仮想と現実の真ん中あたり

主に舞台探訪とか聖地巡礼と呼ばれる記録をつづるブログ

『十二国記』最新刊『白銀の墟 玄の月』第一,二巻を読んで(軽いネタバレあり)

 『白銀の墟 玄の月』第一,二巻の発売日は、台風19号のちょうど上陸の日でした。
 台風の前兆の風雨が吹きつける中、行きつけの地方の小さな書店に開店直後に駆け込むと、既に荷ほどき中の店員さんの前に2人並んでいて、その後に続いて並んだわけですが、店員さんは予約分十数人分を取り置いた後で、開梱したばかりの新刊を渡してくれました。2人目の方はご夫婦で、お二人で「買えて良かったね」と喜んでおられるご様子でした。
 『十二国記』としては18年ぶりの新刊だったわけで、きっと(台風の被害が無かった)全国各地の書店で多かれ少なかれこのような光景が見られたことでしょう。

 (以下、『白銀の墟 玄の月』の感想に続く。軽いネタバレあり)

 『白銀の墟 玄の月』の感想の前に、ちょっと台風の話を引っ張ります。
 各地に大きな被害をもたらした台風19号でしたが、私の実家でも道路脇の山の斜面が崩れて、唯一の生活道路だったもので陸の孤島になってしまいました(現在は復旧)。
 実家の母に電話すると、「土砂と一緒に山の木が道路になだれ込んでいて、調べる市役所の人も大変だと思って、チェーンソー持って行って人が通れるぐらい切ったよ」と。
 家族が農機具販売所に一緒にチェーンソーを買いに行った時には「こんなおばぁちゃんに買わせていいの?」と言われたぐらい高齢の母ですが、なんとまぁ、大活躍だったわけです。
 台風19号では、河川が氾濫する直前に半鐘を鳴らした地元の消防団員のおかげで避難が間に合ったというニュースも耳にしました。きっとあの大災害の中、各地でそういう災害に立ち向かう住民の方々の目に見えない努力があったことでしょう。

 ところで、『白銀の墟 玄の月』の前に発売されたのは、『丕緒の鳥』という短編集でした。
 主に王や麒麟といった雲上界を中心とする物語が多いシリーズの中で、『丕緒の鳥』の中で描かれたのは、騒乱後の慶国で陶器製の鳥を作る宮廷職人や暦を作り続ける学者達、傾きかけた柳国で罪人を裁く官吏、荒廃した雁国で薬となる草を広めようとする山人など、普段は表舞台に出ない人々でした。
 国が乱れる中にあって、支配階級でない人々が、それぞれの立場で世の中を支えようと努力を続ける姿は、短編集ながら『十二国記』の世界観を広げてくれるものだったと思います。
 『白銀の墟 玄の月』の前編にあたる『黄昏の岸 暁の天』では、泰麒が帰還するまでの物語が王や麒麟,宮廷を中心に描かれました。
 そして、『丕緒の鳥』(と『華胥の幽夢』)を間にはさむ形で発売された今作の『白銀の墟 玄の月』第一,二巻ですが、一転して戴国の各地の民衆の描写にページが割かれています。王を失った混乱の中で、民衆の苦難の描写は、読んでいて陰鬱になるほどです。
 しかし、そんな中にあって、前半にこういうセリフが出て来ます。

「戴は死んではおりません。心ある人々が国の随所にきっといて、時代が動くのを待っております」

 おそらくは、これが第三,四巻へつながる希望の灯火でしょう。
 『丕緒の鳥』からの流れ、そしてこのセリフからの私の勝手な推察ですが、これからの戴国の物語は、単なる雲上界の王権奪還劇にとどまらないのではないでしょうか?
 今現在混乱の極みにある戴国の復活は、戴国を想って立ち上がる雲上界と地上界の人々の双方の力によってこそ、成し遂げられる。台風の災害に立ち向かった方々がいたように、それぞれの立場で国難に立ち向かう人々の姿が描かれるのではないか?
 そして、そのための布石が、この第一,二巻なのではないでしょうか?

 …と、いうのが、『白銀の墟 玄の月』第一,二巻を読んでの私の感想、というか第三,四巻の展開予想です。