いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

自問に困る!<7>(自閉症児編)<できる世界とできない世界>

自問に困る!<6>(自閉症児編)の続きです。

 

長女が軽度知的障害と診断されることの原因として言語認識能力が低いというのがある。実際に、言語認識のIQはグレーゾーンよりも低く、軽度知的障害と認定される数値が出ている。そのため、「普通」の中では「ちょっとできない子」として長女は振る舞うことになる。他のこと比べてできないというのが日常化する。長女が年長を過ごした環境は、善意ではあったのだろうけれども、長女を「普通」として、それは同時に「ちょっとできない子」として扱う環境だった。その中で、長女は「どうせ、長女ちゃんはできないし」という口癖を覚えていた。

 

しかし、小学校に進学すると、今度は、情緒級ということもあり、「普通」の中の「ちょっとできない子」ではなく、軽度知的障害であり、自閉症児であるという扱いを受けるため、「ちょっとできない子」ではなく、「障害特性のある子」となった。すると長女は、「なんでもできる」という口癖を覚えた。多少できないことがあっても努力や練習をすればできるようになると長女が思えるようになったのだ。担任の先生や療育の先生、そして長女のお友達たちには感謝しかない。周囲の方が適切に接してくれることによって、長女は前向きに何事にも挑戦している。

 

そんな中で生まれてきた長女の自問は、僕には難問だった。みんなができることができないときに諦めていた長女から、みんなができることをやりたいと思うようになった長女だからこそ起こり得た疑問なのかもしれない。何かの価値に参入した長女の戸惑いでもあるのかもしれない。

 

困ったことがあった。

 

不利益を被ったときに、悲しむ世界と、よく分からずニコニコしている世界、この二つの世界を長女は生きている。これは、他者の欲望によって価値が作られる世界と、他者の欲望による価値が作られない世界の二つの世界でもある。この二つの世界の中にいるからこそ、長女の自問は生まれたのだろう。

 

みんなができることが1人だけできないことへの悲しみ。自分もできるようにしようと努力する前向きな社会参加。そして、できるようになったことへの喜びと充足。その後に訪れる自問。これは一つの成長の段階なのだろうか。長女の2歳年下の次女三女を見ていると、彼女たちは検診などで一度もひっかかったことのない定型発達なので、長女のように不利益を被ったときにもニコニコしているということはない。自分の不利益が発生すると激しく喧嘩をし、2人して理詰めで何かを言い合っている。次女三女の言い争いの中で長女は言いくるめられて黙ってしまうほどだ。また、次女三女は価値を作るのもうまい。それぞれが自分の欲望に価値をつけて相手をコントロールしようとしているようなところがある。この価値の操作に、長女は踊らさせることもあるけれども、長女には理解できないことも多々あるため、ときには長女自体が次女三女の価値になることがある。この辺は複雑だ。言いたいのは、次女三女には、価値自体を問う自問がない。まだ5歳になったばかりだからかもしれないが、2人は当時の長女と比べても、価値を価値として理解できているように思える。もしかしたら、次女三女もそのうち、長女と同様の自問をはじめることがあるかもしれないが、それはまたそのときに考えることにしよう。

 

今回の長女の自問で、僕はただ考えさせられたというだけだ。この僕の推論が正しいとかそういうことではなく、長女の成長の中で、小学校の支援級、情緒級に進んでからの成長があまりにも著しいため、僕と妻は驚いている。宿題も前向きに一生懸命にやっている。今日も、「今日の宿題は先生が難しいって言ってたから、パパ教えてくれる?」と言ってきた。いつも宿題は隣で見ていて教えているけれど、本人が状況を把握し、理由をキチンと述べていることも、長女の成長として驚いている。長女は、社会的なフォローによって、おミソやおマメではなくなっていくのだろう。おミソやおマメは一見、寛容さや優しさに見えるけれども、この寛容さや優しさには一種の排除の論理もあることを忘れてはならないと、長女の成長によって教えられている。

 

鉄棒の前周りについて補足しておくと、長女の前回りは決して上手とは言えないものだった。前に回ってドーンと両足をついてしまう。長女としてはそれで満足らしいのだけれど、何度も足を打ちつけるのがちょっと痛々しい。小学生の頃の僕は鉄棒が得意で様々な技を披露していたという経験もあったから、ちょっと見本を見せてやろうかと鉄棒を掴んでみたら、情けないことに、前回りをするのが怖かった。長女に励まされたけれども、前周りをする勇気がでなかった。僕は、「大人になると、できなくなることもあるんだよ」と寂しく長女に言った。あと、長女は何度も前回りをしていたので、鉄棒が当たる腰あたりが痛くなるのではないかと思って、「痛くない?」と聞いたのだけれども、「痛くない」と言っていたが、その日の夜、着替えのときに長女の腰を見ると、アザができていた。いつもはちょっとぶつけて赤くなるだけでも跡を見せてくる長女なのに、その日のアザについては何も言わなかった。きっと長女にとって、それは名誉のアザだったのだろう。父親ができないようなことが自分にできたことの勲章のようなものだったのかもしれない。長女が前回りマウントを僕にはしないけれども。