北アイルランド、誕生から100年 最近の暴動までの流れを振り返る
英国から見ると西側に位置するアイルランド島。南部は共和制の「アイルランド」、北部の6州は英領「北アイルランド」。地続きでありながら、2つの異なる国に所属している。
北アイルランドの誕生は、100年前の1921年5月3日。この日は、アイルランド自治を規定した「アイルランド統治法」の施行日である。
12世紀から隣の強国英国の支配下にあったアイルランドでは、独立に向けての市民の戦いが続いてきた。ロンドンのウェストミンスター議会の中でアイルランドに自治を付与する流れが出てくるのは、19世紀に入ってから。
数度にわたる自治法案が提出され、第4次法案が1920年12月末、アイルランド統治法として成立した。
その特徴の1つは、南の主要都市ダブリンと北のベルファストの両方にそれぞれ議会を設置すること。
プロテスタント系住民が大多数の北部アルスター地域の政治家たちはこれを受け入れ、北アイルランド議会の設置に進んでいく。
一方、カトリック系が大部分の南部では、独自に結成されていた「アイルランド国会」がこれを拒否。プロテスタント国・英国からの独立と共和制を目指していた。
英国と南のアイルランドとの独立を巡る交渉は、1921年12月、英国と和平条約「英愛条約」の締結で結末を迎えた。
この条約によって、①南アイルランドの26州が自治領「アイルランド自由国」になり、②アルスター地方の6州はアイルランド自由国には入らず、英国の一部として北アイルルランドに権限を委譲された政府を作ることになった(1921年12月6日署名、翌22年12月6日発効)。
1949年、アイルランド自由国は共和制に移行し、現在に至る。北アイルランドは今も英国の一部であり続けている。
消えない対立
北アイルランドの住民の大多数は、南部アイルランドとは対照的にプロテスタント系であったが、同時にカトリック系住民もいた。プロテスタント系で英国への帰属維持を望む人 (「ユニオニスト」とも呼ばれる)と南のアイルランドとの統一を目指すカトリック系住民(「ナショナリスト」とも)とが社会の中に存在した。
北アイルランドは、2つの異なる政治志向を持つ人々が暮らすことから生じるひずみを内包しながら生まれた、と言える。
大多数の人=プロテスタント系、少数派の人=カトリック系という力構造があり、カトリック系住民は就職や住居などの点で差別される対象となった。
1950年代以降、プロテスタント住民がカトリック住民を強権的に支配する構造に異議を唱える市民運動が活発化する。
60年代末からはそれぞれの政治志向を支持する民兵組織が互いに暴力行為を行い、事態を収拾するために英国本土から派遣された軍隊も相まって、壮絶な戦いとなる。約3700人の死者を出した「内戦」(「トラブルズ」=北アイルランド紛争)である。
1998年に和平合意が成立したが、異なる宗派の住民同士の緊張感が小競り合いや暴動に結びつく。
4月の暴動
対立が消えていないことが改めて北アイルランド内外で可視化されたのが、今年春だ。
4月上旬頃からベルファストを中心に暴動事件が各地で立て続けに発生。若者たちが火炎瓶を投げたり、バスに放火をしたりなどの暴力行為が行われ、かつての「トラブルズ」の光景がよみがえったという人も少なくない。数十人の警察官らが負傷した。
ベルファスト内には、プロテスタント系住民の居住地区とカトリック系住民の居住地との間に「平和の壁」と呼ばれる高い柵が設置されている場合がある。この壁の周辺が発生地の1つとなった。両地域を分けるゲートは夜間閉められるが、こじ開けられたゲートもあったという。
暴動の原因は特定されていないものの、若者たちはプロテスタント系ユニオニストで、ギャング組織も背後にいたとされる。
また、英国の欧州連合(EU)離脱によって、北アイルランドと南のアイルランドの間に「国境問題」が生じたことも遠因と言われている。
離脱以前は英国もアイルランドもEU加盟国として単一市場の一部だったので、人、モノ、サービス、資本は自由に往来できた。
しかし、英国がEUを離脱すれば、まったく同じというわけにはいかなくなる。
離脱後の苦肉の策として英国とEUが決めたのは、過去の「トラブルズ」での犠牲を考慮して、英国とアイルランドの間に厳格な国境管理は設けないこと。その代わりに、北アイルランドと英国本土の間に通商上の境界を引くことにした。
英国との一体化維持を望むユニオニスト住民にとっては、「本土とは違う」扱いは疑念を誘う。「切り離されるのではないか」、そして「南のアイルランドと一緒にされてしまうのでは」という不安感につながってしまうのである。
次回、現在の北アイルランドの状況をいくつかの世論調査、英国内の他の地域との比較から探ってみたい。
参考
「北アイルランドにおける分権化の経緯と現状・課題」(石見豊氏)