いつまでも過去になってくれない、こころのケガ 複雑性PTSDとは
Re:Ron連載「こころがケガをするということ」第4回
前回、ベトナム帰還兵を描いた二つの米映画を例にPTSD(posttraumatic stress disorder、心的外傷後ストレス障害)の症状がどのように表れるのかを見てみた。今回はもう一つのPTSD、近年新たに診断されるようになった複雑性(complex)PTSDという病態を紹介したい。
極度の脅威や恐怖をもたらすような体験のあとに生じる、という点ではPTSDと変わらない。ただ、長期間のDV、子ども期の性的虐待や身体的虐待などのように、長い間繰り返され、逃れることが難しい出来事を体験したあとに目立って多いとされる。ほかに、拷問やジェノサイド(集団殺害)の場合もある。
複雑性PTSDの場合、前回述べたPTSDの再体験・回避・過剰覚醒という基本3症状に、感情制御困難、否定的自己概念、対人関係障害という症状が加わる。
このように、ひどいこころのケガを長期にわたり繰り返し体験した人は、症状が複雑で、回復への道のりも困難なことが多い。そのため、1990年代に入ってから、PTSDの専門家の間で、別の疾患名が必要ではないかと考えられるようになった。国際的な診断基準を策定する必要性も叫ばれてきたが、2019年5月の世界保健機関(WHO)の総会でやっと、正式に国際疾病分類第11回改訂版(ICD―11)で承認されたのである。
複雑性PTSDに陥ると、日常生活の些細(ささい)なストレスで大きな打撃を受けてしまい、現実のストレスに見合わないほど感情を爆発させたり、その逆に、生き生きとした陽性の感情が感じられなくなったり、感情が麻痺(まひ)したりしてしまう(感情制御困難)。
また、自分はダメな人間で価値がないと信じ込んでしまい、強い恥や自責、挫折感を抱くようになる(否定的自己概念)。このような状態では、当然のことながら、対人関係がうまく維持できなくなる(対人関係障害)。人と親しい関係を結ぶことが困難になるし、対人関係の中で葛藤が生じると自分の方から関係を断ってしまう傾向が高まるからである。
こころのケガは、目に見えないため、回復に向けて進んでいくには、信頼関係を築き共通の目標を見いだし、協働作業の土台を構築することが何よりも大切なのだが、同時にそれは最も困難なことでもある。臨床の場で出会う複雑性PTSDの人たちとの治療関係は、混乱を極めることが少なくない。
怒り、感情麻痺、気持ちが制御できない…
精神科を訪れる複雑性PTSDの人たちは、何らかの困りごとがあるからこそ受診するのだが、その実、「何をしてもよくなるはずがない」とか「治療者に弱みを見せたら攻撃されるのではないか」と考えている人もいる。また、「眠れない」のは症状だと思っていても、感情が制御できないことや自分には価値がないと考えてしまうことが「症状」であるとは捉えていない人が多い。
そして、ある人は世の中や周囲の人の理不尽さに怒り、別のある人は感情を麻痺させてぼんやりした感じで生きている。あるいは、怒りと麻痺が同じ人の中に混在している場合もある。
ある日の診察室で次のようなことがあった。私は、過去にこころのケガを体験したAさんから日々の生活での出来事を聴き取っていた。Aさんは、家族との些細なやり取りの中で激怒してしまったエピソードを語っていた。
私は、Aさんの心情に共感しようとして、「それは怒り心頭でしたね」と合いの手を入れた。その途端、Aさんの顔から表情が消え、プイッと横を向いてしまったのだ。
ここでAさんが、「やはり誰…
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