ダマスカス:ダマスカスでは、数週間前にバッシャール・アサド政権が予期せぬ形で崩壊した後、多くのシリア人が明るい未来を約束されたかのような新年を迎え、火曜日には街中が興奮に包まれた。
首都のシリア人がアサド追放後の新たな始まりを楽しみにしている一方で、ベイルートの地中海沿いの遊歩道では、住民たちが新年への慎重ななかで希望を共有し、戦争と進行中の危機からまだ動揺している国を振り返り、より沈痛なムードが漂っていた。
2024年に家と愛する人を失ったガザの戦争に疲弊したパレスチナ人は、2025年が彼らの苦しみに終止符を打つという希望をほとんど持っていない。
昨年は中東において劇的な年であり、ある者には災難を、ある者には希望をもたらした。この地域全体で、多くの人々が次の年に何が起こるかを予測しようとするのは愚かなことだと感じた。
ダマスカスでは、アビル・ホムシさんが、平和、安全、表現の自由を含み、以前は戦線によって分断されていたシリアのコミュニティが再びひとつになるであろう自国の未来について楽観的であると語った。
「ラマダンであろうと、クリスマスであろうと、その他の祝日であろうと、人々が互いに愛し合い、一緒にお祝いしていた、かつての私たちの姿に戻るでしょう」
しかし、多くの人々にとって、新しい年と新しい現実は、それ以前の苦しかった年月を思い起こさせるものだった。
シリア東部の都市デイル・エゾール出身のアブドゥルラフマン・アル=ハビブさんは、アサド政権下で逮捕された後、行方不明になった親族を探すためにダマスカスに来た。彼は首都のマルジェ広場にいた。この広場では、行方不明者の親族が、彼らの所在を知る手がかりを求めて、愛する者の写真を投稿している。
「新年には、私たちの地位が向上し、アラブ世界全体に平和が訪れることを願っています」と彼は語った。
レバノンでは、イスラエルと過激派組織ヒズボラとの間の戦闘が、1カ月余り前の微妙な停戦によって停止した。2019年以降、数年にわたる経済破綻、政情不安、そして一連の災難に見舞われたレバノンは、不安と闘い続けているが、停戦によって少なくとも一時的に通常の生活に戻りつつある。
火曜日、ベイルート北東の山中にあるムザール・スキーリゾートには、リゾートが正式にオープンしていないにもかかわらず、雪の中で一日を楽しもうと家族連れが集まった。
「この地域、特に最近のレバノンで起きたこと、そして今も起きていることは、とても辛いことだ。すべてが良くなるという大きな希望を持っている」
ベイルートの海辺のコーニッシュでは、レバノン南部のマルワヒン村に住むモハマド・モハマドさんが3人の子供たちと散歩をしていた。
「来年は平和と愛が勝つことを願っているが、もっと多くの(困難が)待ち受けているように感じる」と彼は言った。
モハマドさんは、ヒズボラとイスラエルが1年以上対立している間に避難した数万人の一人である。彼は現在、紛争中に空爆を受けた町ジャドラに住んでおり、フランスとアメリカが仲介した停戦の条件の下、イスラエル軍が撤退することを義務づけられている60日間の期間が終わるのを待っている。
「私たちの村は完全に破壊された。今年は私たちにとって非常につらい年だった。2025年が過ぎ去ったすべての年よりも良い年であることを願っている」
ガザでは、ハマスとイスラエルとの戦争によって、45,500人以上のパレスチナ人が死亡し、大規模な破壊がもたらされ、飛び地の人口のほとんどが避難した。
「2024年はすべてのパレスチナ人にとって最悪の年だった。飢え、移住、苦しみ、貧困の年だった」と、ガザ北部の避難民女性、ヌール・アブ・オバイドさんは語った。
ムワシのいわゆる 「人道地帯 」での空爆で10歳の子どもを亡くしたオバイドさんは、2025年に良いことは何も期待できないと語った。「世界は死んでいる。私たちは何も期待していない」
この戦争は、2023年10月7日にハマスが主導したイスラエル南部への攻撃によって引き起こされたもので、武装勢力は約1200人を殺害し、約250人を拉致した。
家と生計を失ったイスマイル・サリハさんは、ガザの人々が生活の再建を始められるよう、2025年の戦争終結に期待を示した。
過ぎ去った1年は「戦争と破壊の連続だった。私たちの家はなくなり、木もなくなり、生活基盤も失われた」
来年は、「パレスチナ人が 世界の他の人々と同じように、安全、安心、平和の中で暮らせるように 」とサリハさんは語った。
AP