小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

熱い!エジンバラ・テレビ会議① フィンチャム氏のカムバック

 (大分間が開いて恐縮である!!)

 スコットランドの首都エジンバラで8月22日から24日まで、テレビ会議(ガーディアン+BBCをはじめとする放送局が主催)が開かれていた。「会議」と言っても、長い名称は毎年開催される「(メディア・ガーディアン)エンジンバラ・インターナショナル・テレビビジョン・フェスティバル」で、テレビ番組制作者+関係者を中心とした一種のお祭り、親睦会でもあり、自分も番組を作りたいという若手が、現役プロデューサーやディレクターに売り込みをする機会でもある。1970年代から始まったが、ガーディアンが冠スポンサーとなったのは数年前だと言う。

 テレビ界は昨年、視聴者参加型番組に関わる「やらせ」問題で信頼感に傷がつき、今年に入っても全般的に広告収入の減少に悩む。「これでいいのか?」という自省ムードと「どうやったら失った信頼感を取り戻せるのか?」という議論が昨年の会議の中心だった。今年は「やらせ」の1つと言えなくもない「女王の王冠事件」に関わって、BBCを辞職せざるを得なくなったピーター・フィンチャムと言う人が基調講演を担当し、「テレビは娯楽、これを忘れるな」(フジの昔の「楽しくなければテレビじゃない」を思い出すが・・・)と力説。非常に熱のこもったスピーチで、会場内の拍手はながーく続いた(あまり長いので、もう一度本人が壇上に上るのではないかとふと思うぐらいだった。コンサートのアンコールのように)。「熱い」3日間だった。

 スピーチの記事と内容(PDF)は以下で詳細が分かる。
 http://www.guardian.co.uk/media/2008/aug/22/edinburghtvfestival.television2
関連http://www.guardian.co.uk/media/2005/aug/22/broadcasting.mondaymediasection

 私なりに気づいた部分を拾っていこうと思うが、まず、その前段として、テレビ会議以前の状況だが、(第2次世界大戦後から)毎年夏、エジンバラでは芸術と文化の祭り「エジンバラ・フェスティバル」が開かれている。世界中からさまざまなアーチストがやってきてさまざまなパフォーマンスを繰り広げ、公式にはこのフェスティバルに参加しないイベントは「フリンジ」と呼ばれ、新人アーチストが名を広めるための大きな機会となっている。他にも複数のフェスティバルが同時に開かれており、エジンバラ全体が祭典の場所になっていた。

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 フィンチャム氏の基調講演はエジンバラ大学の「マッキュエン・ホール」という場所で行われた。カメラが壊れてしまい、ぼうっとした写真になったが(上写真)、大学の卒業式の式典やコンサートなどに使われている場所で、ギリシャ神殿を模している。

 基調講演は「マクタガート・スピーチ」と呼ばれ、毎年著名なメディア界の人物が壇上に上る。ルパート・マードックもスピーチしたことがあるそうだ。去年はBBCニューズナイトのキャスター、ジェレミー・パックスマンだった。

 今年選ばれたのは、元BBC1のコントローラーという役職で、番組全体の編成に責任を持っていたが、エリザベス女王に関する番組の予告編改編問題で辞職せざるを得なくなった、ピーター・フィンチャム氏。今は民放大手ITVの主力チャンネルITVのテレビ部門のディレクターだ。昨年、汚名がついて辞めた人を今年はテレビ会議のメインのスピーカーにする、というのは思い切った人選である。辞任後、まだ次の職が見つかっていなかった時に、「スピーカーになってくれないか」と持ちかけられたと言う。

  「予告編改編問題」とは、昨年、BBCの秋の新番組のラインアップを報道陣に紹介したフィンチャム氏が、目玉の1つとして語ったのがエリザベス女王の一日を描いた作品で、この中に写真家と女王を巡るエピソードがあった。ある場面で、写真家が女王に対し「王冠を取られたほうが(いいのでは?)」と提案し、このすぐ後に、女王がお付きの人とともに、宮殿内を急ぎ足で歩く場面があった。女王は「全くもう!こんなことやっていられない」というようなことをしゃべっていた。それはまるで、女王が写真家の言ったことに怒って、撮影場所の部屋を出て行ったかのように見えた。ところが、歩く場面と撮影の場面は時系列が逆に編集されていた。

 BBCはこの番組を独立制作会社に制作させており、この会社のトップが、海外のクライアントに向けてインパクトのある宣伝材料を作ろうとして編集したクリップだった。これが「間違えてBBCに渡された」(会社担当者)のだった(本当に間違いだったのかどうかは分からないが)。BBCのフィンチャム氏はこの経緯を一切知らず、見たとおり、つまり、「怒って部屋を出て行った」と解釈したようで、もし女王が怒って部屋を出たとすれば、写真家(著名)と女王との「衝突」であり、「ドラマ」であり、おもしろい見出しが作れるー。そういう文脈でフィンチャム氏は集まった報道陣に秋の新番組のラインアップを紹介し、翌日の新聞各紙はこれに沿った記事を出した。ところが事実は違っていたので、BBCは女王に謝罪することになった。

 謝罪で事は済まなかった。ちょうど、視聴者参加型番組でのやらせがいくつか発覚して問題になっており、BBCは誰かに責任を取らせることを余儀なくされた。フィンチャム氏もBBCの番組に出演し、「知らなかった」などと述べた。「辞任する必要があるか?」と聞かれ、言葉を濁していたのを覚えている。とうとう最後には、辞めざるを得なくなった(自己退社)。

 この時の経緯や自分の責任に関してどう思っていたのかの本音を聞きたかったが、フィンチャム氏は基調講演でも翌日23日の講演に関する一問一答のセッションでも、詳しくは語らなかった。「もう既に何度も語られていることだから」と言っていたが、やや物足りない感じもあった。一問一答で、「辞めさせられたと思うか?不当だったと思うか?」と聞かれ、「不当だったと思って、心からそうだ!と思う自分もいれば、いや、BBC1のコントローラーとして、自分が最後には責任があった、妥当だったと思う自分もいる」と述べていた。

 基調講演によれば、フィンチャム氏はもともと、独立制作会社のプロデューサーで、これまでずーっと番組の作り手として働いてきた。やらせ問題にゆれたテレビ界で、1年前はテレビの将来に関して悲観論が充満していたが、「自分自身は楽観的」と述べた。英国の将来の公共放送(PBS)がどうあるべきかに関して(資金繰りや規制など)、通信規制団体オフコムが、今レポートを作成中であるが、フィンチャム氏はコンサルタントの推薦や規制に縛られる状態は良くないとして、テレビの真髄は「エンタテインメント・娯楽」、広い意味のショー・ビジネスだと述べた。また、やらせ問題の対処にばかり議論が集中し、創造性と新規発明に関する議論が少なかったのではと指摘した。「テレビがクリエイティブなメディアであることを忘れてはいけない」。

 かつてBBCの初代ディレクタージェネラルのリース卿が(BBCの役割は)「情報を与え、教育し、娯楽を与える」と言ったが、フィンチャム氏は「娯楽がすべてをつなぐ糸になる」。「テレビをつければ視聴者は楽しみたいと思う。これに対し、オフコムの報告書はテレビをソーシャル・エンジニアリングの道具としたいのだと思う」と強く、繰り返し批判した。

 ネット時代、多チャンネル化で、視聴者は分断化しており、「一緒にテレビの前に座って見る」という習慣はくずれる、とする予測が出ているのに対し、フィンチャム氏は「視聴体験を共有したいという気持ちは」まだまだ人々の中で大きいと述べる。

 ITVは「公共放送(PBS)」の1つとして認可されており、この枠に入ると、地方で作った番組やニュース番組を番組編成に一定の割合で入れることが義務となる。こうした規制をITVのトップは収入増の足かせになっていると見ており、フィンチャム氏がオフコムや規制批判を講演の中でした時、「ITVで働いているからなのか?」と疑問がわいた。しかし、「テレビはネットの時代を生き残る」「クリエイティビティーで勝負しよう」という氏のメインの主張は、番組制作者が多い聴衆に、特に大きくアピールしたようで、「非常に良かった」、「うれしかった」という声を後で聞いた。

 テレビの将来に漠とした不安感を持っていた私も、SNSサイトの人気を見ても明らかのように「共有したい」という人々の欲求には強いものがあり、「テレビの前に座って、気軽に画面に映し出されたものを楽しむ」という習慣の手軽さやなじみは捨てがたい。「何百万人に一瞬にしてリーチできるマスメディア」(フィンチャム氏)としてのテレビのメディアとしての可能性に心がときめいた。前向きのスピーチで会議が始まった(続く)。
by polimediauk | 2008-08-25 16:16 | 放送業界