航空写真に写る『何か』に気づいたとある探検家が5年越しに『黄金の谷の集落』へ辿り着いた話。大渓谷の真っ只中に存在した集落の今とは
スレッドにします。 『黄金の谷の集落』静岡県中央を南北に流れる大井川。その上流域には、12kmにもおよぶ大渓谷が続く。半世紀前まで、大渓谷の中には黄金にまつわる集落があった。確かに、航空写真には今も何かが写る。大渓谷の真っ只中に存在した集落の今を確かめるため、『接岨峡』へと向かった。 pic.x.com/72nwDIrWG9
2025-01-04 21:02:26はじめに
黄金の谷にある集落。多数の蛭、熊、沢渡り、そして高低差30mの崖登りと、困難な要素がフルコースの集落だ。集落を調べ始めて5年になるが、到達できていなかった。しかし今日、集落に辿り着くことができた。もう感無量だ。 pic.x.com/T4aP3xAFnp
2024-11-10 22:10:16今回は探索のプロフェッショナルである 「おさじん様@noiseandblame」に同行いただき、随分と助けていただきました。私一人では到底辿り着けませんでした。是非とも、おさじん様@noiseandblameをフォローいただければと思います。
2024-11-10 22:12:50廃道、廃線、廃墟など、廃なモノが好き。情報ソースはもっぱらネットな自称にわかオブローダー。コミュ障。気まぐれに写真や動画を投稿してみる。
場所は静岡県中部です。このような険阻なところでも、昭和50年初めまで人の営みがありました。静岡県山間部の谷間は、四国や紀伊半島の谷間とは違った恐ろしさを感じます。地質の悪さ、蛭、熊の存在がそう思わせるのかもしれません。 pic.x.com/uPUT8ESXDo
2024-11-11 12:45:46いつもは、現地調査ができても、関係者の方々への聞き取りに苦労するのですが、今回は逆で、聞き取りはできたものの、現地調査ができていませんでした。これで全てのパーツが揃いました。纏めることができます。次のスレッドは黄金の谷にあった集落になります。12月半ばにポスト予定です。 pic.x.com/nxYeajNtQQ
2024-11-11 21:45:20ちなみに、この鉄柱はレールの流用です。おさじん様はすぐに気づかれていました。長大な森林鉄道が通っていた地域です。スレッド時に全ての情報をオープンにしますので、1ヶ月ほどお待ち願います。 pic.x.com/FjPYDgS1mY
2024-11-12 07:00:43黄金の谷へ
スレッドにします。 『黄金の谷の集落』静岡県中央を南北に流れる大井川。その上流域には、12kmにもおよぶ大渓谷が続く。半世紀前まで、大渓谷の中には黄金にまつわる集落があった。確かに、航空写真には今も何かが写る。大渓谷の真っ只中に存在した集落の今を確かめるため、『接岨峡』へと向かった。 pic.x.com/72nwDIrWG9
2025-01-04 21:02:26『何か』の存在は5年前に気づいていた。接岨峡を通る車道と鉄道から深い谷間を隔てた対岸に『何か』は写る。『何か』を調べるうち、かつて接岨峡には『栗尾』と呼ばれる集落があり、さらに栗尾は黄金にまつわる集落だと知った。栗尾は一体どのような集落なのか。実際に行って確かめたいのだが… pic.x.com/m9pRVBkmy9
2025-01-04 21:03:37標高3000m級の南アルプスから太平洋へ流れる大井川。自然、歴史、文化、産業の全てが交錯する静岡県を代表する大河の一つだ。その流域にある自治体のうち、静岡市と本川根町の境界が複雑に入り組む地点に、接岨峡(せっそきょう)と呼ばれる大渓谷がある。栗尾集落は、接岨峡の本川根町側に位置する。 pic.x.com/B9VQJevZE2
2025-01-04 21:04:48『栗尾には容易に辿り着けない』 ネット上に栗尾集落の情報は殆どない。理由はCS立体図に描かれている。栗尾から最寄りの車道まで直線距離で300mだが、途中に栗尾沢と呼ぶ険阻な谷間が存在する上に、谷間の吊橋は落ち、熊や山蛭も多いという。栗尾は容易に辿り着けない集落であることは間違いない。 pic.x.com/pnPsI3hepU
2025-01-04 21:05:57数年もの間、栗尾集落の存在は知っていても、確たる情報がなく栗尾へ向かうことを躊躇していた。転機は1年前のこと、栗尾の記載があるブログ記事の出現だった。早速、ブログを書かれたGさんに情報を伺い栗尾へと向かう。しかし、降雨と栗尾沢の増水に阻まれ、辿り着くことはできなかった。 pic.x.com/gXlJIAYgXL
2025-01-04 21:07:14『海久保集落』 R.6年秋、再び栗尾集落へ向かった。今回は、廃探索をメインに活動されているおさじんさん@noiseandblameに同行いただいた。閑蔵駅対岸にある現住2世帯の海久保(かいくぼ)集落。ここから林道を歩いて栗尾沢への下降地点に向かう。当日の天気予報は曇りだが、現地は雨が降っている。 pic.x.com/c9tE5Ghz2T
2025-01-04 21:08:35栗尾集落へ車道は通じていない。林道を約20分歩き、栗尾沢への下降地点から地図に描かれた山道に入る。山道は送電線の巡視路として手入れされ、一見すると栗尾まで簡単に行けそうな雰囲気があるのだが…標高差50mほど下ると、『倉ノ平』と呼ばれる平地に出た。植林の中に玉石を積み上げた跡が残る。 pic.x.com/9DJjg456Wy
2025-01-04 21:09:45『山蛭の沢』 さらに50m下って河原に立つ。目の前を栗尾沢が轟々と流れる。長居はしたくない険阻な谷間だ。しかも、周辺は山蛭が非常に多い。以前おさじんさんが来たとき、少し立ち止まるだけで山蛭が這い上がってきたという。当日は見なかったが、季節によっては山蛭地獄になるだろう。 pic.x.com/7NQpei0jkJ
2025-01-04 21:11:24数本のワイヤーが栗尾沢対岸に伸びていた。明らかな吊橋跡で、床板は全て落ちている。吊橋が利用されなくなったのは30年ほど前だろうか。古地図にあるように、吊橋は梅地、海久保、栗尾と井川を繋ぐ往還の一部だった。大井川本流に架橋されるまで、これら大井川左岸の集落は井川との繋がりが強かった。 pic.x.com/t0uWejpVgx
2025-01-04 21:12:42川幅は狭く、今日の水量なら渡れるが、問題は対岸の崖にある。地形図で見ると、崖の高さは30m。目を凝らしても崖の頂上は見えず、上方から怪しげなロープが垂れ下がる。前回栗尾沢まで来たときは、崖を登れる気が全くしなかった。しかし今日は違う。探索のプロである『おさじんさん』がいる。 pic.x.com/A8q2v8JwXf
2025-01-04 21:14:13一気に沢を渡り、崖に取りかかった。まずは対岸の吊橋跡を目指す。地質は脆く、雨で濡れて足元が滑りやすい。吊橋跡で一息つく。おさじんさんは冷静に、吊橋の手すりはレール流用だと仰る。『ここまで来れば、吊橋跡から集落まで当時の道筋を辿ればよい』と安堵した…が違った。核心部の始まりだった。 pic.x.com/WFkaUUxsdN
2025-01-04 21:15:11『落ちたら死ぬ』 当時の道筋は消え去り、踏み跡は不明朗で足場も悪い。もちろん、落ちたら死ぬ。ロープは1箇所以外は当てにならない。そもそも、残置ロープほど怖いものはない。おさじんさんにアドバイスを受けながら、木の根本に乗ったり掴まったりして崖を登っていく。送電線の巡視路というのだが… pic.x.com/ukSn2T03oC
2025-01-04 21:16:34『栗尾集落』 先程の険しさは何だったのか。30mの崖を登り切った先には穏やかな地形が広がり、正面に一軒の家屋が見える。家屋は太い柱が印象的な昔ながらの造りで、位置関係から航空写真に写っていた『何か』に違いない。家屋の周囲にはお茶栽培の作業用らしき機械が転がる。電気は来ていたようだ。 pic.x.com/hn1bSFGQRB
2025-01-04 21:17:34奥へ進むと、作業小屋、倒壊家屋、墓跡も見つかった。耕作地跡は広範囲にわたり、立派な水路も築かれている。それにしてもCS立体図のとおりに、集落内の不自然な凹凸地形が気になる。栗尾集落は長らく、M姓二軒、S姓一軒の計三軒の集落だった。S.50年代初めに最後の一軒が離村して、栗尾は無住化した。 pic.x.com/T5AmX5LPxn
2025-01-04 21:18:42