最近の『桃華月憚』がすごい!−第21話に見るアニメと色彩表現の可能性

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『桃華月憚』がここ3話ほど素晴らしい話が続いており、逆再生ばかりに気を取られていた不明を恥じると共に、改めてそのクオリティの高さに注目しています。特に第21話「園」には驚かされました。

この通り、冒頭から何故かモノクロ、全国100万人の視聴者がいっせいにテレビを叩いて直そうとしたために、翌日は家電屋さんが大繁盛という伝説を……という話ではなくて、部分的には色がついているのでわざとなんだろうな、ということはわかるものの、物語は何の説明もないままモノクロで進んでいきます。
桃花のモノローグがこれでもかというくらい流れて、何だろう、もしや一昔前の文学っぽさ演出するためのモノクロかしらといぶかしんでいたところでこのシーン。


部屋に反物が広げられるたびに、空間が色を取り戻していきます。それ自体鮮やかな色彩なのですが、それまでのモノクロ空間との対比でより一層素晴らしい色彩感覚を演出しているのです。こうして静止画で見るとそれほどでもありませんが、実際には、例えば同じ場所の景色を冬から春まで定点カメラで撮影したときのように、急速に画面が色づいていく光景は感動的でさえあります。いくらセリフで「綺麗な色」と言わせたとしても、これほど美しいものだとは感じられなかったでしょう。
僕がこの演出から連想したのは、他のアニメ作品ではなくて、昔の映画作品でした。例えば黒澤明監督。長い間モノクロにこだわり続けましたが、70年の『どですかでん』以降、一転してデフォルメ化された色彩を用いた「絵画的」な作品を作りあげています。他にもゴダール、トリュフォーなど優れた色彩感覚で観客を魅了した映画監督は数多いのですが、カラーが当たり前となった現在では、かえって色彩に対するこだわりが弱くなってしまった気がしますね……。「キタノ・ブルー」なんていう例外もありますが。
現在のアニメというのは、一方の規範として過去のアニメ作品があり、もう一方の規範として特撮・映画作品がある、と僕は考えます。アニメが好きな人(あるいは嫌いな人)ほど前者の影響を強調しますが、本当に作り手を動かしているのは後者ではないかな、と。現在第一線で活躍しているアニメ監督の中には、少なからずアマチュアで特撮作っていた人が含まれているわけですし。
そんなわけで、アニメを見ていて「これは斬新な演出だ」と言われるのを見ても、「これはあの映画で〜」や、「あの特撮のオマージュで〜」という風に考えてしまうことが多いのですが、『桃華月憚』は久々に「これ、実写で出来るかな?」と思わされました。

少し前に、色彩検定を受けた直後のid:mantrapriさんたちと『パプリカ』を見る機会に恵まれたのですが、優れた作品にはひとつひとつの「色」に意味があるということがよくわかりました。自由な色使いを通してアニメ独自の表現を追及していく作品がもっと増えることを僕は望みます。
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