■■ 意味が分からないで歌っていた童謡 ■■ (09) 赤とんぼ

(このシリーズでは,以下 ====== までの前書きは,毎回同じ文面です)


タイトルに 「童謡」 と書きましたが,よくカセットテープや CD などで, 「日本の童謡全集」 などというタイトルがつけられているものの中に, 「赤とんぼ」 「浜辺の歌」 「里の秋」 「母さんの歌」 などの曲も収録されているものも多いと思っています。

私は,今あげた例の歌などは 「童謡」 ではないと思っていますが,ここでは,まあ,そういう厳密な規定は抜きにして,それらの歌も 「童謡」 としておきます。


私が子どもの頃によく歌った童謡の多くは,作詞・作曲されたのが明治時代から昭和の初期にかけての歌が多いので,歌詞にも古いことばが使われていたり,文語調だったりして,昭和 18 年生まれの私には,意味がよく分からなかったり,意味を誤解していた歌がけっこうありました。

このシリーズでは,そういった歌の例をとりあげてみます。

それぞれの歌ごとに, You Tube からひろった曲,または私自身が歌った曲の URL を貼り付けておきますので,もし,その歌を知らないという方は参考にしてください。

私が歌ったカラオケの画像に 「月見里真青」 という名前が出てきますが,これは私が歌を歌う時に使っている名前です。

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【赤とんぼ】
https://1drv.ms/v/s!AlZQjsp1JOKCkm-I8AJGnFlJDFbe?e=cMwuW5

-- 歌詞 ----

1 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
       負われて 見たのは いつの日か

2 山の畑の 桑の実を
       小かごに 摘んだは まぼろしか

3 十五でねえやは 嫁に行き
       お里の 便りも 絶え果てた

4 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
       とまっているよ 竿の先

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1番の 「おわれてみた」 を,私は 「追われてみた」 と解釈して歌っていました。この部分は,赤とんぼの立場になって, 「子どもたちに追われてみた」 と思ってしまったわけです。

「おわれて」 が 「追われて」 ではなくて 「負われて」 なのではないかと気がついたのは,隣の家のある事情からでした。

隣の家は歯医者で,両親と,私より 2 つ年下の女の子の 3 人家族でした。私が小学 4,5 年生の頃,その隣家に,突然 10 代後半ぐらいの女の人が住むようになりました。子どもだった私にはよくは分かりませんでしたが,いわゆるお手伝いさんのような,そしてまだ小学校の低学年だった女の子のお守り役なのか,どうもそんな立場の人で,私の両親の話では,親のいない子をあずかる養護施設にいた子を引き取ったのではないか,というようなことでした。

で,私は小さい頃に,何かの昔話で 「ねえや」 という立場の女の人がいたという知識ぐらいはありましたから,その女の人がその 「ねえや」 みたいな人なのではないかと思ったわけです。これは,3番の歌詞に 「ねえや」 が出てくることも関係があったかもしれません。

まあ,そんなこんなで, 「追われて」 ではなくて,ねえやの背中に 「負われて」 なんだろうな,と思うようになりました。

しかし,ずっと後になって,作詞者の三木露風の生い立ちを調べて分かったことですが,三木露風の両親は,露風が 5 歳の時に離婚して,露風はその後は祖父に育てられたようでした。

といっても,祖父が直接に露風の子守をしたわけではないようで,そこに 「ねえや」 の存在が想像されます。

つまり,1番の 「負われて」 は,まだ両親が離婚する前のことで,ここは 〈母に背負われて〉 でいいように思います。

3番に出てくる 「十五でねえやは嫁に行き」 の 「ねえや」 は,両親の離婚後の祖父の家の 「ねえや」 なのだろう,というのが私の最終的な解釈です。


2番の 「桑の実」 とありますが,私の家の周辺には桑畑などありませんでしたから,私は桑という植物そのものを知りませんでした。

ですから,2番の 「桑の実」 の 「くわ」 は農具の 「鍬」 しか思いつかなかったわけです。 「くわのみ」 の 「のみ」 を 〈~だけ〉 の意味の 「のみ」 に結びついて, 「くわのみを」 を 〈鍬だけを〉 と解釈してしまったわけです。

つまり,2番は, 〈畑の鍬だけを篭に入れて〉 家へ帰る姿を思い浮かべていました。なぜ家へ帰る,なのかは, 1番の歌詞の出だしの 「夕焼け小焼け」 で,夕方を思い浮かべたからです。

2番の最後の 「まぼろしか」 はいまだによく分かりません。
多分,幼児期のことで,露風自身,記憶があいまいなことなのかなあ・・・です。


3番の 「十五でねえやは嫁に行き」 は,私が子どもの頃の昭和 20 年代には,さすがに女性がお嫁にいくのは 20 過ぎてから,というのが世間の常識みたいでしたから, 15 歳で嫁に行くというのには大きな違和感がありました。

しかし,三木露風がこの詞をつくったのは大正時代でしたから,その当時は女性が 20 歳前に嫁に行くのはごく当たり前のことだったのです。


この 「赤とんぼ」 に限らず,明治,大正時代や昭和の初期につくられた詞の意味を理解するには,やはりその当時の世の中の情勢を理解しておく必要がありますね。

この記事へのコメント

th
2024年09月24日 15:43
話は変わってしまいますが、夕焼け小焼けの小焼けが案外驚きました。
意味のない言葉だったなんて。

夕焼け小焼けで日が暮れて。
ナッシー
2024年09月24日 17:02
thさん

コメント,ありがとうございます。

なるほど,これまで 「小焼け」 については考えたこともなくきてしまいました。言われてみれば,詩の中以外では見かけないことばですね。

そう考えると,やはり特別な意味はなく,「夕焼け」と語調を整えるために添えたことばと解釈してよいように思います。

念のため「広辞苑」 を当たってみましたが,「小焼け」の見出し語はありませんでした。

「大辞林」の方には 「小焼け」の見出し語が載っていて,〈「夕焼け」と語調をそろえていう語〉 とありました。

念のため,ネットで検索してみたら,一つだけ異説を書いたものがありました。

「夕焼け小焼けの小焼け」で検索して,ヒットした中の 「自然界の法則にもとづいて「夕焼け小焼け」の意味とは」をご覧ください。

ただ,私は,「赤とんぼ」や唱歌「夕焼け小焼け」の場合は,そのよような科学的な 「小焼け」ではなく,やはり語調を整えるために添えた「小焼け」でいいのではないかと思います。


>thさん
>
>話は変わってしまいますが、夕焼け小焼けの小焼けが案外驚きました。
>意味のない言葉だったなんて。
>
>夕焼け小焼けで日が暮れて。
th
2024年10月28日 14:09
ご返答ありがとうございます。
なるほど見てみました。
これはこれで素敵な情景が浮かんできますね。
帰り道、家に着くころあたりに「小焼けを」迎えるのでしょう。