パリ・オリンピック開会式で、ピアノを弾いたカントロフ、雨が降りしきる中での演奏でした。
カントロフは、22 歳で挑んだ 2019 年の第16回チャイコフスキー国際コンクールにおいて、フランスのピアニストとして初めて優勝。同時にコンクールの歴史上3度しか与えられていないグランプリも獲得しました。因みに当該コンクールでは、第12回(2002年)に、日本人で初めて優勝したのが、上原彩子さん(東京藝大准教授)、第16回カントロフ優勝の時には、藤田真央君が2位(二人同時受賞)に輝きました。最近は、ウクライナとの戦争のためなのかどうなのか分かりませんが、このコンクールは開催されていません。
カントロフは、今やフランスの至宝、フランス人ピアニストとしては、アンヌ・ケフェレック .ルイサダがすぐ思い付きます。ケフェレックはラ・フォル・ジュルネジャポンの常連出場者、ルイサダはまだ健在の筈ですが、日本での公演開催の報は最近は見かけなくなりました。こうした中堅や古株を追って、若手がどんどん伸びる状況を作らないと、どんな分野でも衰退してしまいます。幸いクラシック音楽界、就中、日本のクラシック界では、そのいい循環が起きているのではなかろうかと思われます。
さて今回は、リストやラフマニノフの重量級のプログラムが予定されていました。二年前に、カントロフの弾く演奏を、タケミツホールで聴いた事があります。その時のリサイタルの記録を参考まで文末に抜粋再掲しました。今回のリサイタルの概要は以下の通りです。
【日時】2024.11.30(土)19:00〜
【会場】サントリーホール
【曲目】(曲については、配布プログラムノートを引用)
①ブラームス『ラプソディ ロ短調 op.79-1』
(曲について)
ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス (1833~1897)の「2つのラプソディ」op 79 「は1879年にペルチャッハで作曲された。 「翌年、作曲者自身が初演した際は、第1曲が 「カプリッチョ、第2曲はモルト・パッショナ ートとされていたが、出版時には「ラプソデ イ」と称された。
第1曲はアジタート(ロ短調、2分の2拍子)。 ミュゼットふうの中間部メノ・アジタート では口長調をとる。スケールの大きい情熱 的な音楽で、バラードを思わせる強く劇的 な情趣を帯びている。
②リスト『超絶技巧練習曲集S.139から 第12番「雪あらし」』
(曲について)
ハンガリー生まれのドイツの音楽家フラ ンツ・リスト (1811~86)が、本曲集の最終 稿(第3稿)を完成したのは1851年。しかし、 初稿の成立は1826年、15歳のときに遡る。
1830年代に大きく改訂され、39年に『24 の大練習曲』として実際は全12曲で出版さ れた。さらに、1851年に全体が改訂され、 そのうち10曲にタイトルを付して今日知ら れる『超絶技巧練習曲集』のかたちで翌年 に出版。作品は1839年版同様、恩師チェル ニーに献呈された。
掉尾を飾る第12曲、変ロ短調の「雪あらし」 は、アンダンテ・コン・モート。雪が舞うよう な幻想的な雰囲気のなか、技巧的なパッセ ージが劇的に展開されていく。
③リスト『巡礼の年第1年「スイス」S.160から「オーベルマンの谷」』
(曲について)
20代前半のリストの若き情熱は、6つ歳上 のダグー伯爵夫人マリーに向かった。彼女がリストの子を身ごもるとゴシップ渦巻くパリを離れ、ふたりの愛の逃避行は「巡礼の年』 の4集をなす連作に反映されていく。その『第1年』は、1835年にふたりが落ち 合い、翌年まで訪ねたスイスの印象にもと づく。先に出版された『旅人のアルバム」の なかの7曲を改訂、2曲を追加して1855年 に出版された曲集である。ここまでで、すで に20年もの歳月が流れている。
「オーベルマンの谷」はその第6曲で、第8曲 「郷愁」とともに、エティエンヌ・ピヴェール・ ド・セナンクールの『オーベルマン」、主人公 の精神遍歴を描いた人気小説に触発された 創作。
④バルトーク『ラプソディ op.1 Sz.26』
(曲について)
トランシルヴァニア出身のバルトーク・ ベーラ (1881~1945)が、真のハンガリー 民謡の魅力に目覚めるのは、「ラプソディ」 Sz. 26を1904年に作曲するいっぽうで耳 にした、隣家の家政婦の歌がきっかけだっ た。幼い頃からピアノを得意とした彼はり ストやドホナーニに憧れて、自作自演で鳴 らす19世紀風のヴィルトゥオーゾを志す が、ブダペスト王立音楽院では民族主義的 な作風をとる作曲を試みていた。「ラプソデ イ」はそこまでの模索の最終的な結論とも なった作品で、これがバルトークのop.1と して出版された。曲は、ハンガリーの舞曲様式ヴェルブン コシュを模した対照的な二部分による構成 をとり、メストで始まり、トランクィロ〜 プレストとテンポを速めていく。リストが 好んで口短調ソナタなどに用いた循環形式 にも似て、緩徐部で示されたモティーフが 急速舞曲部でも用いられている。
⑤ラフマニノフ『ピアノ・ソナタ第1番 ニ短調 op.28』
(曲について)
帝政ロシアに生まれた大ヴィルトゥオーゾ、セルゲー・ラフマニノフ(1873~1943)の ピアノ・ソナタには、ゲーテの『ファウスト』に 触発されて1907年にドレスデンで作曲さ れた第1番ニ短調op.28と、1913年、ロー マで着手した第2番変ロ短調op. 36の二作品 がある。
最初のソナタは、交響曲第2番ホ短調を手 がけていた時期に書かれた大作。リストの 『ファウスト交響曲』の枠組みをふまえ、 ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェ レスをそれぞれ大きく象徴する3つの楽章 を構想。同窓の友人マローゾフや翌年に モスクワで初演を手がけるイグムーノフには 標題の説明をしていたが、結局は背景を公 に明かさず、標題は破棄。長大さを懸念する 友人たちの忠告を受け、両端楽章に大幅な カットを施し、そのかたちで1908年に出版 された(初稿はラフマニノフ批判校訂版全集 で2023年にようやく出版)。
曲は、アレグロ・モデラート(ニ短調~二長 調)、レント(ヘ長調)、アレグロ・モルト (二短調)の3楽章構成。
⑥J.S.バッハ(ブラームス編)『シャコンヌ BWV1004』
(曲について)
ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685~ 1750)の「チャッコーナ(シャコンヌ)」は、 1720年に浄書された無伴奏ヴァイオリン 曲集のうち、パルティータ第2番ニ短調 BWV1004を堂々と結ぶ終曲。3拍子の舞曲 としての性格をもち、低音旋律の和声進行 にもとづき、長大な変奏を展開していく。
ブラームスは「シャコンヌは私にとっ て、もっとも素晴らしく、もっとも深淵な る音楽作品のひとつ」とクララ・シューマン に書き送り、ピアノ左手のために編曲した。 1852年、62年頃、77年にかけて編曲された 『5つのピアノ練習曲』の掉尾に収録。そのうち ショパンとウェーバーによる2曲は1869年、 バッハによる3曲は78年に出版されたが、 左手への編曲は本曲だけである。
【主催者言】
アレクサンドル・カントロフのリサイタル が、これからはじまる。うれしいのだが、 どこかおそろしくもある。音楽には天使も悪魔もいる。それは、私た ちの心がそのような劇性に惹かれるだけで なく、なにかしら魔的な力は、光にも影にも 転化する危うさをもっているからだ。ときに 美というものは、そのように私たちを不意 に訪れ、また私たちを無情に拒む。アレクサンドル・カントロフのピアノを 聴こうとすると、どうしてもそのような邪念 にとらえられるが、それも束の間の幻影。 彼の心身が鍵盤に触れた途端、すべては 音楽の触手に絡みとられる。ここから生成 し消滅していく響き、それはかつて天才た ちが心身を窶した創造の只中。あるいは、 個々の葛藤を超えて宿命的に生きるしか ない、直観と本能が導く過酷な道行きだ。
ブラームス、リスト、バルトーク、ラフマ ニノフ、そしてバッハ=ブラームスで円環を なすように昇華していく情熱のプログラム。 いずれもカントロフが愛奏する作曲家で、 しかもリストの2篇を除き、近年アルバム・ レコーディングにも続々とまとめてきた曲 たちが並ぶ。
ブラームスは幕開けのラプソディ。バッハ の編曲ともに、後期連作に先立つ創作で ある。リストの2曲は若書きを後年になって 改訂したもの。人生の時が交錯する。バルト ークは音楽院時代を締め括るラプソディ op. 1。ラフマニノフは壮大な労作、最初の ピアノ・ソナタだ。どの作品にも、精神に かたちを与えんとする激しい希求と葛藤が 生々しく刻印されている。
どうやら喋りすぎたようだ。しかし音楽 が響き出せば、私たちの心は耳に、耳は目に なって、ここからの時間と空間に拡がる、 精神の劇と魂の漂泊の光景をつよくみつめ るだろう。青沢 隆明(音楽学者)
【演奏の模様】
会場は多くのカントロフファン、特に若い女性の観客の姿が多く見受けられました。この演奏会も売り切れ満員、最近聴きに行ったオーケストラ演奏会なども超満員、この円安インフレの中でのクラシック熱は何なのでしょう?
いつもの様に袖からスタスタと速足で登場したカントロフ、挨拶もそこそこにピアノに向かいました。今回の選曲は、文末に再掲した一昨年のリスト中心の選曲と同じ傾向と、それにラフマニノフをミックスしそれから恐らく彼はブラームスが気に入っているのでは?と思われるのですが、そのブラームスの曲も入っています。そして最後はバッハに辿り着くのでした。
カントロフの演奏スタイルは、背筋をピンと伸ばし、両手を鍵盤に平行気味に位置させ、指をしなやかに鍵盤上を移動させていました。時には上を仰ぎ、時には背を少し丸め気味にして鍵盤を叩き、腰を浮かして強打する時も有りました。
①ブラームス『ラプソディ ロ短調 op.79-1』
ラプソディは「狂詩曲」とも謂われ、ブラームスのラプソディ二曲のうち、第1曲の演奏でした。A~B-Aの構造。Aの構造は冒頭から速いパッセッジで軽やかにカントロフは軽やかな音色をたてました。手の平は鍵盤にほぼ平行に、どちらかと言うと指は余り立てず結構力を入れている様ですが、強奏とまではいかない、テーマを何回か繰り返し、Bに移ると最初綺麗な旋律が流れすぐに強奏でテーマ奏に代わります。クリッサンドに近い打鍵の凄く速い上行奏(スケール)も数回刺し挟み、そして再度最初の構造に戻り、カントロフは結構力を込めて弾いていました。
いかにもブラームスらしい響きも含まれていて短いけれども、聴き応えのある演奏でした。
②リスト『超絶技巧練習曲集S.139から 第12番「雪あらし」』
この曲はタイトルにもある様に、指がよくこんがらからないのが不思議な位、速い両手の動きに、右手の規則正しい跳躍音が重なり、将に粉雪舞うチラチラした状況をカントロフは力強いタッチの指使いで見事に表現していました。
③リスト『巡礼の年第1年「スイス」S.160から「オーベルマンの谷」』
演奏を記す前に、『巡礼の年』について調べると次の通りです。
巡礼の年(巡礼の年報とも訳される、フランス語:Années de pèlerinage)は、フランツ・リストのピアノ独奏曲集です。『第1年:スイス』『第2年:イタリア』『ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)』『第3年』の4集からなり、20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、リストが訪れた地の印象や経験、目にしたものを書きとめた形をとっていて、若年のヴィルトゥオーソ的・ロマン主義的・叙情的な作品から、晩年の宗教的、あるいは印象主義を予言するような作品まで様々な傾向の作品が収められており、作風の変遷もよく分かります。
『第1年:スイス』 (Première année: Suisse) S.160は、1835年から1836年にかけて、リストがマリー・ダグー伯爵夫人と共に訪れたスイスの印象を音楽で表現したもので、これらの曲はまずは3部19曲からなる『旅人のアルバム』としてまとめられ、1842年に出版されたが、このうち第1部の5曲と第2部の2曲を改訂し、さらに2曲を追加して1855年に出版されたのが『巡礼の年 第1年スイス』なのです。第6、8曲はセナンクールの小説『オーベルマン』から、標題が取られています。今回カントロフが弾いた曲は、その第6曲です。冒頭からゆったりした暗い旋律でさらに何か悲しい、(曲について)にある様に、道ならぬ道を歩む愛憎劇の嘆きを表現しているカントロフは、次の瞬間は非常に美しい天国の様な調べが差し挟まれ、これ等がカントロフの左右の手の交差演奏によって交互に現れ、心の襞を表すカントロフの演奏は、素晴らしいものでした。曲自体も中々味わい深いものでした。
④バルトーク『ラプソディ op.1 Sz.26』
以前、バルトークと言うと弦楽四重奏等弦演奏など弦楽曲を多く聞いて来て、その中の民族的響きを有する位の認識はあったのですが、いつだったかピアノコンチェルトが技術的にも素晴らしく高度な曲であり、大きなピアノコンクールの最終課題曲にも入っていることが珍しくないということが分かった時、この人は何者なのだと調べたら、何と元はピアニストだったというではないですか。それ以来認識を改めたのですが、現実に彼のピアノ曲演奏を聴く機会はほとんど有りませんでした。今回のカントロフのリサイタルに「ラプソディ」と題して選曲されていたので、どんな曲か期待していました。そしたらカントロフの演奏は低音域でしっとりと鳴らす上行する次第に高揚感の有る調べでスタート、高音パッセッジと低音パッセッジの掛け合い的旋律から次第に本格的な複雑な和声が混入した緩急入り乱れた後はコロコロと音を転がし、これまでのブラームスやリストとは一味違う音の饗宴を繰り広げました。どちらかと言うとリスト的和声法の展開かな?基本に戻ったかの様に何回も丹念に音を繰り出すカントロフ、後半になると急激にテンポは加速され高音の旋律にはやはり民族調のニュアンスが混入した響きが有り、しかし高速運転は暴走はしてはいなくよくコントロールされたレース運びクリサンドが何回も(多分4回あったと思います)上行するとスピードは急速から減速、そして再加速→減速安全運転の滔々とした旋律奏、その中には大抵高音の跳躍音が混入されて、一種の清涼感が出ていました。最後の微音の調べがとても美しく表現されていました。
以上の前半四曲は休みなしの一気通貫で演奏されました。良く知っている曲ならまだしも、例えば知らない交響曲をアッタカですぐ次楽章に移った場合、楽章の区切りが分からなくなってしまうことがあるのと同様に、今回も前半最終のバルトークの曲の出だしが分かり難いものが有りました。一曲演奏が終わる毎に舞台から袖に戻って、また次の曲を演奏する必要はありませんが、曲と曲との間に一呼吸置いて、次曲をスタートすれば、間違いはないと思います。あ、それから追記すれば、今回は舞台の背景、即ちパイプオルガンの下の所謂P席はチケットが販売されなかった様で、全席空席になっていました。
《20分間の休憩》
⑤ラフマニノフ『ピアノ・ソナタ第1番 ニ短調 op.28』
〇全三楽章構成
第1楽章 「アレグロ・モデラート」
第2楽章 「レント」
第3楽章 「アレグロ・モルト」
最初の楽章、中音域でのゆっくりした静かな調べで恰も謳うが如き演奏がなされたと思うやすぐに急速加速される速いパッセッジ、時々速度をゆるめて演奏されましたが、緩急相半ばするパッセジの複雑さはあっても総じて歌うが如き旋律美が優勢な楽章でした。
こうした緩急緩の変化と強→弱→ ⇒ の変化を丹念になぞって演奏するカントロフには何か物に憑かれた様な雰囲気を醸し出していて、人が近づき難い空気を呼気している様な気がしました。
第2楽章の初盤はとても美しいメロディをカントロフは流し続け強奏部に至るまで十二分にピアノを謳わせていたのです。速い強奏もつかの間、今度は別テーマのこれまた美しい調べが静かに流れるのでした。背をピンと張って顔を上向きにしてこれらを弾くカントロフは天の花園でも瞼に浮かべて弾いているのか?と思える程。
3楽章、カントロフは獲物を狙う鷹の様な、鋭い目をして鍵盤を睨み、強いリズミカルな調べを、指間からはじき出し始めました。うねる旋律、寄せては去り、去っては寄せる波を想起出来る様な変化。続くゴムマリが弾む様な調べは、すぐに速いかなりの強和音奏へと進むものの全体としてうねりにうねる調べの傾向は続きました。その強奏の波が引くと、強中弱有りで、又静まるもののこうした起伏に富んだ(全体としては強奏と言って良いレヴェルの)演奏をカントロフは全然衰えぬスタミナで、最後これ以上ないと思える程の強打鍵で弾き切ったのでした。
⑥J.S.バッハ(ブラームス編)『シャコンヌ BWV1004』
初めて聴いた曲でした。知らなかった、この曲が左手のための曲とは。
聴く以前は、ブラームスが編曲した様だし、バッハの曲だというし、何かブラームスぽい旋律美に編曲された、バッハ色がかなり減殺された曲なのかな?くらいにしか考えていませんでした。それがカントロフが右手を右ひざの上に置き、左手で弾き出したので、いつ右手がどの様に入るのか注視していましたが、中々右手が鍵盤に添えられないのです。暫くその様子を見ていて、あれ?これってひょっとして右手を使わない曲なのかな?と思い始めたのです。そしたら途中のかなりの強奏箇所に来たら、カントロフはその右手を膝からピアノの筐体の右前方に持っていき、ピアノに掴まりながら、左手に力を込めて強旋律を弾き始めたのです。相当の強打鍵、左指・左手に相当の力を込めて折り重なった速い音を繰り出すには左腕に力を入れるための支えが必要となったのでしょう。こうした演奏スタイルで、強奏が済むと再び右腕はピアノから自分の体に戻し、結構長い時間(16分位)カントロフは弾いていました。
曲としては、とても片手だけで弾いているとは思えない重層的、フーガを思わす様な分厚い調べが迸り出ている、しかもその変化は将にバッハだったらこの様な旋律の響きがあってもおかしくないと思わす、将に名人芸の素晴らしい曲でありそれを表現させたカントロフの演奏でした。この曲は一節によれば、クララ・シューマンが、怪我で右手が使えない時期があり、シューマン亡きあとクララが演奏会で主な収入を得ていたことを知っていたブラームスは、早速、左手のための作品を作り上げて、クララに捧げたそうなのです。それは昔のことなので有っても無くてもいい話しなのですが、興味あるのは、何故、カントロフが今回の演奏会でこの曲を選曲したかでした。その心は、どこにも書いてない、プログラムノートにもありませんでしたが、自分勝手に推測すると、カントロフは、オリンピックを讃えるビアノ演奏を開会式に行った訳ですから、もう一つのオリンピック、即ちパラリンピックのことが頭から離れなかったのではなかろうか?そこで、体の不自由な人でも、こんなに良い素晴らしい曲を演奏出来ますよと、体の不自由な人々に励ましのメッセージを送ったのではなかろうか?と思ったのです。
以上の様に感動大なるものがある演奏会でしたが、出来る事ならフランスの作曲家のピアノ作品も沢山存在する訳ですから、そちらも聴いてみたかった気がします。尤もフランスの曲は軽妙、洒脱な作品が多いですから、重量級のカントロフの演奏スタイルには合わないのかも知れません。
演奏が終わると、会場はかなりの興奮状態。立って拍手をする人達も多くいました。
鳴り止まぬ拍手喝采にカントロフはアンコールで以て答えました、。しかも二回、二曲のアンコルでした。
《アンコール曲》
①リスト『イゾルデの愛の死』ワーグナーs447
②シューベルト『宗教的歌曲S562R247』より第1曲《連祷》
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2022.7.1『アレクサンドル・カントロフ/ピアノリサイタル』(HUKKATS Roc抜粋再掲.)
【日時】2022.6.30.19:00~
【会場】東京オペラシティ・タケミツホール
【出演】アレクサンドロフ・カントロフ(ピアノ)
<Profile>
22歳で挑んだ2019年チャイコフスキー国際コンクールにおいて、フランスのピアニストとして初めて優勝。16歳で、ナントとワルシャワのラ・フォル・ジュルネ音楽祭から招かれシンフォニア・ヴァルソヴィアと共演して以来、数多くのオーケストラからソリストとして招かれ、とりわけゲルギエフ指揮/マリインスキー劇場管弦楽団とは定期的に共演を重ねている。これまでに、ピエール=アラン・ヴォロンダ、イーゴリ・ラシコ、フランク・ブラレイ、レナ・シェレシェフスカヤらに師事。
アムステルダムのコンセルトヘボウ、ベルリンのコンツェルトハウス、フィラルモニー・ド・パリ、ブリュッセルのボザールなどの一流ホールで演奏を披露し、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭、ジャコバン国際ピアノ音楽祭、ハイデルベルク春の音楽祭などの著名な国際音楽祭にも出演している。
録音では、デビュー・アルバム「À la russe」(BIS)が、クラシカ誌の年間最優秀ショク賞に輝き、ディアパゾン誌、ピアノニュース誌の特薦盤に選ばれるなど、広く注目され高い評価を得る。BISレーベルからは、「リスト:ピアノ協奏曲集」、「サン=サーンス:ピアノ協奏曲第3・4・5番」(ディアパゾン・ドールと年間最優秀ショク賞2019を受賞)、「ブラームス、バルトーク、リスト」(ディアパゾン・ドールと年間最優秀ショク賞2020を受賞)がリリースされている。
2019年、フランス批評家協会賞の年間最優秀新人音楽家部門を受賞。20年には、先述のサン=サーンスの協奏曲アルバムで、フランスの最も権威ある音楽賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジク・クラシック」の2部門(年間最優秀録音部門/年間最優秀器楽ソリスト部門)を同時受賞するという快挙を成し遂げた。
サフラン財団賞およびバンク・ポピュレール財団賞を授けられ、助成を受けている。
【曲目】
①リスト『J.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲 S.179』
②シューマン『ピアノ・ソナタ第1番 嬰へ短調 op.11』
③リスト『巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番』
④リスト『別れ(ロシア民謡)』
⑤リスト『悲しみのゴンドラ II』
⑥スクリャービン『詩曲「焔に向かって」』
⑦リスト『巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」』
【演奏の模様】
今日のカントロフの演奏を聴き終わって先ず思ったことは、岡本太郎ではないですが、”音楽は爆発だ!!”ということ。カントロロフの演奏は将に若さが炸裂したエネルギーの発散がありました。しかもその勢いは尋常でないメガトンクラスのもの。
演奏曲目には、シューマンとスクリャービンが入ってはいますが、ほとんどリストです。オールリストプログラムに近い。何も勘繰る訳では無いのですが、こうした時期にフランスのピアニストがリサイタルで選曲したプログラムは、非常に興味深いことです。彼は、2014年第16回チャイコフスキーコンクールピアノ部門の覇者です。そう日本の藤田真央君が二位になった時です。コンクール後来日公演があるだろうと思っていましたが、一向に現れず、真央君のみが国内演奏会で活躍が目立っていました。そうこうしているうちにコロナが広がってしまい自分の中では、最近まで忘れていたピアニストでした。今回が初来日かと思ったら、昨年一度来日公演した模様、知らなかった。調べると、トッパンホールで、ブラームスやリストを弾いた様です。ブラームスの曲は今回のプログラムには入っていませんが、アンコールで幾つか弾きました。
カントロフが今回リストの曲を多く選んだことは、同じピアニストとしてリストに一目置いている証しではないかと思う。カントロフは、かってパリでショパンが世に出る助けをし、自らもパリ等で大活躍したリストの名声を知っているに違いない。如何にリストが素晴らしいピアニストだったかは世に知られたことですが、参考までリストの生涯を文末に掲載しておきました。
カントロロフは若しかしてリストみたいなピアニストになりたいと考えているのかも知れない。
さて演奏の方は、すたすたと速足で登壇したカントロフはあごひげ(無精ひげかな?)を蓄えた細身の背高の若者でした。ピアノまで10歩で到達していた。ピアノの前に座ったピアニストはしばし精神を統一してから弾き始めました。
①リスト『J.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲 S.179』
この曲は、リストが1859年に作曲し、1863年に出版されました。バッハのカンタータをもとにしています。
バッハの原曲は、1714年 4月22日、復活節後第3日曜日に初演さ れた作品で、ワイマール宮廷楽師長就任第2作です。曲はオーボエの印象的な、悲嘆のシンフォニアから始まります。本当 に、このシンフォニアはバッハそのままという曲で、単独でも良く 演奏されます。BWV21のシンフォニアなどと並ぶ傑作と言えるでしょう。
第2曲の合唱が、何と言ってもこのリストの曲の目玉です。「泣き、歎き、憂い、 怯え」("Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen")と、類語を畳みかけるように歌う歌 詞も良いが、これは、ミサ曲ロ短調の「十字架に架けられ」("Crucifix") と同じ曲なのです。正確に言うと、この曲がミサ曲ロ短調に転用さまし た。この曲の旋律は「不協和音」の美の極致のようなもので、悲痛なうなり声が聞こえるが如きなのですが、ピアノによるカントロロフの表現は、将に ”悲痛なもの ”でした。演奏時間は、5分程度の短い曲。
続いて、直ちに次曲に移りました。
②シューマン『ピアノ・ソナタ第1番 嬰へ短調 op.11』
です。
この曲は、1832年から1835年にかけての作で、1836年に出版されました。幻想曲や変奏曲といった小品に取り組んできた作者の初めてのソナタ形式の大作でクララに捧げられました。四楽章構成。約30分の大曲です。
〇第1楽章 Introduktion:un poco Adagio-Allegro vivace
〇第2楽章 Aria:Senza passione, ma espressivo
〇第3楽章 Scherzo e Intermezzo:Allegrissimo
〇第4楽章 Finale:Allegro un poco maestoso
この曲は多くの先人ピアニスト達が演奏し、録音として残っています。
カントロフの演奏は、そういったものの中で最右翼に出る硬派演奏と言えるでしょう。
冒頭のシューマンらしいすぐそれと分かる特徴ある旋律がやや分かりずらい気がしました。すぐに速い軽快なリズムの音が迸り、カントロフはそのまま疾走しました。続く
一楽章中程のゆったりしたメロディは綺麗に表現、こうした美しい旋律はその他2楽章の最初のロマンティックな調べ等で見られましたが、しかしカントロフはこうした歌う箇所よりも強打鍵で激しく力演する箇所の表現が得意かな?とこの時は思う程の強さでピアノを叩いていました。
4楽章の不協的響きの速いテンポのパッセージ後の相当速いテンポで続く何回か低速になって息を継ぐと思いきや再度猛ピードでFinaleに突入して曲を終えた瞬間、カントロフは、心なしかホッとした表情を見せたように思えました。
ここで感じたのは、旋律的に謳う箇所と速いリズム中心の強い箇所の力の配分を最適に加減出来れば最高の演奏になるであろうということでした。
①と②の演奏で50分前後かかり、ここで20分の休憩に入りました。
休憩にホワイエに行ってみると多くの客で一杯でした。女性客が多い、7~8割もいたのではないでしょうか。演奏が始まる前ホールを振り返ってみたら超満員でした。今日はカメラが入っていて、館内放送は無かったのですがどうもNHKが入っていた模様です。何れの日にか放送するのでしょう、きっと。
後半の曲は次の③~⑦の五曲でしたが、カントロフは何とこれを休みなしに、一気通貫で演奏したのです。時々これをやるピアニストがいますね(最近聴いた、指揮者の上岡さんのピアノリサイタルの時もそうでした)。多分時間の関係も有り、又演奏者の力を休憩で損なわない様にする場合もあるのでしょう。でも聴く方としては(少なくとも自分の場合は)、せめて同じ作曲者の範囲に留めて欲しい、今度は別の作曲者だなと気持ちをチェンジする数分の間が欲しい、気がしました。特にスクリャービンの演奏は別ということを明確にして欲しかった。リストの演奏に埋没していました。
③リスト『巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番』
④リスト『別れ(ロシア民謡)』
⑤リスト『悲しみのゴンドラ II』
⑥スクリャービン『詩曲「焔に向かって」』
⑦リスト『巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲<ダンテを読んで>』
『巡礼の年』はリストの20代から60代マで二断続的に作曲したものを集合したピアノ独奏曲集です。「第1年スイス」「第2年イタリア」「第2年補遺:ヴェネツアとナポリ」「第3年」の4集から成り、作風の変遷もよくわかります。「泉のほとりで」、「ダンテを読んで」、「エステ荘の噴水」などが特に有名。今日の最後に、この「ダンテを読んで」が演奏されたのでした。
この中でやはり最後の⑦の曲が聴いていて自分としては一番気に入りました。リストは文末掲載の資料にもある様に、ウクライナの富豪夫人ウィックと恋仲になり法王に離婚を求めてローマ入りしたカトリック教徒のウィック夫人の後を追ってローマに定住したのです。恋の道ははるかなるかな!盲目かな!ですね。その時僧籍を得たリストは、
この曲は1840年代には既に出来ていたと思われ、定住前に何回かイタリアに行ったことのあるリストはダンテの「神曲」は読んだことがあったのでしょう(「神曲」は当時の欧州に於いては、バイブルの次という位置づけがなされ、一般教養として広く知られていたのです)。
カントロフの演奏は、時に肩、背を丸め、頭を鍵盤上に落とし、丹念に鍵盤をなぞったかと思うと、激しく打鍵して、一気呵成に鍵盤上を指が行き交い、迫力満点の演奏の箇所が大部分でした。指使いもその時々により自由自在に変化させ、ある時は指を丸めて旋律を紡ぎ出しある時は指を立てて手、腕の力を指に移してフォルテシモをはじき出し、至る所で腕を交差して左手の跳躍音、或いは両手での交差演奏等聴くだけでなく鍵盤上を指を動かす演奏の様子も、良く見える座席だったので堪能出来ました。勿論強奏だけでなく高音域を指でなでるようにして柔らかいピアニッシモの音を出していたし、美しく綺麗な音をたてて、ピアノを歌わせる個所も少なくなかった。
技巧的にも音楽性の表現も、カントロフはかなりの高味に到達していると思われた一日でした。
鳴りやまぬ拍手に対してすたすたと出て来たカントロフはおもむろにピアノに向かいアンコール曲を弾き始めました。先月観に行ったばかりのグルックの①オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』から<精霊の踊り(ズガンバーティ編)>でした。この曲は元々はフルートの曲ですが、ピアノの演奏もいいですね。精霊(役のダンサー)が曲に乗ってバレエを踊るには、ぴったりのピアノ曲でした。その他続いて5曲、都合6曲もの曲がアンコールで演奏されました。これは出血サービスとも言えますね。聴く方としては皆大喜び。
②ストラビンスキー(アゴスティ編)『バレエ火の鳥より<フィナーレ>』
③ヴェチェイ(シフラ編)『悲しきワルツ』
④ブラームス『4つのバラードOp.10から第2曲』
⑤モンポウ『歌と踊り』Op.47-6
⑥ブラームス『4つのバラードOp.10』から第1曲