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「三ノ宮卯之助(うのすけ)」の力石を祀る!「久伊豆(ひさいず)神社」は見どころ満載の巻

江戸時代、日本一の力持と言われた越谷市三野宮村出身の「三ノ宮卯之助」。
その卯之助の名前が刻まれた「力石」を観ようと越谷市内を「探検」しました。
という事で、まずはここに行かないといけないという場所。


越谷市
「三ノ宮卯之助の力石」
久伊豆神社


撮影:2021年6月7日 Canon PowerShot G7X

※久伊豆神社公式サイト

▼越谷市にある「久伊豆神社」拝殿の右側に石灯籠が配置された一画があり、その奥に「三ノ宮卯之助の力石」が祀られていました。
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▼台座には、溶岩が使われ堂々とした演出です。
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▼台座と力石に、しめ縄が巻かれ紙垂(しで)が垂らされ、この石が「神聖」なものであることを表しています。
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▼刻字が分かるように、力石の真上から撮影しました。
「奉納 五十貫目 天保二辛卯年四月吉日 三ノ宮卯之助持之 本町 曾田権四郎」
(1831年)78×65×32cm (以上:「埼玉の力石」髙島愼助著、岩田書院刊より)

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※「~略~ 拝殿を下りて右手に足を進めると、しめ縄が張られた笹竹の中に、「天保二年(一八三一)三ノ宮卯之助持之、五十貫目」と刻まれた卵型の力石が台座の上に置かれている。三ノ宮卯之助とは現越谷市三野宮の出身で、力持を見世物として諸国を興行して歩いた業師である。ことに卯之助が持ち上げたという名入りの力石は、江戸深川八幡、鎌倉鶴ケ丘八幡、信濃諏訪神社などで確認されている。卯之助は嘉永七年(一八五四)四十七歳で没したが、当時全国に知られた力持ちであったらしい。」越谷ふるさと散歩(88) (以上:前出「埼玉の力石」より)
※参考:1貫目は、現在の重さで3.75kgのこと。50貫目はおよそ187.5kgになります。

▼久伊豆神社入口付近に建てられた「三ノ宮卯之助の力石」解説板。
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▼解説板掲載図の拡大写真1。
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▼解説板掲載図の拡大写真2。

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▼第三鳥居。力石以外の境内の様子もご紹介していきます。ちなみに「久伊豆」と書いて「クイズ」と読んでしまったのは、私だけ?!「ひさいず」でした。(;^ω^) クイズの問題が解けなくてもお願いに行かないでね!
こちらの第三鳥居は、三重の伊勢神宮にあったものを第61回式年遷宮の撤去材(皇大神宮板垣南御門)を平成7年(1995)再建して使われているとか。

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▼境内案内図。
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▼「久伊豆神社」解説板。
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▼「久伊豆神社社叢(しゃそう)」の解説板。「社叢(しゃそう)」とは神社の森の事です。
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▼長~い、長~い神社の参道。第三鳥居から第二鳥居方面を望む。
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▼参道から第三鳥居の奥に神社拝殿を見る。
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▼境内社の「稲荷神社」。
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▼庚申塔。大きな立派な文字塔。上部に見事な雲を彫った「日月」と、台座には、愛嬌たっぷりの「三猿」が素敵ですね。

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▼庚申塔の三猿をアップ。欠けてしまっているのは残念だけれど、「万歳」のふん装をした三猿は、余計にお目出たい雰囲気を醸しているようですね。
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▼庚申塔の側面。「道標」としても使われていました。
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▼「敷石供養塔」でしょうか。

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▼境内社「榛名神社」の石碑。
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▼「藤棚」は県指定の記念物。樹齢200年の古木。毎年藤祭りが行われて大勢の人出になるとか。昨年の4月29日、「藤祭太々神楽講」は中止となったそうです。また、この藤は江戸時代の国学者平田篤胤(ひらたあつたね)遺愛の樹で流山の門人たちが当神社に奉納したものと言われています。
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※本居宣長と並び称せられる偉大な国学者平田篤胤大人(ひらたあつたねうし)は度々当地の門人山崎篤利(やまざきあつとし)宅を訪れるなど当神社とも縁が深く、境内の一隅にある「旧跡平田篤胤仮寓跡」は大人の学問・憩の場と伝えられています。 また境内には昭和17年に建立された「平田篤胤先生遺徳之碑」があり、さらには宝物として篤胤大人が当神社に奉納した「天岩戸の図」一面があり「此天岩屋戸図者探考古書自図令画工山里貞由写者也 文政三庚辰七月九日 平篤胤」と記されています。(久伊豆神社オフィシャルサイトより)


▼「手水屋」延宝三年(1675年)に建造。「登竜門」の彫り物が施されています。こちらの彫刻が見事でした。

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▼軒下の「風景」です。こちらの手水舎は全くノーマークでしたが、torikeraにとっては今回最大の「掘り出しモン」でした。

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▼屋根の下には、龍の顔。このような龍の描き方は余り見たことがありません。作者のセンスに魅かれますね。

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▼こちらは「麒麟(きりん)」でしょうか。

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▼これは何?と思いましたが、テーマが「登竜門」という事から考えると、龍に変身しようとしている「鯉」という事になります。なるほどよく見ると、タダの鯉ではなく、龍の片鱗が見えているような気がします。

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※登竜門の「竜門(りゅうもん)」とは、黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことで、その竜門を登ることのできた鯉は竜になるという。ここから、人の立身出世の関門を「登竜門(とうりゅうもん)」と言うわけです。「李膺という実力者がおり、彼に才能を認められれば出世が約束されたものと同じで、その人は竜門に登った鯉のようなものだ!」とたとえられたそうです。(中国「後漢書 李膺伝」/語源由来辞典を参考)


▼細部まで細かい彫刻が施され見どころ満載。手水屋の周りをグルグル回ったtorikeraでした。

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▼勢いよく水を吐く「龍」。最近、コロナ対策で水を止められてしまった神社が多いのですが、ここは違いました。

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▼ユニークな鳥居が建つ、「御霊水(ごれいすい)」。
「手水舎の先、右手にあります。もとは境内の湧水でしたが、関東大震災の後地下の水位が下がり、自噴しなくなったため、現在は地下約250~300メートルの深層から汲み上げています。持ち帰り出来ますが、早めに召し上がりください。」(神社オフィシャルサイトより)

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▼「御霊水」の水質検査結果表。いずれの値も基準値以下でした。(*^_^*)

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▼「御霊水」の横にも同様の滝のような造りがありました。自噴していた湧水?以前使用していたものでしょうか?

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▼久伊豆神社拝殿です。堂々とした立派な社殿ですね。

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▼狛犬と拝殿です。リサーチ不足でしたが、拝殿には「足止めの狛犬」というのがあったそうです。

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※足止めの狛犬(あしどめのこまいぬ)
家出や悪所通い多忙な仕事などで家庭を顧みない家族との絆をしっかり結びなおしたいという願いを込めて、狛犬の足に麻を結びます。古くから「足止めの麻」といわれています。(神社オフィシャルサイトより)


▼拝殿右側の「三ノ宮卯之助力石」です。

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▼拝殿奥の「本殿」です。

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▼こちらの本殿は、贅沢な彫り物があって、これも見ごたえがありました。

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▼本殿の縁の下部分です。こちらにも、鯉が彫られていました。

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▼本殿裏の境内社です。周囲は大木に囲まれて、神秘的な雰囲気が漂っていました。

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▼本殿からさらに奥に、目立たないように社殿がありました。「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」です。
これは何て読むのかな?というレベルの疎いtorikeraです。調べてみると「旧官幣大社(きゅうかんぺいたいしゃ)南洋神社(なんようじんじゃ)鎮座跡地(ちんざあとち)遥拝殿(ようはいでん)」という事になります。

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※「官幣大社(かんぺいたいしゃ)」:国や皇室から幣帛(へいはく=神への祈願の際奉られる品・お金)が支弁される神社で最も格式の高いもの。例・出雲大社。

「南洋神社(なんようじんじゃ)」:第一次世界大戦時に日本軍はドイツの統治していたパラオ(現・パラオ共和国)を占領。その後、パラオを含む南洋諸島は日本の「委任統治領」となり、南洋庁を置いたコロール島は諸島の中心となり多くの日本人も移住。昭和15年(1940年)に「南洋神社」が創建されます。(下記NHKニュース参考)
 太平洋戦争時は、海軍の北西太平洋での作戦重要拠点となるが、昭和19年(1944年)には、コロール島の南に位置するペリリュー島での日米の激戦で双方2万人を超える死傷者を出し日本軍は全員「玉砕」。(下記Youtube記事参考)
 昭和20年(1945年)8月には敗戦。翌年には、南洋神社は廃止されたそうです。

 美しいサンゴの島々に、占領下「官幣大社」が建てられた事の意味(「出雲大社」並みの格式の神社をパラオに創建!)を含め「平和」の大切さを「遥拝殿」の前で考えたいものですね。


参考になりそうな動画を見つけたのでご紹介しておきます。
※マンガで伝えるペリリュー戦(Youtube)



※NHK放送史「南進邦人待望の南洋神社鎮座祭」日本映画社・日本映画新社が製作した「日本ニュース」1941年放送


▼「~遥拝殿竣工をお祝いして」奉納は、阪本是丸 国学院大学教授。坂本教授は2021年4月に亡くなっていた。歴史学者・神道学者で専門は近代日本宗教史・政教関係史。

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※「三ノ宮卯之助」の力石から始まり、「庚申塔」や「手水舎彫刻」、はたまた「遥拝殿」と興味深い対象が盛沢山でした。
みなさんもぜひ機会があれば訪問、参拝なさってくださいね。





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コメント

Re: コメントありがとうございます

ぶらっと遡上探索 さん!こんにちは!

久伊豆神社と称する神社は、埼玉だけでも60近くあるようですね。

三ノ宮卯之助は、超スーパースターと言っても良いのではないでしょうか(^_-)-☆

ちなみに、久伊豆神社の力石の上の100円は私が置いたのではなく前からありました。

大きさを比較するのにちょうど良かったのでそのままにしておきました(笑)

明日は良い天気のようです。気を付けてお出かけ下さい(*^_^*)

コメントありがとうございます

今日はトリケラさん、拍手コメントありがとうございます。
久伊豆神社、中川沿いにも在りましたよ、此処の神社は元荒川沿いなので遡上予定(時期不明)です。三ノ宮卯之助って、力石マニア?では知らない人がいない程の超有名人ですよね。しかし、50貫を担ぐとはおったまげですな。あっ、100円見っけ、交番に届けなくっちゃ(笑)。
明日、久々の快晴で25℃以下、遡上再開です。
お問い合わせの橋の説明につきまして、追記しておきました。では、また...

Re: お邪魔します。

yuusuke320 さん!おはようございます!

コメントありがとうございました。

小石川に「こんにゃく閻魔」があるなんて知りませんでしたぁ!

サイパンに渡って戻って来た「汎太平洋の鐘」も初めて知りまし0 さん!おはようございます!

コメントありがとうございました。

小石川に「こんにゃく閻魔」があるなんて知りませんでしたぁ!

サイパンに渡って戻って来た「汎太平洋の鐘」も初めて知りました。傷が痛々しいですが音色はしっかりしていますね。

どんないきさつで、はるばるサイパンに渡る事になったのでしょうか?

ところで、源覚寺のオフィシャルサイトを見ると通販コーナーがあったので

てっきり、こんにゃくの販売をしているのかと思いましたが(^^;)「閻魔セット」「塩地蔵セット」「閻魔パンツ」等々

食指の動く魅力的な商品が満載でした。「息抜きに」ぜひ訪問しようと思っています!ご紹介ありがとうございました(^^♪

お邪魔します。

 読み逃げばかりですがいつも新しき発見で好奇心が満たされており、ありがとうございます。

 南洋神社鎮座跡地遥拝殿ですか・・・
 文京区小石川の源覚寺には「汎太平洋の鐘」なるサイパンの南洋寺に供出され戻ってきた鐘があります。

  オイラブログですがー
  http://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-1754.html

 埼玉の神社仏閣巡りの息抜きに都内も散歩してくだされー

Re: 見どころ満載

BUSYBEE-GAEI さん!こんばんは!

流石に古い神社には、様々な歴史の宝物が残っているものですね。

お祭り騒ぎのオリパラがやっと終わったという印象でいます。

どの競技を見ていても、使用するウェアや道具の技術や経済力の影響を感じました。

体一つで勝負していた昔とは違う「勝負」が現代のスポーツには存在するようです。

一つの石を担げるか、さし上げられるか?シンプルですが分かりやすいと思いますね。(*^_^*)

Re: No title

大原かずのり さん!こんばんは!

本当にとんでもない力持ですね。このチラシのような見世物を見たらビックリしてひっくり返ります(笑)

手水舎は1675年のもので、これでもかという彫刻師の技が満開です。

「登竜門」というヒントが公式サイトにあったので、謎解きができ、一つ勉強になりました。(*^_^*)

見どころ満載

軒下も彫り物も石も、いずれをとっても素晴らしい。
ところで、いつのまにかオリパラ終了。
シンプルな“力比べ”があってもいいんじゃない??と、力石関係のブログを拝見して思いました( ´艸`)。

No title

う~む、三ノ宮卯之助ですかぁ!江戸時代にはとんでもない怪力がいたんですね^^;
馬と人が乗った船を足で持ち上げるとか、凄いです!

手水屋は1675年の年代建立で早くも凄い彫刻ですね!
さすが関東。
鯉がまさに龍になっていく段階、このような彫刻も見たことないですね。面白いです^^

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Author:torikera
季節の野草や身近な自然の写真のご紹介、トレイルランやポタリング、マウンテンバイクの記事、掘り出しモンCDアルバムなど音楽の話題、美味しい日本酒や蕎麦について、最近は庚申塔・石仏・富士塚・力石など石や塚などにも興味津々!とりとめのない記事ばかりですがよろしくお願いします。

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