小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

熱いエジンバラ・テレビ会議④「ジャーナリストとしての自分を忘れるな」

 (22日から24日までエジンバラで開かれた、テレビ会議Edinburgh International Television Festivalのことを書いています。)

 会議では、BBCワールドワイドのあり方に関する議論も結構盛んにあったのだが、それは他のトピックとのからみで後日書くとして、最終日、アルジャージーラ放送のトップ、ワダ・カンファール氏が講演をし、これが結構感動ものだった。

http://blogs.guardian.co.uk/organgrinder/2008/08/edinburgh_tv_festival_2008_alj.html

http://www.mgeitf.co.uk/155/section.aspx?videoId=81

http://www.guardian.co.uk/media/edinburghtvfestival

 西欧のメディアが中東諸国を報道するとき、あるいは中東メディアが西欧のことを報道するとき、十分にバランスが取れた報道にならないことがある、と指摘。その土地の慣習、ものの考え方、これまでの歴史的経緯を十分に考慮し、じっくり取材して欲しいと注文した。中東諸国でトップにいる人々は「西欧のように選挙で民主的に選ばれたわけではない。そこで現在政権の座にいる人を中心に取材を進めると、真実を見誤る。周縁にいる人を地道に取材して欲しい」、「英語が出来るというだけで中産階級の人のみを取材してしまうことにならないように。地元民とのつながりがないのに、英語が流暢というだけの理由で人を選んで取材してしまっていないかどうか」。西欧メディアからすれば、耳の痛い注文である。

 「経営陣は商業化のプレッシャーに負けてはいけない。ジャーナリストが十分な取材ができるようにして欲しい」。

 22日、ITVのピーター・フィンチャム氏が娯楽の重要性を語ってから、テレビ=娯楽という雰囲気ができあがっていたが(この「娯楽」は広い意味での娯楽であって、必ずしもおもしろおかしい番組だけを指してはいないけれども)、カンファール氏は「テレビの仕事はショービジネスではない。(ニュースでは)生死をかけた仕事になる」と娯楽説を否定した。

 特にドキッとしたのは、「経営陣の方に、自分たちの心の中にあるジャーナリストの精神を思い出して欲しい、と言いたい。私たちはみんなジャーナリストだ。商業主義を先にしてはいけない」と述べた時だった。

 カンファール氏は自分自身が元ジャーナリスト。イラクやアフガニスタンから報道した。

 講演の後の一問一答で、チャンネル4のキャスターが「アルジャジーラが商業主義を優先するなというのは簡単ではないか?運営費はカタール首長が出してくれるのだから」と言っていた。しかし、おそらく、カンファール氏はテレビ局の心意気としての「ジャーナリズム精神」について語ったのだろう。

 セッションが終わると、中東担当の記者や記者志望の若者たちが、カンファール氏と言葉を交わそうと集まった。理想論かもしれないが、テレビのニュース・ジャーナリズムの「あるべき」論を聞き、会議最終日のセッションとして似つかわしい思いがした。

 私は、前にアルジャジーラのカメラマンで米グアンタナモ基地収容所に5年間拘束されていたサミ=アルハジに関して、「サミを救え」という題名で連載を書いたことがあり、今は釈放されたサミがどうなったかなと気になっていた。カンファール氏に後で聞くと、サミはカタールの首都でアルジャジーラの本社のあるドーハに戻り、妻と子供と共に暮らしている。「元気でやっている」と聞いた。

 会場前にはバージンメディアがスポンサーとなって、自転車+人力車のような乗り物が用意された(左上の写真参考)。自転車の後部座席が人力車の座席のような感じになっている。私も乗ってみたが、座るとシートベルトをつけるように言われる。そこで、大学生のアルバイトの人が、一生懸命、ペダルをこぐ。全て無料で、会議の他の開催場所や市内の行きたい場所に連れて行ってくれた。アイデアがおもしろく、ロンドン・オリンピックでも、お金をかけない+リサイクル精神一杯のアイデアが実行されればいいな、と思ってエジンバラを後にした。(この項終わり)
by polimediauk | 2008-08-28 22:53 | 放送業界