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テレビはシロートなんですが、テレビの話が続きます。今朝の朝日新聞によるとNHKの受信料制度について、BSデジタル放送をスクランブル化するべきだという答申が出ることになったそうです。さらに、地上波についても
地上デジタル放送でのスクランブル化などについて政府として統一的な見解をまとめる必要性を指摘した
んだそうで、
竹中氏は、政府が毎年6月に改革の方向性を示す「骨太の方針」にNHK改革について盛り込みたい考えとみられる
とのこと。
受信料を払わないと視聴できないようにすることで、番組見たさのために受信料を払う人が今より増えるだろうというソロバンをはじいたわけですが、はたしてそうなるでしょうか。
ちなみに私はNHKの受信料を払っています。一定の信頼をおけるニュース源として、また、良質な番組を制作していることに敬意を表してその対価のつもりで払って来たつもり、まあ実際のところ支払拒否をする勇気もない小市民的として惰性で払ってきたのですが、NHKが地上波も含めて完全にスクランブル化されたとき、払いつづけるかどうかは微妙な予感がします。
今は、NHKの番組は受信料を払っていない人でも見ることができます。しかも、法の規制もあって、全国津々浦々、どんな辺鄙なところでもNHKだけは受信できるように(ものすごいコストをかけて)設備が整えられています。このおかげで、NHKは日本国民のほとんどと言っていいぐらい多くの人にリーチできる、影響力の大きいメディアです。私は、たいていの人はNHKが発する情報には接しているという前提で、日常の会話の中でも「今朝の7時のニュースでさぁ……」とか「今度のNスペ、おもしろそうじゃない?」という具合にNHKのコンテンツについて言及します。これは、NHKのコンテンツがエライからというよりは、受信料を払っていない人も含めた大多数の人がNHKのネットワークに接していること、あるいはネットワークのリーチが普遍的であることを期待しているからと考えることができます。
そこで、もし、ある日NHKがスクランブル放送だけになったとき(朝日新聞の記事にあった竹中という人が「骨太」にゴリゴリやれば早ければ2011年にその日がやってくるかもしれません)、はたしてそれと同じ価値をNHKに感じることができるかと考えると、たぶん私は感じないような気がするのです。番組を参照して話をしても、その話に共感できる人が一部の人であったならば、たぶんNHKの番組は参照しない。参照先の普遍性を求めるならきっとそのころも健在であろうWebのポータルのほうがはるかにリーチが大きいだろうし、専門性を求めるならもっと文脈的に適切な、より狭いソースがいくらでもあるような気がするから。
こうやって参照する人が減り始めると、ネットワーク外部性がマイナスに効いて、NHKのネットワークとしての価値は急激に落ち(メトカーフの法則)、ネットワーク価値が落ちるとますます求心力を失って、視聴者=受信料を払う人が減っていき、ついに物理的な全国ネットワークも維持できなくなる、というのが私の仮想シナリオ。
悲観的過ぎますか?
でも、その前に、サーバー型“放送”とかなんとか言って、ちゃっかりオンデマンド配信の準備をしているあたり、なんだかシロート目にもあざとい気がします。……とっとと観念してIP配信でもなんでも「骨太」に始めちゃえばおもしろいのに。
やさんのコメント:
受信料を払ってまで見るほどのことはやってないような気がします。
NHKが思っているほどにはNHKは見られていないんじゃないでしょうか。 スクランブル放送なんかにしたら、視聴率は激減するように思いますね。
(NHK山形なんて最低ですよ。 あんな番組を放送していて受信料を取るなんて、ほとんど詐欺行為です。)