化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

便利は選べる。

便利なものはその名の通り、役立つものであり、最近だと“あると楽なもの”も便利なものに入っています。
社会の発展とは便利なものを発明することだと言っても過言ではないくらい、便利なものは社会を変化させてきました。

今ほとんどの人が持っているスマホも、一番最初はおそらく自動車についてあった電話です。
そこから肩にかけて持ち運べるショルダーホン、ポケベル、携帯電話を経て、スマホが生まれました。
僕は折り畳めない携帯電話から知っています。
最初は電話するだけだった携帯電話にインターネット接続機能が搭載されました。
携帯電話の時、インターネット上の画面はパソコンの画面そのまま縮小するわけにはいかなかったので、携帯電話特有の画面だったんじゃないかと思います。
それが今や、パソコンの画面とほぼ変わらない画面で、持ち運びが出来るのですから、「スマホ一台で仕事が出来る。」という言葉が出てくるのも納得です。

スマホの普及と共に、SNSという大衆向けのコミュニケーションサイトが発展しました。
パソコンでは2ちゃんねるのような掲示板はありましたし、2004年からmixiというSNSができて、かなり流行っていました。
しかし2ちゃんねるはパソコンの普及率も影響してか、2ちゃんねるを見る人は限られていましたし、mixiは閉鎖的なSNSでした。
インターネットの醍醐味である、距離という概念をなくすという意味では、いまひとつインターネットの良さを出しきれていないような気がします。
TwitterやInstagramは、インターネットの良さを最大限に生かしたような形で、繋がろうと思えば誰とでも繋がれる、どちらかというとmixiと違って色んな人と繋がることを促すかのようなSNSだと思います。
匿名による誹謗中傷や、繋がりすぎたことによる精神負担という新たなマイナス面が生まれたものの、“会ってなくても会っているような感覚”が生まれたのは、InstagramやTwitterが生まれてからです。

便利なものの代表であるスマホひとつとってみても、社会の発展や変化に便利なものが影響していることが分かります。
それゆえに、「手放せないもの。」と思い込んでしまっている人が多いように思います。
別にSNSのアカウントを登録しなくてもいいんです。
SNSに何か投稿しなくてもいいですし、登録したからと言って、見ないといけないわけでもありません。
それは分かっているんですが、なんか見てしまう。見て、「たまには友達の投稿に返信しなきゃいけないかな。」なんて考えてしまって、疲れてしまいます。

どこかで必要なものであるとか、手放せないものだとか、繋がってなきゃいけないと思ってしまっています。
XやInstagramやTikTokの仕組みがすごいんでしょうけど、気づいたら見ている、何もしなくていい時間があれば、別にみたいわけでもないのに、ついついアプリを開けてしまう。
気づけば癖になっていて、それがシンドくてSNS疲れなんて言葉が出てきます。
SNS運営側からすれば、気に入って欲しいし、たくさん見たり投稿したりして欲しいわけですから、SNS疲れという言葉出てくるくらいSNSの運営は上手なんだろうなと思います。
mixiの時はmixi疲れなんて言葉はありませんでしたので、もっと気軽なSNSだったのでしょう。

SNS運営側はたくさん見たり投稿したりしてもらえるSNSを作っているわけですから、ついつい見てしまうのかもしれませんが、見るか見ないかは自分で選べます。
SNSの筆頭に、癖になってしまっているからか、忘れているのかもしれませんが、便利は選べます。
別に学校の時間割のように、数学の授業を受けなくないのに、時間がくれば数学の授業が始まるような、そんなものではありません。
ですが、今のSNSの状態は授業の時間割と同じような感覚になってしまっているような気がします。

便利なものは他にもたくさんあります。
僕が疑問に思うところで言えば、電気ケトルです。
あれはコンロのないホテルの客室や、1口コンロしかない一人暮らしの部屋用に作られたのではないかとおもうのですが、3口コンロがあるような家でも電気ケトルが置いています。
夕飯の準備をしている時に足りなくなることはあるかもしれませんが、基本的に3口あれば十分コンロで、やかんでお湯を沸かせます。
やかんだと使わない時は棚に直せたりしますが、電気ケトルの場合は所定の位置にずっと置きっぱなしです。ですので、使わなくても電気ケトルの場所を確保しなくてはいけなくなり、キッチン周りのスペースが狭くなります。
僕の部屋は3口コンロなので、やかんを使っていますが、今のスペースに電気ケトルを置くことを考えると、置き場所に悩みます。みなさんもキッチン周りの器具の置き場所は考えたりすると思います。そのスペースの確保を考えるのであれば、電気ケトルは結構スペースをとっていて、これがなかったらスッキリしてキッチンが広くなるんじゃないかと思いますが、これも必要なものとか持ってないといけない便利なものの中に入っているような気がします。

他にはマルチフードカッターです。
別に包丁で切れば良いじゃないかと思うのですが、一定の人気があるみたいです。
切ってから洗うことまで考えたら、ランダムにしか切れなくて、洗うのが大変なマルチフードカッターよりも包丁の方が楽なんじゃないかと思うですが、包丁に慣れてないので、慣れるよりもマルチフードカッターを選ぶのでしょうか。包丁は面倒臭いが大前提あるからでしょうか。
マルチフードカッターも結構かさばるものなので、スペースを奪うし、包丁があれば必要なさそうなんですが、便利なものであり、必要なものであるという先入観があると思います。

自分が料理するので、キッチン周りばかりでしたが、キッチン周り以外の便利なものといえば、電動自転車です。
車がなくて、定期的に30分から1時間自転車を漕ぐことがある人が、大変なので電動自転車を買うのは分かります。または高齢者の移動にあまり力を使わなくていい電動自転車が選ばれるのも分かります。まあ、高齢者の電動自転車の使用は、自分が思っているよりもスピードが出ているので危ないんじゃないかと思うのですが、体力的に電動自転車の方が楽なので、選ばれるのはわかります。
しかし若い人が、その辺のスーパーに行くのに電動自転車が必要でしょうか。
自転車を10分くらい漕ぐ程度のことで、電気の力は必要でしょうか。
ママチャリなら1万円ちょっとで買えるのですが、電動自転車は10万円します。
10万円と自転車といえば、良いサイクリング用の自転車が買える値段です。
そりゃ、電動の方が楽かもしれませんが、そこまでして、近所の移動に電動は必要なのでしょうか。
これも、子供ができたら電動自転車を買う、電動自転車が必要という先入観があるような気がしています。

便利なものが増えると共に、発展してきた社会ですが、何でもかんでも便利なものに頼っていたら、スペースもお金も足りなくなってしまいます。
ニュースでは物価高のことをよく取り上げられているので、お金がないとか給料が少ないと考えている人は多いでしょう。しかし、昔から十分な給料が支払われていたことなんてありません。それなりに節約して、我慢するところは我慢して、やりくりをしていました。

しかしこれほど便利なものが溢れた社会になったことで、便利に頼ることが当たり前になっているのではないかと思います。
便利なものに費やす費用やスペースのせいで、生活が負担になっている可能性があります。
改めて考えてみれば、必要ない便利なものがあって、それをやめれば無理せずに節約できるところはあるのではないでしょうか。
そうすることで、自分の好きなところにお金を使うことが出来るようになるのではないでしょうか。
便利は強制ではありません。
便利は選べます。
断捨離や整理整頓する時は、便利なものについても考えてみてください。

化粧品研究者こまっきー

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