大衆(あるいは市民感情)という便利な言葉

古いタイプの左翼は「大衆にはわからない」「大衆の中に入れ」「大衆に学べ」「大衆と共に戦え」と言っている間に大衆からそっぽを向かれましたが、左翼が大嫌いだという最近のネットイナゴも同じようなことを言っている模様。

死刑大賛成
『これを書いた奴もカルト弁護士達と一緒だな。99%の国民が橋下弁護士の味方なのに!』
ブラックマン
『おいっ、赤旗新聞早く持って来てくれょー』
普通の人々
『ごく市民的な感情で言うなら法律とか正直どうでもいいです。
こういう奴は死ねばいい。それを弁護する人間も死ねばいい。
それだけの気持ちしかない。細かいことを判断するのは裁判官の仕事だし。
ってなもんじゃないですかね。』

『橋下徹弁護士にのせられて懲戒請求する前に』コメント欄より

このようにして引き合いに出される国民(あるいは市民)自身が自分の考えを主張しようとするときにこのような言い方はしないのであって、するのは大衆を睥睨していると思い込んだ似非知識人か、大衆などという抽象概念に対してはリアルな想像力を持ち得ないまま、ご都合主義的に狭い「事実」を選び出しそれに寄り添う自己喪失者か、あるいは絶滅危惧種に指定されて久しいスターリン主義官僚のどれかでしかありません。
大体、「普通の人々」の感情に逆らってはいけないというのなら、景気対策は永遠に出来ず、小説は全てハッピーエンドとなり、伊藤誠は第1話あるいは第2話までには八つ裂きにされてその後は萌えアニメに路線を変更して……