選ばない仕事選び

第17回 仕事は君だけのものじゃない

連載第17回 自分がやらなきゃいけない。自分だけがこの仕事をできるって本当かな??

かぜをひくとつらい。体はダルいし頭も痛いし熱はあるし鼻をかめば脳みそが出てきたんじゃないかって思うほど怪しげなドロドロがでてくるしと、とにかくつらい。つらいけれども、誰にも何の気兼ねもせずに思いっきりゴロゴロできるから、それはそれで悪くない。布団に入団(にゅうとん ※鴨の造語)したまま丸一日過ごしたって構わないのだ。最高じゃないか。ああ、これで体がダルくなくて、頭も痛くなくて、鼻も出ず、熱もなければ完璧なのに。

自分の行動が結果を変えるとおもしろい

自分のちょっとした行動や工夫で、ものごとの結果が変わるとおもしろい。スーパーで働きながら、僕はこれが仕事なのだと知ることになった。君たちも働くようになると、そんな体験をして興奮することになるだろう。でも、そのときにこそ、忘れずにいてほしいことがある。

とあるゲーム会社で働いていたときのことだ。僕はゲームセンターに置かれる大きなゲーム機の開発に関わっていた。そのゲーム機が言葉を話す仕組みをつくるのが僕がいたチームの役目で、プログラマーや設計士たちと、あれこれやり方を考える日々が続いた。

今でこそ言葉を話す機械なんて珍しくもなんともないし、合成された音声だって人間が話しているのとあまり変わらないレベルになっている。

でもそのころは、機械に言葉を話させるのはたいへんだったのだ。音声合成はまともな発音ができないから、あらかじめ録音した声を再生するしかない。ところが、録音した音声を保存しておくだけのメモリーがないのだ。今のように大量のメモリーが用意できる時代じゃないから、せいぜい今の携帯電話で撮影した画像数枚ぶんくらいのメモリーしかないのだ。

「これじゃ、予定のセリフが入らないよ」

「どうしよう、無理かも」

僕たちは頭を抱えることになった。頭を抱えたものの、何とかするしかないのだ。

自分でなければできないこと

さて、ここからちょっとばかり、ややこしくて面倒くさいことを書くので、なんとか我慢してつきあってもらいたい。

具体的なことを書くと複雑になるので結論だけ書くけれども、最終的に僕たちは録音したセリフをぜんぶバラバラにして、同じ単語を使い回す方式を採用した。

「一番」のカードをお持ちのお客様は「二」「十」「五」番窓口へお越しください」

「三番」のカードをお持ちのお客様は「十」「九」番窓口へお越しください」

これは今でも古いシステムではときどき使われているから、もしかしたら耳にしたことがあるかもしれない。

僕に課せられたのはこのやり方を使いながら、ぎこちなさをなくすことだった。

十九番と二十五番とでは「じゅう」のイントネーションが異なるから、二通りの「じゅう」を用意する。二十番と二十五番では「じゅう」だけでなく、「に」のイントネーションも変わるから「に」も二通り用意する。数字だけでなく、セリフに使われているありとあらゆる単語の組み合わせをつくって、ぎこちなさをなくしていく作業である。

実際に単語を組み合わせて、どこかぎこちないなと感じたら、その単語だけを新しく録り直して追加するのだ。もちろんナレーターや声優さんにお願いしたら莫大な費用がかかるから、セリフを話すのは僕である。自分で読んで、自分で録音して、自分で単語に切り分けて、自分で組み合わせて、自分でチェックして、自分で録り直す。暗い防音室の中で、ひたすらその作業を繰り返し続けるのである。

僕はこの仕事に夢中になった。やればやるだけ結果が良くなるのだからおもしろい。まちがいなく世界を少し変えている実感があった。やる前とやったあとで確実に何かが変わるのだ。

自分でなければできない仕事だと思ったし、僕がやらなければゲーム機の開発が止まってしまうから、何が何でもやりとげなきゃと考えていた。

それから、およそ三か月間、僕はほとんど職場に泊まり込むことになった。週に二回ほど、明け方に自宅へ帰りシャワーを浴びてまた職場へ戻る。家ではなく職場で寝るのだ。

今になって考えてみれば、ブラックもブラック、まっ黒すぎて何も見えないほどの劣悪な職場環境なのだけれども、僕は自分がやらなきゃならないと信じていたせいもあって、自分がおかしな働き方をしていることに、まるで気づいていなかった。

最終的に機械は問題なく話すようになった。それも、かなり流暢に話すようになった。当時にしては画期的で、多くの人が驚いたし、ゲーム機もそれなりにヒットしたと思う。

でも、三か月の間に僕自身は壊れていた。自分では気づかなかったけれども、壊れていた。そして、それからしばらくして僕はその会社を退職した。

世界を変えるのは君だけじゃない

自分の行動や工夫で、ものごとが変わる。それが仕事なのだと僕はスーパーで知った。

でも、そこで勘違いしちゃいけない。冷蔵庫の飲料水の並べ方を工夫することで、確かに僕は世界を少し変えた。でも、自分でなければ変えられないなんてことはないのだ。世界をほんの少し変えるのは僕だけじゃない。もちろん僕が担当したからこそ変わった部分はあるけれども、ほかの誰かが担当すれば、僕とは違った変わり方になるだけで、やっぱりそこにはそれなりの仕事があるのだ。だって考えてみればわかるだろう。僕が冷蔵庫を担当するまでは、ほかの誰かが担当していたのだし、僕がそのスーパーを辞めたあとには、誰かが冷蔵庫を担当しているのだ。僕でなければならないなんてことはない。ただ変え方が違うだけのことだ。仕事は君だけのものじゃないのだ。

ゲーム機だって同じことだ。本当は、すべてを僕がやる必要なんてなかったのだ。それなのに、僕はいつしか「自分じゃなければダメだ」と思い込み、まわりの人たちに「お前に任せたから」なんて言われるものだから「自分がいなければこの仕事はうまくいかない」なんて勘違いをしたのだ。でも、そんなことはないのだ。だって会社なんだから。

「責任」はいつでも放り出していい

「自分でなければうまくいかない」という思い込み。それを大人は「責任」と言いがちだ。そうして、家族との約束を破り、自分の時間を削り、ヘトヘトになりながら、働こうとする。けれども、それはただの思い込み。そんな「責任」はいつでも放り出していいと僕は考えている。自分より大切なものなんてない。「責任」は自分の人生にこそ追うべきものだ。

世界をほんの少し変えるのが仕事だから、もちろんその人じゃなければできないことはあるだろう。でも、誰かが別の変え方をしたって構わない。自分がすべてを担わなくたって、明日もちゃんと地球は回っている。

だからといって、何でも放り出せと言っているわけじゃないから、そこは間違わないでほしい。「自分じゃなければ」という勘違いをせずに、自分のやるべき仕事をきちんとやる。意志を持って世界を変える。それでいい。

そりゃ、期待されたらがんばっちゃうのが人間ってものだし、自分がやったことを褒められたら嬉しくなるだろう。

だけど、ゴロゴロできるなら、できるだけゴロゴロする。それが今の僕のやり方だ。かぜをひいていないときもね。