思うことだろう。

 そんなことはヌキで、私が卒先してこの正月に絶対やろうと思うのは、凧あげである。

 
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