元大使館職員のアフガン難民、日本で困窮 ウクライナと支援に差
アフガニスタンの政変で日本大使館の現地職員らの退避が本格化して、今月で2年になる。日本で学んだ元留学生らも含め800人超が日本に逃れ、280人以上が難民認定を受けた。だが、その多くは生活難に陥っているという。難民の受け入れの少なさが問題になってきた日本で、受け入れ後の課題も浮き彫りになったかたちだ。
埼玉県内で暮らす夫婦は今年8月、子ども2人と共に難民認定された。日本での身分は安定したものの、先行きは不安だ。
母国では、夫婦共に医師だった。夫は病院長を務め、自ら医院も営んでいた。だが、大阪のカトリック教会の支援で昨年春、親戚がいる日本にたどり着いた時は、無一文に近かった。
一昨年8月に権力を掌握したイスラム主義勢力タリバンが銀行を閉鎖し、預金を下ろすこともできなかった。
いまは夫や17歳の長男が弁当工場のアルバイトで稼いでいる。時給は1150円で仕事が少ない日もある。夫は工場の仕事に慣れない。「仕事が遅い」ときつく言われたこともあるといい、心身をすり減らしている。
同じ工場では、大学教授だったアフガン難民も働いているという。
米国に逃れたアフガン人の医師仲間は、現地の医師免許を取得するため、研修を受けているという。日本で夫婦が医療に携わるには日本語や制度の問題があり、生活で精いっぱいの状況では難しそうだ。
「少なくとも命は助かった」。妻は自分を納得させるように言った。「私たちも日本の役に立ちたいが、チャンスがない。医師でなくてもいいので病院で働きたい」
難民認定された人には、国の委託を受けた難民事業本部(RHQ)が半年間の「定住支援プログラム」を提供。基礎的な日本語教育や就職の手伝いをする。アフガン難民には追加的な日本語の授業も始めたが、十分とは言いがたい。
首都カブールの日本大使館で勤務していた元現地職員の一人は「半年間ではとても就職できるレベルの日本語は身につかない」と言う。
アルバイトをしながら仕事を探しているが、外資系でも求められる日本語能力は高いという。
難民認定されているので生活保護を受給することもできるが抵抗がある。「日本の負担になりたくない。税金を納め、社会に貢献したいんだ」
祖国に母や妹を残してきた。タリバンが独身の妹を探して自宅に来たと、母親が泣いて伝えてきたこともあった。
不安から解放されるのは寝ている時だけだ。「朝に目が覚めると、注射を打たれたように、また全身が不安で満たされるんです」
アフガン人避難者を支援してきた千葉大の小川玲子教授らは今年8月、難民認定された元大使館職員18人(家族含め106人)の暮らしぶりを調査した。
正規雇用は2人で、他はアル…