「自然に還れ」と簡単に言われることがあるが、津波を被ったりして放置された土地の「自然な」状態をみると、その凄まじさに圧倒される。逆に、のどかと思える農村、山村が、いかに手間と暇をかけた人工物であるかがよく分かる。「田舎」も人工物なんだよなあ。
2013-09-22 05:46:05@ke_1sato 人工と原生自然という二項対立的な用語の使い方が良くないのかなあと最近思います。実のところ完全な人工も完全原生もなく、そこには人間と自然の関係の濃淡や地域毎の多様な在り様があるだけなのだと思うのです。
2013-09-22 07:07:31@moriokahiguma はい。仰るとおりだと思います。人間活動と自然のバランスが、ある時にはせめぎ合いになり、またある時には共存するということの繰り返しなのだろうと思います。
2013-09-22 07:28:25「技術の現場としての自然」「技術の現場としての自然のポリティクス」というふうに提案してきているのですが…。RT @moriokahiguma: @ke_1sato 人工と原生自然という二項対立的な用語の使い方が良くないのかなあと最近思います。
2013-09-22 08:51:33@moriokahiguma @ke_1sato 「人工と原生自然」と分けるのは、まぁ、問題だとは思うのですが、ものごとを整理する場面での分類としては否定できず→そうすると、「人工」や「自然」という語彙の使用は否定できず→それらを使って、現状をどう表現するか、みたいな回路です。
2013-09-22 08:58:32@sakinotk @moriokahiguma 「技術の現場」という視点は、もう一つの考え方になるでしょうね。それを忘れがちになると、「自然に還れ」という安直なコメントに流れていくのかと考えました。
2013-09-22 11:53:22@ke_1sato @moriokahiguma はい。学生のころの「日本の農本主義」と、林政の院生向け授業をもぐらせてもらった「日本林業技術史の研究」を挙げることにしています。分野外の人には意外らしいのが心外。困ったものです。防風林が「自然」とか思っている方も多いわけで。
2013-09-22 12:14:30@sakinotk @moriokahiguma ああ、たしかに林学方面だと、防潮林が一番分かりやすい「誤解」を生みそうですね。。。
2013-09-22 12:16:14@ke_1sato @moriokahiguma あと治水関係とか、江戸時代までのお仕事は「自然」みたいに頭の地図ができている方は相当多いようです。「自然」に言及することは多いわけですが、一手間をかけて念押ししておかないと、ビミョーな誤解につながるので一手間を心がけています。
2013-09-22 12:21:37@sakinotk @moriokahiguma 江戸時代までの土木工事ですら、結構自然地形を壊変していますからね。今から見れば素朴な工法で自然素材ばかりを使っていたとしても、れっきとした人工的操作、技術の結果ですからね。
2013-09-22 12:30:18@ke_1sato @moriokahiguma 江戸城のお堀や石垣だとそれがわかるのに、ちょっと都市部をはなれたことがらとなると?になるというのも困ったものです…今回の震災や原発事故のように被害地域が広大となると、そういう部分からの確認が大事と痛感しています。
2013-09-22 12:37:39@ke_1sato 「なわばり」って言うとちょっとアレですが、自然界に「隙間」というものは存在しないんだなーという感想も持ちます。常にいかなる場所もみっちりみちみち。。
2013-09-22 13:04:49@ke_1sato はい。随分昔ですが東北大の加藤陸奥雄先生から「日本には原生林はほとんどない。みな手が入っている。一度手を入れた森は人間がずっと管理していかないといけない」というような趣旨のお話を伺い、いわゆる「自然」に対する見方が180℃変わったことがあります。
2013-09-22 13:19:18@sakinotk @ke_1sato 現在、訪独中で時差のため面白い議論中に思いっきり寝てました orz 。残念です。お二人のやり取りと同様のことを一人の頭の中でよく考えます。単純な二項対立は不味いけれどもそれを両極インジケーターとして現状を理解することが大事と思います。
2013-09-22 13:55:40@ke_1sato 「街⇔里山⇔山林」という形を人為的に造ってますからね。例え田舎でも、開発が進んで「街⇔山林」と、里山という緩衝材がない現状だと、上手く機能してませんが・・・。
2013-09-22 13:56:19@ke_1sato @sakinotk 一次産業の現場では都市部の住民の「好意」からではあるが「安直」に発せられる「自然に還れ」が、時に農山漁村住民の生活や生業の否定になることへの無自覚には頭を抱える時があります。生産の現場と生活の現場が多くの場面で切り離された時代の問題化かと。
2013-09-22 14:00:17@ke_1sato @sakinotk 「防潮林」への誤解の典型が「緑の防波堤」につながるわけで、「市民レベルの素朴な無知」というだけでなく「科学の分野間の断絶」の現れとも思います。もちろん相互理解は進みつつあり、最前線の生態学者で「緑の防波堤」を礼賛する人はいないと思いますが。
2013-09-22 14:03:48@sakinotk @ke_1sato ヨーロッパの一次産業政策や農山村の社会政策をみると、自らの眼前の「自然」が「人工と自然のせめぎあいの結果」であることがきちんと理解されていることが分かります。だから眼前の「自然」を保持したいのであれば、そこにおける「生産と生活」を保持する。
2013-09-22 14:06:43@sakinotk @ke_1sato 経済的な競争では成り立ちえない条件不利な農山村で人が暮らし続ける結果としての自然景観に社会的価値を認めるからこそ、条件不利地域政策としての直接所得補償やそのクロスコンプライアンスとしての生産性だけに拘泥しない農林業の採用がなされます。
2013-09-22 14:09:28