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沖浦啓之監督の執念が凄い!劇場アニメ『人狼 JIN-ROH』の作画の秘密を徹底解説!

劇場アニメ『人狼 JIN-ROH』
劇場アニメ『人狼 JIN-ROH』より
■あらすじ『深刻な社会不安に悩まされる高度経済成長下の日本。首都圏治安警察機構には、強化服と重火器で武装し、ケルベロスの俗称で恐れられている特機隊があった。その一員、伏一貴は、反政府ゲリラ掃討作戦を展開中に遭遇した一人の少女が自爆する姿を目撃する。その光景が脳裏に焼きついて離れない伏のもとに、ある日彼女の姉と名乗る雨宮圭が現れた。』


本作は、押井監督のライフワークとも言える『紅い眼鏡』『ケルベロス』に続く三部作の一つ、『犬狼伝説』シリーズの劇場用アニメーションだ。舞台を昭和30年代架空の日本に置き、国家公安委員会直属の実動部隊:首都警の伏一貴と、ある事件をきっかけに出会った少女:雨宮圭との悲しく切ない恋を描いた物語である。

しかし、今回は内容についてではなく、「普通に見ていたのでは気付かないこの映画の凄さ」について書いてみたいと思う。

元々『人狼 JIN-ROH』は30分のビデオシリーズとして企画されたもので、当初は押井守が自分で監督する予定だったが、『攻殻機動隊』の仕事が入ってしまったので断念。そこで当時『パトレイバー2』などで頭角を現していた若手アニメーター:沖浦啓之に白羽の矢が立った。しかし、押井監督から「お前、監督やらないか?」と言われた沖浦は、「何で僕がやるんですか!?」と全く乗り気ではなかったそうだ。

なんせ、当時の沖浦はアニメーター一筋で演出経験もなく、コンテすらまともに切ったことが無かったのである。結局「まあ、ビデオシリーズの一本ぐらいだったら…」ということでしぶしぶ引き受ける事になったものの、なぜかこの企画は劇場用作品へと大幅にスケールアップ!

ある日、突然その事を告げられた沖浦は「聞いてませんよ!」「いつの間にそんな話になったんですか!?」と腰を抜かさんばかりに驚いて、激しく押井監督に詰め寄ったらしい。最終的には「自分の好きなようにやらせてもらえるなら」という条件付で、ようやく監督を引き受けたそうだ。

しかしそこからがまた苦難の連続で、こだわり過ぎる沖浦監督の性格がアダとなり、当初の製作予定期間を大幅にオーバーして、完成までになんと3年もかかってしまったのである。いったい、何にそんなにこだわったのか?

実写なら何でもないシーンでも、アニメで描くと大変な時間と労力を要する場合がある。アニメーター出身の沖浦監督はその苦労をイヤというほど知りながら、「どうしてもやりたい」と以下のポイントにこだわったのだ。



●中身を感じさせるプロテクトギア

沖浦監督が一番心がけたのは、プロテクトギアの中に人間が入っているという感じを出すことだった。通常、アニメでは甲冑を着たとたんにサイボーグのような動きになってしまい、人間の存在が感じられなくなる場合が多い。そこで、「甲冑部分は人間が動く時、体に遅れて動く」「歩いているだけでも甲冑部分が揺れる」という具合に、とことん動きにこだわったのだ。


●揺れるスカート

この映画の中のスカートは、歩くたびに揺れ、走るたびに翻る。しかも自然に!実は、アニメーションでこれを表現するには、大変な手間がかかるのだ。普通、アニメーターがスカートを描く場合、それをブリキの筒のように考え、その中で足が前後しているように描く(そうしないと効率が悪いから)。

しかし沖浦監督はそんな現状に不満を持ち、リアルなスカートの動きを表現しようと試みた。「走るとスカートが足にまとわりつき、右足が前に出た時、後ろから見るとスカートの右後ろが引っ張られて奥へ動く」という異常に細かい作画を、省略することなく丁寧に描いてみせたのである。忍耐力も尋常ではない。

なお、スカートの長さは全て膝丈のミニスカートになっているが、沖浦監督は「本当はもっと長いスカートにしたかった」という。だが、膝下までのスカートにすると膝の位置が分からなくなり、作画が一層困難になるため諦めたらしい(映画完成後、「次回の目標はロングスカートですね」と発言してアニメーターを怯えさせたそうだw)。


●夜の雨の中を走る電車

電車は形が不変で、なおかつ車と違って決まった線路の上を走っている。それが、手前から入ってきて止まるだけでも途方もなく大変なのに、その後また走り出す。アニメでは、形の変化しないものをずっと描き続けるのは至難の業なのだ。しかも電車は徐々に減速し、加速もする。

今ならCGを使えば簡単に作画できてしまうようなシーンだが、これを全て手描きするとなればその苦労たるや計り知れない。しかも、雨が降っているシチュエーションなので、濡れた路面に電車が映り込んでいる様子や、ライトが当たった部分だけ雨が強く降っているように見せなければならない。

このシーンに関しては、あまりにも作画が大変だったため、まず手描きのレイアウトをデータ化し、それを元にワイヤーフレームの電車を作成してレールの軌道に沿って走らせ、その映像を1コマずつプリントアウトして作画の参考にしたそうだ(ワイヤーフレームまで作っているのに敢えて”3DCGでは描かない”というこだわりw)。

電車の作画を担当した平松禎史さんは「アニメというより”製図”をやってるような感覚でしたね。空間的に間違いなく走っているように描くには、膨大な線を引っ張らないと描けないんですよ。直線はまだしも、カーブは手で描くとどうしても歪むんです。だから時間もかかりましたね。9月ぐらいに描き始めて、終わったのが翌年の8月初旬でした(笑)」とのこと。ほぼ1年!

このシーンは、現場のスタッフから猛反対されたにも関わらず、沖浦監督が「どうしてもやりたいんだ!」と強引に押し切ったらしいのだが、良く見たら「電車の中の車掌の動き」まで細かく描き込んであるのだから凄すぎる!沖浦監督曰く、「難易度的には米粒に曼荼羅を描くぐらい難しいですね」とのこと(笑)。


●吹雪と顔に張り付いた雪

まず、雪を雪らしく降らせること自体がアニメーションでは困難で、しかもその吹雪の中、カメラが引いていくと狼の顔の片側だけに雪がへばりついているようにしたかったという。技術的にこれも非常に難しい作画である。狼はその場を動かない上にキャメラは退き、その動かない狼の顔の同じ位置に雪を描かなければならないからだ。このシーンもスタッフから苦情が殺到したらしい。


●アニメーターも裸足で逃げ出す、恐怖の螺旋階段

この映画の中で、一番目立たない割には最もアニメーターが苦労した場面がここだろう。伏と圭がデパートの屋上に上る時に使う”螺旋階段”である。普通の人は全く気にも止めないであろうこの「一見なんでもないシーン」、実はアニメで再現するにはとてつもなく難しいのだ。

まずアニメーターがラフを描き、それを元に美術監督がコンピュータを使ってパースを出し、手描きで清書して、またアニメーターがそれに人物を乗せ直してようやくレイアウトが完成する。

わずか3秒ぐらいのこのシーンに尋常でない手間が掛かっており、またそれぐらい手間を掛けないと「螺旋階段を上るシーン」は描けないのだ。普通の階段でも、その空間の水平線と階段の消失点の2つが生じるので描くのは大変だという。

それが、螺旋階段になるともはや計算不可能になり、想像力と理屈、あとはアニメーターの画力のみで描くしかない。どんなベテラン・アニメーターでも「こんなの描けません!」と土下座して許しを請うぐらい、メチャクチャに難易度が高いシーンなのである。

普通の監督ならこんなシーンは入れないだろう。もっと簡単な見せ方はいくらでもあるし、極端に言えば無くても成立するシーンなのだ。試写を見た押井監督でさえ、「なんてとんでもない事をやってるんだ!俺だったら絶対にやらない!」とド肝を抜かれたらしい(ちなみにこのシーンを描いたのは、副作画監督も務めた凄腕アニメーターの井上俊之さん)。

しかし、この映画を観て「凄い動きだなあ!」と驚く人は、せいぜいアニメの監督かアニメーターぐらいだろう。普通の人の目にはあまりにも動きが自然すぎて、特別な事をやっているとは思えないからだ。

しかも『人狼』のキャラクターにはほとんど影がついていない。これは、「動きを優先させる為には、少しでも影が少ない方が有利だから」という沖浦監督の判断によるものだが、この決定で影によって形をごまかす事が出来なくなり、アニメーターの画力だけでキャラクターの立体感を表現しなければならなくなった。

おまけに観客の目には単に「地味なアニメ」としか映らないのだ。スタッフの苦労が増える割には観客の反応はイマイチという、作る側としてはなんともやりきれない思いであっただろう。実にもったいない話である。

なお、『人狼』はモブシーンにも非常に力を入れていて、一つの画面内に大勢の人物が登場する場面でも一人一人の動きをきちんと計算し、違う歩き方や個性的な動作を作画しているという。

その動きがあまりにもリアルだったため、沖浦監督が海外の映画祭に出席した際、現地の観客から「あれはロトスコーピングだろ?」と訊かれ、「いや、トレースは一切していない。全て自分たちで描いている」と答えたらひっくり返って驚いたらしい。

また、以前『マトリックス』のウォシャウスキー監督が押井監督とこの映画を観た時、「なんてリアルな水の動きなんだ!CGなのか!?」と非常に興奮し、押井監督が「全部手描きだよ」と教えると仰天したそうだ。やはりアニメオタクの心には響くものがあったのか(笑)。

そこまでして動きにこだわった理由は、もちろん沖浦啓之がアニメーター出身の監督だからである。アニメーターの本質とは言うまでもなく「絵を動かすこと」であり、優秀なアニメーターであればあるほど「動画のチカラ」を信じているのだ。

押井監督によると「沖浦の作画はねっとりしている」とのこと。『イノセンス』のラストで、バトーが装置の中から少女を引っ張り出すシーンの原画を描いたのが沖浦監督なのだが、明らかに「キャラクターの芝居」が多いのだ。

普通なら、カメラワークやレイアウトや人物のセリフなどで誤魔化してしまうようなシーンでも、沖浦啓之は全てキャラクターの演技によって成立させようとしているわけで、まさに”頑固一徹アニメ職人”と言うしかない。

ちなみに押井監督は『人狼』を観た時、「予想以上にいい映画になってる。やっぱり俺の書いた脚本が良かったんだな」と自画自賛していたが、それを聞いたスタジオジブリの鈴木敏夫は「何言ってんの。押井さんが監督しなかったから良かったんだよ(笑)」と笑っていたそうだ。


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