蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

数学って役に立つの?に対する試論

 

中学や高校で、2次方程式やら確率やら対数関数やら学んできたけど、こんなこと学んで意味があるの?いい会社に入るためのスキルセットとか、相手を説得するための話法とか、実学を学んだほうがいいんじゃないの?

 

 

明確には表明しないだけで、数学が苦手な人は誰しも上記のような感慨を抱いている。

 

代替案として提示された道具が役立つことは認めた上で、また数学が果たして誰しもが学ぶべきものか?という供給と需要のミスマッチも認めた上で、

 

しかしそれでも数学は役に立つ。

 

どのように役立つのか。

 

 

その例としてはおそらく、幾何学が最も納得しやすい。

 

この世界に暮らす誰しもが、直線 straight lines や平面 planes というものを見たことがある。街に張り巡らされた電線やタイルの模様、スターバックスでコーヒーを置く机の表面 surfaces や、いまあなたがこの記事を読んでいる電子情報媒体の画面 screens は、(数学的な定式化をしてしまうと厳密には違うのだが) 数学で出てくる直線や平面にとても似ている。

 

どうしてだろう?

 

歴史的な経緯は知らないが、これまでの僕の聞いた話を総合するに、それは数学で使われる直線 straight lines や平面 planes という「思考するための単位」が、もともと私達が身の回りで見ているような物体の性質を整理して曖昧さなく述べたものだから、ということなのだと思う。

 

 

とても頻繁に見るものだから、よく知っている。

よく知っているものに似ているから、知らないものでも、類推が聞く。「線形代数 linear algebra では線形性 linearity を扱う」と聞いたとき、たとえあなたがまったく線形代数も線形性も知らなくても、「たぶん直線みたいなものを扱うんじゃないかな?」と何となく推測できる。

 

数学が役立つのは、この「何となく推測できる」の量と質を上げることができるほぼ唯一のツールだからである。

すなわち、形式的なことに対する直観をより精密かつ正確にするためには、「何となく」似ているのではダメで、「同じ」なのか「違う」のか、を誤りなく積み上げていく必要がある。

 

さらに踏み込めば「ずっと同じ手順を続けていけば同じになるかも」(極限、極限値)や「違うけれど、小数第 ホニャララ 位 までは同じ」(近似、線形近似)と言った、現代の数学の主力(教科書では大黒柱 mainstaysと表現されることもある)となっている概念に辿り着いていく。

 

それらを使うと、たとえばネット通販のユーザーの一人あたり購入額が「50000円まではまっすぐで、そのあとは曲がっている」とか、ガンの治療薬を使ったときの余命が「半年までは年齢に対して線形に比例して(まっすぐで)、その後はバラツキがある(別の要因に対して比例していて、それが計算式に入っていないのかもしれない)」とか言った知識や直観が養われることになる。

 

あるいは、現実のべっとりとしたデータの方ではなく、さらに純粋な形式のほうに踏み込んでいけば、「円は開区間(0,1)と同相である」(位相幾何学)とか、「多様体のうえでは局所的に(私達が物理的に存在しているような)ユークリッド空間である」とかいった話になってくる。

 

それらの話は、最初はまるで数字遊びのように聞こえるかもしれないが、最近の実世界への数学の応用例は、ここらへんの純粋数学が実は私達の周りに現れているデータをうまく説明する(複雑なデータを、直観に沿うような説明に要約(近似)できる)みたいだ、という発見に満ちあふれている。

 

たとえば世界にはヤバい研究があって、Stanford大学の数学者Gunnar Carlsonが2009年に出した論文によると、

 

「デジカメで撮影した大量のモノクロ写真について、9ピクセル(画素、すなわち画像の最も細かな記録単位)ごとの明るさの値を9次元ベクトルとしてそのベクトルの存在する位置を、データ内に現れた全ての9ピクセルについてとると、それらの点は8次元空間上の7次元楕円(7-dimensional ellipsoid)の形になる」

 

ということが分かっているらしい*1。

 

楕円と言ったら、僕らがアメフトやラグビーや見るあのボールだったり、駅に入ったヴィ・ド・フランスのフランスパンや、木村屋のあんぱんでお馴染みのかたちだ。

 

デジカメの画像を構成している単位が、8次元空間上のフランスパンから取られた「ぱんくず」だったなんて、きっと1900年代以前の人達は誰も知らなかったに違いない*2。

 

 

ここまでの話を読んできた方々は思っていることだろう。

 

 

「やたら難しい話をして誤魔化すなよ。

結局、それはなんの役に立つの?」

 

 

正直、数学のアプリケーションを予測することはメチャクチャ難しい。ただ既に、信じられないような応用例は模索されている。たとえば2015年の5月にMITが出したこの論文では、要約すれば2次元画像として記録された人間の顔に対して「もっと明るい顔にして」とか「もうすこし顎を下にして」とか「ヨコを向いて」と言うと、そのような変換を施した顔の画像が生成できるという魔法みたいな方法が報告されている。

 

論文中に載っている、実際に生成された画像を見ればまだまだ基礎の途上段階であることは明確だが、それにしても発想がヤバい。こいつらリアルにケアルとかサンダガを唱えようとし始めていやがる。

 

仮にこの変換精度が人間が目で見ても判別できないレベルまで上がったとしたら、例えば集合写真を取って「シャッター時に目をつぶってしまった3列目の彼の目を開けて」とか言うと、本当に目を開けた写真ができるようになるのかもしれない。

 

こういうことを、7次元上の楕円をコネコネすることで実現させようとしているのが、究極には数学だと僕は思っている(反論は受け付けます)。

 

 

 このような数学の「強力さ」は一般にあまり知られていない(言ってしまえば、中学高校の先生が教えてくれない)。

 

 

だから人々はあとになって言うのである。

「大学時代に線形代数と統計をやっておけば良かった」、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:難しくて僕も詳細を理解できていないので、一部説明が違っているかもしれない。

*2:そもそもデジカメがなかった