モチーフで読む浮世絵

生え際にかける情熱

「髪は女の命」と言いますが、実は浮世絵師たちも、髪に情熱を燃やした?! 今回は江戸時代の花魁たちの華々しい髪型とそれを描いた浮世絵をご紹介。
図1 礒田湖龍斎「雛形若菜初模様 中あふみや内万太夫」安永4年~天明元年(1775~81)頃、東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 

 

 江戸時代の女性たちは年齢や身分、あるいは未婚か既婚かによって、ふさわしい髪型というものがあった。だが、いつの時代も同じ髪型をしていたのではなく、時には流行が生まれ、ヘアスタイルは少しずつ変化していく。浮世絵に詳しい人であれば、女性の髪型を見て、おおよそいつの時代に描かれたのかを判断できるくらいである。

 江戸時代の華やかな髪型の一つが「(とう)(ろう)(びん)」である。びん)とは顔の左右、耳ぎわの髪のことだが、燈籠鬢はそれが左右に大きく張り出している。
 礒田湖龍斎の「雛形若菜初模様 中あおふみや内 万太夫」(図1)を見れば、その特徴的な形をご理解いただけることだろう。
 この作品は吉原遊郭の花魁たちを描いたシリーズの一図で、中近江屋に勤める花魁の万太夫が、禿と(かむろ )いうお付きの少女たちが盤双六で遊んでいるところを、煙草を吸いながら眺めている様子を描いている。

 花魁と禿たちの髪型に注目してほしい。燈籠の笠のように大きく張り出したこの髪型が燈籠鬢である。花魁は鼈甲(べつこう)の櫛を2本、簪を( かんざし )10本以上挿すことで、遊女らしい華やかで派手なヘアスタイルに仕立てている。

 燈籠鬢の流行が始まったのは安永4~5年(1775~76)頃。それまでの女性たちの鬢は張り出していなかったが、この流行を境に、浮世絵の女性たちの髪の多くが燈籠鬢となる。
 頭が全体的に大きく描かれるようになったことで、そのバランスに合わせ、女性たちの体つきも一回り大きくなった。髪型の変化は浮世絵にも大きな影響を与えたのである。

図2 喜多川歌麿「青楼七小町 玉屋内花紫」寛政六~七年(一七九四~九五)頃、メトロポリタン美術館蔵

 さて、女性たちの髪を浮世絵の中でいかに美しく描くかも追求されている。
 喜多川歌麿の「青楼七小町 玉屋内花紫」(図2)は、花紫という花魁の顔をアップで描いた大首絵である。燈籠鬢に(ばい)(まげ)という派手な髪型で、張り出した鬢が透けて後ろ側が見える感じや、簪に絡む前髪、耳の下から垂れ下がるほつれ毛など、髪に対するこだわりが随所に見られる。

 

 中でも、おでこの生え際に注目してほしい。髪の毛の筋の間にさらに斜めの細かい線が何本も入っているが、その線は0.5㎜以下という驚くべき細さなのである。
 浮世絵版画は凸版(とつぱん)、すなわち絵具を付けるところを残して、木の板を彫らなければならない。髪の毛であれば、その細い墨線の外側を彫っていることになる。
 髪の毛の生え際の彫りを「毛割(けわり)」と呼ぶが、技量の高い彫師しかできない超絶技巧をわざわざ用いているのである。

 江戸時代の女性は髪を結うため、前髪を上げて、おでこを見せることが多くかった。そのため、そこに美しさを感じる感覚が芽生えたのだろう。現代ではあまり言われなくなったが、富士山の稜線に似た生え際は「富士額(ふじびたい)」と呼ばれ、美人の象徴であった。
 女性の美の中でも髪が特に大事だったからこそ、浮世絵師や彫師たちの情熱がそこに注がれたのである。