化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

ロックになっていくお笑い芸人。

年末年始といえば、笑点、THE MANZAIにドリーム東西ネタ合戦、新春お笑い芸人寄席、爆笑ヒットパレードなど沢山の漫才の番組があります。
お笑いが好きな僕はTVerで観たり、親戚の家に行けばテレビがずっと付いているので、ダラダラしながら漫才を観ていました。

観ていると、ふと気づいたことがありました。
漫才のネタが、ただ面白おかしくしているのではなく、時事問題を取り上げているものが多かったのです。
時事ネタ漫才といえばナイツがすぐに思い浮かびます。
ナイツは時事ネタを面白おかしくしている感じですが、今回気づいたのは、面白おかしくしているだけはなく、面白おかしくしながらも、「これでいいのか?」と問題提起しているような漫才ネタが多いことに気づきました。

コンプライアンスがどーのこーのと言われ始めてから、テレビでの発言内容が厳しく取り締まられるようになりました。この言葉はダメ、あれもダメでこれもダメとなって、テレビが面白くなくなったことの原因は出ている人や観る人の年齢ではなく、規制なんじゃないかと思うくらいに、規制が厳しくなって、テレビで出来ることが限られていきました。
それと並行して、視聴率の低下という問題があったため、テレビはコンプライアンスなどを気にするようになったのかもしれませんが、内容云々よりも、共働きが増えたので、そもそもその時間に家にいない人が増えたことも視聴率低下に大きく影響しているのではないかと考えています。

一度気にし出すと歯止めが効かなくなるものです。
みなさんも経験があると思いますが、特にネガティブ思考の場合は、考えれば考えるほど不安になります。
規制をかけることは治安維持という良い一面もあるのですが、色んなことに気を遣いながら暮らすのは方が疲れますので、生活を送る上では規制は少ない方がノビノビと生活できます。
良い一面までの規制にとどめておければ良かったのですが、規制はネガティブ思考に近いものがあり、「あれがダメなれこれも。」と言って、次々に規制されるものが増えていきました。

その中でも多かったのは言葉ではないでしょうか。
「こういう言葉はパラハラやセクハラに当たります。」と言って、言葉を規制していきました。しかし実際には、その人がそれをいうからパラハラやセクハラだと感じるわけで、違う人が言えばパワハラやセクハラに感じないので、規制するのは言葉ではないと思うのですが、言葉が規制対象になって使える言葉が減っていきました。

すると、特に困るのはメディアに出ている芸能人の中でも、お笑い芸人です。
お笑い芸人は、特に自身の容姿をネタにして笑いを取ったり、昔あった番組、志村けんのバカ殿様は、今でいうセクハラで笑いをとっていましたので、かなり出来ることが少なくなっていきました。

例えば最近では女性のことを“女”と言ってはいけないという暗黙のルールがあるそうです。
確かに“女”という言い方は、昔の夫婦間のような、亭主関白のような印象があります。
“女”という言い方には男性が上で、女性が下と感じる人もいるでしょう。
しかしそれだから規制するというのは、おかしな話です。
その時の話の流れで適切な言葉、自分がしっくりくる言葉が“女性”ではなく“女”だから“女”という言葉を使うのでしょう。
もしかするとそんなことは考えていなくて、周りが使っている言葉を使っているだけかもしれません。昔の人からすれば女性という言葉を使うことに慣れていませんから、慣れている方を使っているだけということもあります。
なんにしても、感覚的に出てくる言葉が“女性”ではないから“女性”という言葉がパッと出てこないのです。

日本語は感覚を表現するために、沢山の言葉があると考えています。
女性を表す言葉は、女の他にも、女子、女の子、お姉ちゃんと、幾つもあります。
womanとgirlのように年齢で分けるだけではなく、その人の印象や感覚で選ぶことが出来るのが日本語の面白いところです。
お姉ちゃんは姉妹のお姉ちゃんだけではなく、“クラブのお姉ちゃん”というような使い方をします。それも男性の方が明らかに年上でも“お姉ちゃん”というのですから、いかに日本語が感覚的であるかが分かると思います。

ですので、“女”という言葉を禁止にしたところで、その人の感覚は変わらないのです。
むしろ、“女”を禁止にしたことで、“女”という言葉を使う人の感覚が言葉に出てこなくなって、その人の感覚が伝わりにくくなっています。
伝わりにくいということは、実は男が上で女が下だと思っているけど、それが伝わらないから他の行動がバレにくくなります。

女性のことを普段から“女”という人だから、ちょっと何かされただけでセクハラだとか嫌なやつだと感じるのです。常に警戒心をもって接しようと思うのです。
めちゃくちゃ紳士で2枚目の男に、ドアを開けてもらって「どうぞ。」と促されたついでに腰に手を回されても、セクハラだと感じないと思います。
womanとgirlでは、言葉からこの感覚を読み取ることは難しいですが、日本語には女性と女と女子と女の子とお姉ちゃんと色んな呼び方があるので、その呼び方とその人の行動の両方から、その人の女性に対する考え方を理解することができます。

せっかく言葉から相手の感覚を理解できる言語なのに、やたらに規制するのは間違っています。日本語は「女性のことを女という男性はこんな人。」というルールはないのですから、規制しても、相手の感覚が分からずに、そして規制を気にして、ただ気疲れするだけです。
僕はむしろ、使える言葉は多い方がいいと思っています。
“女”を禁止にするよりも、“女”と言っているその人の感覚がわかった方が、こっちも対応がしやすいです。

年末年始の漫才を観ていると、そういえばここ数年はこういった規制に対するネタが増えているなと気づきました。
僕が漫才を好きになったのは、2006年のM1でチュートリアルが優勝した時です。
その時のチュートリアルのネタは新しく買った冷蔵庫に何を入れるのかというネタと、自転車についているチリンチリンを無くしたというネタでした。
あの頃の漫才のネタは、日常を面白おかしく話しているだけで、今のような問題提起ネタはなかったと思います。

言葉の規制が厳しくなりすぎて、使える言葉や笑いの取り方が減って、とうとうお笑い芸人がロックミュージシャンみたいに、ロックな漫才をするようになりました。
音楽などの芸術で訴えるのではなく、言葉を扱うお笑い芸人がロックになるということは、それだけ世知辛い世の中が身近になってきている証拠です。
そんなこと言わなくても、そのように感じている人は多いと思います。
ネガティブ思考のような規制は、歯止めが効きませんから、嫌なら反対するしかありません。
年末年始の漫才を観ていると、数年前まで規制を黙って受け入れていたお笑い芸人が、お笑いを通じて反対運動をしているように感じました。

化粧品研究者こまっきー

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