言語・数学と科学・物理について
日経サイエンス2013年2月号で、とくに私が気になった記事(というより書評)は「言語が違えば世界も違って見えるわけ」という新刊のガイドでした。 http://t.co/gCyexYoA
2012-12-26 18:46:30もしも「前後左右」という言葉がなくて、位置や方向を指し示すために「東西南北」という言葉しか使えないとしたら、人はどのように世界を認識し、どのようにものを考えるか、という話のようです。
2012-12-26 18:46:57似たような話は『もし「右」や「左」がなかったら』という本で読んだこともありましたし: http://t.co/1FHntnib
2012-12-26 18:47:17日経サイエンス2011年5月号にも「言語で変わる思考」という記事がありました: http://t.co/DdbHAK2k
2012-12-26 18:48:37以前、「モッタイナイ」を意味する言葉は他国語にはないという話が流行りましたが、モッタイナイという意識・関心がなければ「モッタイナイ」とは言わないし、その語感を伝えるのも難しい、ということなのでしょう。
2012-12-26 18:49:37「言葉が先か、思考が先か」という問題の立て方はまずいかもしれませんが、人は、ある「ものごと」に注意を払っていなかったら、その「ものごと」を指し示す言葉を作らないし、逆に、言葉がないことは考えられず、言葉が思考の枠を規定するという働きもあるでしょう。
2012-12-26 18:50:12なんだかんだ言っても人間の言葉は、おおよそヒューマンサイズの身の回りの出来事を記述するために構築された体系ですから、人間の感覚の及ばない出来事を記述するのに適している保証はないわけです。
2012-12-26 18:50:33物理学の歴史にも、言葉に引きずられて、自然現象や物理法則をうまく捉えられなかった事例がごろごろしていると思うのです。とくに物理概念の名称にはそういった「誤認識」の名残がつきものだし、名称は名残そのものだと言いたくなるくらいです。
2012-12-26 18:51:05例えば、「熱」を保存的な「物量」として捉えるのは、現代ではよい理解の仕方ではないとわかっていても、「熱容量」とか「潜熱」という言葉が残っています。
2012-12-26 18:51:34中には「自由エネルギー」が保存量であるかのような捉え方をしている人がいて、「自由エネルギーがここからそこに移る」という言い方をされたのを聞いたことがありますが、
2012-12-26 18:52:21ちょっと無神経すぎる言葉づかいじゃないのかと思うこともあります。たんに言葉づかいが悪いだけでなく、概念の捉え方が間違っている気がするのです。
2012-12-26 18:52:43とりわけ量子力学は人間の日常感覚・経験からかけ離れた世界を扱うので、どうしても,言葉と,言葉で表そうとしているものとのギャップがひどくなります。
2012-12-26 18:53:52「波束の収縮」とか「シュレーディンガーの猫のパラドクス」なんてのは、私には、言葉に振り回された結果生じた見かけのパラドクス・擬似問題としか思えません。
2012-12-26 18:54:03数学が得意な方の中には、雑念にまみれた自然言語ではなく、ストイックな数学を使えば、そういった早とちりは生じないはずだと思っている方もいるようですが、そういう人は、数学で書かれた物理理論は現実世界のある一面についての粗い近似モデルの描写に過ぎない、という認識が完全に欠落しています。
2012-12-26 18:56:49数学は、現実世界から発想のヒントを得つつ、割り切って現実から離脱することによって、閉じた論理性と厳密性を担保しているのです。
2012-12-26 18:57:11せっかく作った数学的理論であっても、「右」や「左」にあたる言葉を欠いているかもしれないし、「上」と「下」の区別が地表のごく近傍でのみ well-defined だということを見落としているかもしれない。
2012-12-26 18:57:27例えば、実数全体の集合をDedekindの切断公理で特徴付けることはできても、現実世界の空間や時間やエネルギーがそのようなものになっているという保証はない。
2012-12-26 18:58:05ただ、空間や時間はおおむね実数体のようなものだと思えるし、さしあたってそう仮定して理論を作って現実と照らし合わせてみると、実数近似の是非を疑う以前の困難の方が目立つ、というだけのことです。
2012-12-26 18:58:24例えば、力学の三体問題が解けないとか、微分方程式を使って銀河の運動や天気予報を計算しても現実と合わないからといって、実数論のせいにはしにくい、ということです。空気は実数のような連続体ではないとわかっていても、実数論を責めたりはしない。
2012-12-26 19:00:37科学は、数学や自然言語を使うために、不可避的に言語からの制約を受けているし、言語から生じた擬問題に囚われていることもあると思うのです。
2012-12-26 19:00:56人が言葉を使って思考を明確化し、表現し、伝達する。言葉は人類の生き残り戦略上きわめて強力な道具であるけども、私はそれを道具と割り切ってしまうけれども、「言葉にする」ということは「言葉にならないものを思考の枠から取りこぼす」という働きと裏腹の関係にあります。
2012-12-26 19:01:19こういった問題提起が取り立てて新しいものだとは思いませんが、日経サイエンス2013年2月号の新刊ガイド「言語が違えば世界も違って見えるわけ」を見て、かねてから気になっていたことを思い出しました。
2012-12-26 19:01:52