ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

スーパー戦隊シリーズの休止に思うこと、あるいは「いつもそこにある」町の本屋の話

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大前提として声を大にして言っておきたいのは、死ぬほど寂しい、ということだ。

 

正式にスーパー戦隊シリーズの休止がアナウンスされ、これから私は「スーパー戦隊シリーズが制作されない世界」を初めて生きることになる。物心ついた頃からあまりに人生とべったりだったので、動揺というか、もはや緊張すらある。なんてこったい。

 

引用:https://x.com/sentai_official/status/1913729443979558953

 

半世紀に一度の出来事なので記録がてらまとめておくと、2025年10月30日の夕刻、共同通信など複数の報道機関から「スーパー戦隊シリーズはゴジュウジャーで終了」という報道がなされる。SNSのファンダムを中心に激震が走った訳だが、言うまでもなく公式からのアナウンスを待つ他なく、私自身も積極的な言及は避けていたのが本音である。

 

約1ヶ月後、11月24日の祝日に東映から「特撮シリーズの新ブランドが誕生」との情報開示。「2026年――、1975年から50年の長きに渡って愛されてきた【スーパー戦隊シリーズ】の枠で新たな特撮ヒーローシリーズ【PROJECT R.E.D.】が始動します」と、放送枠を維持しつつも新シリーズを開始する旨が告げられた。事実上の、戦隊休止宣言である。

 

www.toei.co.jp

 

たまに、お酒を飲みながらTwitterのスペースを開くことがあり、ひとりでダラダラと色んなことを喋っている。ちょうどこの『超宇宙刑事ギャバンインフィニティ』がアナウンスされた数日後にもやっており、話題はもっぱら、スーパー戦隊の休止。幼稚園児からずっとシリーズを追ってきたひとりとして、近年のシリーズの挑戦、その模索っぷりを、休止という結論を踏まえて聞いてくださるフォロワーに向けて話していた。キリン一番搾りは3本も空いた。

 

シリーズが挑戦してきた諸々については、このブログでも度々書いてきた。さかのぼれば『特命戦隊ゴーバスターズ』あるいは『騎士竜戦隊リュウソウジャー』あたりは、巨大戦・ロボ戦のプロセスを根底から変えようと試みた。『宇宙戦隊キュウレンジャー』は5人組や3人組といったパブリックイメージの打破を、『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』はタイトル通り2戦隊の対立という新機軸を、『魔進戦隊キラメイジャー』も令和のアップデートされた多様な価値観を戦隊の形式に落とし込む妙技をやってのけた。

 

『機界戦隊ゼンカイジャー』『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の白倉二部作では、フォーマット化されたチーム構成を根本から見直し、ルックもドラマも凸凹にして予定調和からの脱却を。『王様戦隊キングオージャー』は、過去に類を見ない映像的挑戦と物語のスケールを。そうやって近年の作品群は、あの手この手で改革を試みてきたのだ。それは、その時々のスタッフの証言、各種ネットインタビューや関連雑誌や公式読本を熟読しオーディオコメンタリーを繰り返し聴いている私が言うのだから間違いない。と、言わせてほしい。

 

だからこそ、だろうか。スペースで話したのは、こういうことだ。「近年に見られた数々の改革、チャレンジの試みは、要は『元のフォーマットを識っているオタク』にしか差異が伝わらないのではないか」「変えられる部分、変えられない部分、様々なアプローチを試みた結果、『戦隊シリーズの変えようのない型の強固さ』が逆に露呈してしまったのではないか」「これ以上変えてしまうと、仮面ライダーを含む他のヒーロー番組との差別化が難しくなり、戦隊は『戦隊である』が故に自縄自縛なステータスだったのかもしれない」。なお、肴はスーパーで買った刺身であった。

 

そんなオタクの面倒臭い語りをインターネットという名の全世界に放流してしまった数日後、朝日新聞デジタルにて白倉伸一郎・上席執行役員のインタビューが公開された。一連の流れにおいて、初めての、そして本日時点で唯一の「作り手の証言」だ。

 

www.asahi.com

 

驚異的な腹落ちというか、それがビジネスとして正しいか否かはともかく、東映の思惑という角度で捉えるとこれ以上ない内容であった。ずっとこういう話を読んできた人間なので、こういう話に殴られた時の衝撃は大きい。

 

世間に定着したからこそ「当たり前感」が強くなった。日本の文化であり、あって当たり前だからこそ、「見なくてもいいもの」と思われ始めた。東映自身も、ノウハウが50年分あるからこそ新しいものを作り辛くなっていく。エンタメが加速度的に多様化&飽和し、すでに一定の評価のある過去の戦隊作品すら配信でライバルとなる中で、あの手この手と工夫してみたものの、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至った。新たな世代が新たな戦隊を作るとしても、10年は復活するべきではない、と。

 

ず~~ん と、お腹の奥底に落ちてくる話。白倉さんはもうずっと前から『サザエさん』を例にシリーズを語ることが多く、マンネリ、フォーマット、パブリックイメージ、型、継続と変化、といったトピックにずっと言及されてきた。だからこそ、否が応でも理解できてしまう話だ。

 

 

と、まぁ、Twitterでこういうことをダラダラ呟いたところで、一通りの「納得」に終着しつつあるのであった。俺は感情と理解の整理をどれだけTwitterに頼っているんだ。

 

いや別にね、もっともらしい顔をして飲み込みたい訳じゃないです。心の中の範道大也が後方爆上面で「さすが、理屈屋だな……!」とか言ってくれるかもしれないけど、別にそれを求めてるんじゃなくて。シリーズ休止を嘆く人に正論ぶつけたい気持ちもなく、やっぱりシンプルに寂しいです。超、寂しいです。

 

しかしながら、私も一応サラリーをもらいながら経済活動の端くれにいる人間ですから。世の中では常に変化が求められること、いつかのタイミングで抜本的な仕切り直しが必要なこと、むしろ50年も継続できたことが驚異的だったこと、攻めの姿勢と挑戦こそが何より「変わらない尊さ」を守ること、分かってしまうんですよね。分かってしまう。だから、私は笑顔でPROJECT R.E.D.を応援する。そのままいつしか衰退するのと、前向きな店じまいなら、後者ですから。

 

やっぱりね、「いつもそこにある」「いつでも行ける」「だからいつも行く必要がない」という、町の本屋だったんですよ。もうきっと、ずっと前から。本棚がリニューアルしたり、フェアが催されたり、サイン会があっても、「いつでも行ける」町の本屋。そして人々は嘆くのだ、町から本屋が消えるのは寂しい、と。

 

それでも。役者さんの降板があっても意地とプライドでウルトラCを決めんとするその胆力、活力、エネルギー、ポテンシャルを秘めた唯一無二のこのシリーズと共に、ずっと生きてきたのよなぁ。

 

定食屋の例えを出しておいて本屋の例えまで持ち出す。そうやって懸命に感情を整理しようとしている、オタクのリアルタイムな記録でございます。

 

あばよ スーパー戦隊、よろしく ギャバンインフィニティ!

 

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