凍死する赤子、届かぬ支援…「お国のため」隠された大震災から80年
伊藤智章 松島研人
80年前の7日午後、紀伊半島南東沖でマグニチュード7・9の巨大地震が発生した。三重県や静岡県など7府県で約1200人の死者を出した昭和東南海地震だ。戦争末期、軍が被害情報を抑え、「隠された地震」とされる。今なお災害の記憶の継承に影を落としている。
裁縫の授業の準備をしている時、太平洋に面する紀伊半島の漁村を激しい揺れが襲った。
三重県長島町(現・紀北町)の国民学校4年生だった加藤二三子さん(89)=同県鈴鹿市=が校庭に出ると、何本もの地割れが走っていた。近くの砂浜へ向かおうとしたら、「津波がくるぞ」と叫び声がした。
裏山へ急いだ。眼下の町を、津波が襲う。舟は橋にぶつかり、家は沖へと流された。
その晩、親族と山で野宿した。叔母が抱いた、生後1カ月弱の赤ちゃんは冷気で凍え、顔は紫色に。医者も徴兵されており、ようやく見つけた老医は「凍死です」と告げた。
後を追うように叔母も…伏せられた被害
近くの寺の6畳1間に親族1…
- 【視点】
旧日本海軍の機動部隊が、ハワイ・真珠湾にある米軍基地を奇襲攻撃したのは1941年12月8日(現地時間7日)。直前には陸軍も英領マレー半島へ上陸し、太平洋戦争が始まりました。昭和東南海地震の発生翌日の44年12月8日は、この戦いが4年目に突入
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