今日で大学院入試終わって判定会議も終わってトレーニング行って気持ち入れ替えて、今更感すごいけど週末の講演の申込締切が木曜なのでまとまった宣伝ツイートをしようとワードに下書きしてたら、3000字書いたとこでようやく本題って感じになってこれでは終電に間に合わないと諦めて帰宅電車。
2016-02-24 00:54:441)昨日で大学院の入試も終わって、今週末は自分の講演もあるのでたまには漫画史研究者らしいツイートを。たまたま『MdN』『サライ』『BRUTUS』と漫画特集が続いているので、そこに見られる漫画史認識を題材にしたい。 pic.twitter.com/ipCz3NLpoJ
2016-02-24 10:08:582)以下、三誌に対する批判的な議論が続くが、これは私の問題意識からはこういうことが言えますよという話であって、三誌とも買う価値のある充実した内容になっていることは断っておきたい。
2016-02-24 10:09:183)団塊世代がターゲット層と思われる『サライ』は「読めばあの日がよみがえる」と謳って思い切り懐古モード。「「私」の名作案内」で取り上げられる作品はアトム以外すべて60年代・70年代に連載が始まったもの。それ以後の作品にも面白いものがありますよ的な紹介一切なし。すがすがしいくらい。
2016-02-24 10:09:504)一方「漫画家が発明した表現30」と謳った『MdN』はさいとうたかをとちばてつやの2作品だけが60年代で、あとはみな80年代以降の作品。今日の漫画にとって重要な発明はほとんど80年代以降のものだとすると、漫画の「現在」は80年代に形成されたということだろうか。
2016-02-24 10:10:165)「一体、僕たちはいつから漫画を読まなくなってしまったんだろう」という一文から始まる『BRUTUS』は「もう一度、漫画を」と現在進行中の作品に誘おうとするが、ここでいう「僕たち」というのはどういう存在なのだろう。先の一文に続いて挙げられる漫画家の名前は手塚、水木、赤塚、大友だ。
2016-02-24 10:10:326)『サライ』と『BRUTUS』は基本男性誌だからということもあるのだろうが、少女漫画など女性向けの作品への言及がほとんどなく、男性向けの漫画を特にそう断ることもなく「漫画」としてしまっている。『MdN』はそれなりに女性向け作品も取り上げているがもうちょっと力を入れてほしかった。
2016-02-24 10:10:467)次に、大友以前/以後という切断線があるという暗黙の了解が、基本的に80年代以降しか扱わない『MdN』と、基本的に70年代以前しか扱わない『サライ』、浦沢直樹と倉本美津留の対談で大友のインパクトを強調する『BRUTUS』のすべてに、おそらく共有されている。
2016-02-24 10:11:108)そこでは劇画の位置付けが、さいとうやちばへの言及しかないためよくわからず、少女漫画の歴史もほぼ見えない。限られた誌面の中で焦点を定める必要のある雑誌の特集にそこまで求めるなというのは正論だが、焦点を絞る時に何が落とされていいと思われているのかはやはり気になる。
2016-02-24 10:11:369)もう一つ、対象年齢層の明らかに異なる三誌に、しかし手塚治虫の名だけは特権的なものとして登場するという点も共通している。『サライ』には想定読者層の団塊世代もリアルタイムで読んでいなかったと思われる『新寶島』『ジャングル大帝』の冒頭部が別冊付録でついている。
2016-02-24 10:11:5510)『BRUTUS』の浦沢・倉本対談では手塚が「日本漫画史のファーストインパクト」だと言われているし、『MdN』でも手塚の何が新しかったのかが、いしかわじゅんと夏目房之介へのインタビューで繰り返し問われている。
2016-02-24 10:12:1411)『MdN』のいしかわへのインタビュー、夏目へのインタビューには、手塚は本当に新しかったのかという疑問への意識があり、特に夏目は近年の研究の進展も踏まえた受け答えをしているが、一方で、「漫画家が発明した表現30」を論じた各ライターの記事には手塚の革新性を自明視する記述もある。
2016-02-24 10:12:3412)『MdN』は単に「表現に注目すると漫画がもっと深く読み解けますよ」という特集でよかったし、実際ほとんどの記事はそういう内容だが、なまじ「発明した」という論点を入れてしまったために「本当にその漫画家以前にそういう表現はなかったのか」という疑問を招き入れてしまって損をしている。
2016-02-24 10:13:1513)「それまでの少年マンガのキャラクターの靴は、ただ丸が描かれていたのに対し、さいとうたかをは“劇画”を表現するためにブーツをキャラクターに履かせ」たというほとんど意味不明の記述が出てくるさいとうについての記事はその典型だ。手塚の初期作品を見るだけで間違いだと分かる。
2016-02-24 10:13:4214)10の名作を紹介する前に竹内オサムへのインタビューをもとに「「ストーリー漫画」の歴史をひもとく」記事を構成する『サライ』もこの記事に「手塚治虫がすべてを変えた」と大見出しを付ける。
2016-02-24 10:14:0315)が、実際の記事の内容を見ると、「正チャンの冒険」「のらくろ」「スピード太郎」「火星探検」など戦前戦中の重要作をたどり、手塚もこれらから影響を受けたことを述べていて「すべてを変えた」というような書き方にはなっていない。問題は、にもかかわらずそういう見出しがついてしまうことだ。
2016-02-24 10:14:2216)『新寶島』と『ジャングル大帝』の一部分が収められた別冊付録を見ても『サライ』にとって「手塚治虫がすべてを変えた」ことは譲れない大前提であるかに見える。竹内の談話はきちんと記事にできるにもかかわらず、それでもそうなってしまうのだ。
2016-02-24 10:14:4917)『MdN』にも各記事の中には先にも触れたように「手塚治虫が『新寶島』で取り入れた映画的手法は、それまでの舞台的なマンガ表現を根底から覆した」といった、夏目のインタビューの中では手塚の「神話化」として退けられている認識そのままの記述があったりする。
2016-02-24 10:15:0418)おそらく少女漫画について同様の特集がどこかの雑誌で組まれても、手塚の名は「リボンの騎士」とともに特権的な場所に置かれるだろう。戦前戦中に松本かつぢがどんな仕事をしていたかなどには触れられずに。
2016-02-24 10:15:2719)手塚没後27年、「手塚神話」はむしろ強化されているように見える。「劇画」の記憶が遠ざかり「手塚」の次はいきなり「大友」になり、そこからが「現在」という歴史観が強まりつつあるとすれば、「手塚以前」どころか手塚と同世代の「手塚以外」さえ見えなくなりつつあると言えるかもしれない。
2016-02-24 10:16:0320)手塚の命日にツイートしたが、私自身も手塚作品との出会いがなければ、そもそも漫画史研究者になどなることはなかったと言える。しかし、そのことと、かくも手塚神話を強固なものにしないといけないのかという話は別である。
2016-02-24 10:16:2421)例えば手塚治虫を「漫画の神様」と呼ぶことに特に異論はない。しかし、八百万の神の国にふさわしく、漫画の神様も、手塚以前にも以外にもたくさんいるのだという世界観ではダメですかという話なのだ。なんで日本漫画の世界は手塚一神教みたいにならないといけないんですかという話なのだ。
2016-02-24 10:16:4922)近年の研究などと他人事のように書いてきたが、私が大学院時代から取り組んできた戦前・戦中の漫画史の研究はまさにこの「手塚神話」の相対化につながっている。具体的には「マンガと乗り物―『新宝島』とそれ以前」、「ある犬の半生-のらくろと〈戦争〉」などの論文を書いている。
2016-02-24 10:17:08とんかつbot。少女マンガ研究・日本語ラップなどのこともつぶやく。岩本ナオや高橋葉介やうしおそうじが好き。うぐいす祥子『闇夜に遊ぶな子供たち』の連載再開を願ってる。