講和から120年、日清戦争に関するあれこれの話~ドンガメ六号氏のツイートから
- gryphonjapan
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日清戦争での日本軍、鴨緑江を越えた先の冬で万人規模の凍傷者を出してるのか。こうした経験が後の大陸での作戦の教訓になってるんだろうな
2015-04-18 22:23:05日清戦争時、徴兵制が未施行だった沖縄で陸軍教導団に下士官として志願して入り、兵役の義務を果たすことで権利を手に入れようとする人達が居た一方、琉球処分に不満を持ち、福建省に渡って琉球復活運動を継続する「黒党」というグループも存在した、という話面白いな
2015-04-19 09:28:20日清戦争後に徴兵制が敷かれるんだけど、全国どこでもあった徴兵忌避の動きが沖縄にあってはレベルが高く、本土でもよくあった自傷、盲人のフリなどの他に、徴兵検査官に対する呪詛、見物人による徴兵検査の妨害、渡清、移民による合法的な徴兵逃れなどがあったそうな
2015-04-19 09:35:47そうした動きも、十年後の日露戦争に従軍した約二千人の沖縄出身兵が凡そその一割に達する二百人が戦死することによって、高まるのでは無く収まったというのだから面白い。郷土出身者の出征と帰還、戦死による慰霊という共通体験によって当事者認識が産まれたというのは皮肉にも思えるが
2015-04-19 09:39:39維新で賊軍となり、西南戦争の時には薩摩絶対殺すマンと化して抜刀隊を送り出した経験のある仙台では、日清戦争の時にも旧士族(そして元藩兵元抜刀隊)が中心となり義勇兵部隊を作って清へ送ろうという動きがあったというのだからたまげる。徴兵制の軍隊と相反する動きは政府によって止められたが
2015-04-19 09:46:19組織そのものは従軍する軍夫の募集や出征家族の世話をみるなどの後方支援団体として活動したとのこと。よほど朝敵扱いされたのがトラウマだったのか
2015-04-19 09:47:27日清戦争の講和をしようという時に来日していた李鴻章を右翼が拳銃で銃撃して負傷させるというウルトラチョンボをやらかしてるの、流石日本の国士という感じがする
2015-04-19 09:58:26ちょっとtogetterに画像を入れたい。安彦良和「王道の狗」から李鴻章 @gryphonjapan pic.twitter.com/grUxfurxqM
2015-04-20 09:52:04【日清戦争 (中公新書)/大谷 正】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/412102270X #bookmeter
2015-04-19 10:38:31義和団事件の良い本をさがしていたら「日本被害史 世界でこんなに殺された日本人 (オークラNEXT新書)」という本を見つけて鼻からもずく酢が飛び出てきた
2015-04-19 10:52:18日清戦争の際日本軍は最終的に河北の辺りに陸軍を上陸させて北京周辺の野戦軍に決戦を挑む「直隷決戦」という構想を抱いていてその準備も進めていたのだが実現しなかった。もし実現勝利していれば講和の際に清に対しては優位を得ただろうが、中国に利権を持つ列強は史実以上に日本を敵視したかも知れん
2015-04-19 12:28:22史実だと遼東半島の割譲すら北京を(つまりは列強の利権を)危うくするとして列強の三国干渉を引き起こしたのに対し、日本国民がブリブリ怒って対露感情を悪化させ日露戦争の遠因とすら言われたのに、北京近郊で決戦勝利なんかした日には国外の敵視も国内の戦勝気分もゲージが振り切れて大変な事に。
2015-04-19 12:31:34講和の交渉に来た李鴻章達の使節も野戦師団を乗せた日本軍の輸送船が出航していくのを見て、というか日本側が露骨に見せて、講和やむなしとの結論に到ったのだけれど、そこを国士殿が李鴻章を銃撃する事件が起きたのだからもう大変
2015-04-19 12:34:34しかもその動機が「講和を妨害し戦争を継続し、日本軍の戦果を更に拡張させるため」と言ったというのだからある意味目的の為の手段としては正解だったのだから適わない。当時清の外務関係に絶大な影響力のあった(つまりは列強の信頼もあった)李鴻章が本当に下関で死んでたらどうなってたか分からん。
2015-04-19 12:36:53日本側も津田三蔵事件を思わせるの時のように大慌てで、明治天皇が侍従の医師を派遣するなどの大騒ぎとなった。戦争中の交渉相手を殺害するという事件が国際的信用を失わせるのは確実で、伊藤博文なんか顔面ラストブルーだったに違いない
2015-04-19 12:41:23日清戦争とは「朝鮮に対する干渉戦争、朝鮮を巡る対清戦争、そして講和後の台湾平定戦争」という複合戦争だった、というのが読んだ本のまとめだった。近代日本が三十万を越える軍人軍属を外地に遠征させ、危ういながらも完遂した実力を見せた反面、今後に繋がる様々な欠点を露呈した戦争でもあったと
2015-04-19 12:51:13戦死者一万三千余名のうち戦死は10%、病死が88%というのも興味深い。脚気、赤痢、マラリア、コレラ、の順に多く、凍傷患者も多数居たとのこと。死者の多くが余り語られることの無い台湾平定戦での死者であり、当時の軍隊の外征作戦と衛生の難しさを思わせる
2015-04-19 13:00:23徴兵動員から後備兵、予備役兵の管理まで、戦争に置いて戦争の僅か数年前に整備された「市町村」が果たした業務的な役割は大きく、そうした後備的なシステムが旧態依然とした八旗や緑営、近代装備を備えるも私兵義勇兵的側面が強い李鴻章の淮軍を主力とする清には備わっていなかった。
2015-04-19 13:07:39どうでもいいけど元々日本との戦争反対だったにも関わらず結果開戦し洋務運動の時代から手塩にかけて育てた海軍がやられた挙げ句講和の交渉もやらされた挙げ句敵地で銃撃までされた李鴻章本当に可哀想
2015-04-19 13:49:13これも同じく「王道の狗」 …『自分がカネをかけて作った私軍だから、使うと減って損する。だから戦争をしたくない』という反戦意識(?)って旧時代には欧州とかにもけっこうあったよね。 @gryphonjapan pic.twitter.com/Es1yC3GKbh
2015-04-20 09:56:01三国干渉については、清(特に李鴻章)が日清戦争での失地を列強の介入によって最小限に止めようとし、結果遼東半島を賠償金で取り戻すことに成功したが、ロシア進出のきっかけになり、結果日露戦争>日本の満州への進出へ繋がるので「李鴻章最大の失策」的な批判が中国ではされたりするらしい
2015-04-19 14:14:42