「海軍はステバチ的なり」驚いた天皇 立憲君主的な流儀は戦争防げず

有料記事100年をたどる旅~未来のための近現代史~

編集委員・北野隆一 田島知樹
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デモクラシーと戦争③ 天皇も抗えなかった「勢い」

 歴史の節目に、繰り返し登場する言葉がある。

 「勢い」だ。

 敗戦後まもない時期、初代宮内庁長官を務めた田島道治(みちじ)が昭和天皇との会話を書きとめた「昭和天皇拝謁(はいえつ)記」にも、何度も出てくる。

 1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾やマレー半島を攻撃し、宣戦布告した。米英などに対する太平洋戦争の開戦である。45年の終戦後、昭和天皇は田島ら側近に対し、「勢い」「大勢」という言葉を使って「開戦は止められなかった」との発言を繰り返した。

 例えば50年12月26日。「兎(と)に角(かく)軍部のやる事はあの時分は真に無茶で、迚(とて)もあの時分の軍部の勢(いきおい)は誰でも止め得られなかつたと思ふ」と天皇は述べた。52年5月28日にも「今回の戦争はあゝ一部の者の意見が大勢を制して了(しま)つた上は、どうも避けられなかつたのではなかつたかしら」。53年5月18日にもこう語っている。「私など戦争を止めようと思つてもどうしても勢に引(ひき)づられて了(しま)つた」

 昭和天皇だけではない。開戦直前の41年10月まで首相を務めた近衛文麿(このえふみまろ)も、40年に結んだ独伊との三国同盟は「必然の勢」だと述べていた。

100年をたどる旅―未来のための近現代史

 世界と日本の100年を振り返り、私たちの未来を考えるシリーズ「100年をたどる旅―未来のための近現代史」。今回の「デモクラシーと戦争」編では、民主的な政治形態がしばしば戦争や抑圧を防げなかった経緯をたどりながら、現代の世界にもたらしている教訓を探ります。第3回と第4回のテーマは「勢い」です。

開戦は「目先のストレスが最も少ない道として選ばれた」

 「勢い」の概念の源流は江戸…

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この記事を書いた人
北野隆一
編集委員
専門・関心分野
北朝鮮拉致問題、人権・差別、ハンセン病、水俣病、皇室、現代史
田島知樹
文化部|文化庁担当
専門・関心分野
文化政策、国際政治、特に欧米の外交史
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    岩尾真宏
    (朝日新聞名古屋報道センター長代理)
    2024年12月29日8時12分 投稿
    【視点】

    戦後に価値観が急変した状況下での言葉という一面はあると思いますが、拝謁記の中で昭和天皇は戦争について様々に語り、「勢」を口にしています。記事中にある「今回の戦争はあゝ一部の者の意見が大勢を制して了(しま)つた上は、どうも避けられなかつたので

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