陸前高田市の高校3年生なおみさんが語るあの日
- sugawarataku
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フジテレビで「わ・す・れ・な・い」という震災の特別番組を見て、今まであまり詳しく書かなかった、11日の私自身のことをちょっと長々とつぶやいてみようと思います。
2011-08-12 22:33:29私はあの日午前授業でした。放課後は国道45号線沿いにあるショッピングセンター(リプル)へ友達(以降S)と行きその後ファミリーマート、ドラックストア(ツルハ)という順に回る予定でした。 友達が校則違反をしたペナルティーである校内清掃をしなければならないとのことで友達が終わるまで
2011-08-12 22:42:282時間ほど職員室で時間つぶしがてら数学を教わったり、進路の話をしたり、なぜかチェルノブイリ原発事故についての話をしたりしていました。そういえばあの日の朝、友達たちに私は「サバイバル的なことがしたい!!こう…地震きて家崩れてうちも閉じ込められるんだけど脱出して、瓦礫の上を華麗に
2011-08-12 22:46:54越えていって、助けてーとか言われて救出したり…笑」と話をしていて その話もだんだん現実味を帯びていき「近々津波来ると思うー」ということでまとまりました。つい先日大きな地震があったため、寝ているとき地震がおきたら何を持ってどこを通ってどんな風に避難するかということまで考えていました
2011-08-12 22:52:42話し戻って Sの居残りも終わり、職員室で合流し先生と進路診断等して盛り上がり、そろそろ行こうかーということで校舎を出ました。校舎前にあるグラウンドの横の道路をいつも通り通って自転車置き場の横の細い道を進んでいこうとしたとき 私のケータイの緊急地震速報のアラームが鳴りました
2011-08-12 22:58:12驚きながらもとりあえず地震来るから止まろうということで、身構えました するといきなり大きな揺れが私たちの町を襲いました 揺れはいつものようにすぐにはおさまらず さらに幅の広い揺れになりました 近くの民家の瓦がパリンと音を立てながら私たちの2m先ほどにとめどなく落ちてきました
2011-08-12 23:03:46私たちはお互いに抱き付き合い とりあえず何も倒れてこない場所に動かなきゃと校舎前のグラウンドの方へ向かいました しかし私は家にいる4匹のチワワ(ビーンズ,ロコ,かりん,クリーム)と1匹の猫(黒)の元へ向かわなければと一人焦っていました 「家帰らなきゃ家帰らなきゃ…」と友達がとめる
2011-08-12 23:09:16のも聞かずつぶやき続けていました 頭の中はそのことでいっぱいなのに脚はがたがたと震え 唇も歯も震えていました「行かなきゃ、行かなきゃ!」と思うのに脚は動いてくれません家までは 走れば7分ほどでつく距離です 学校の中や体育館で部活をしていた生徒や残っていた先生方がグラウンドへ
2011-08-12 23:14:59集まってきました Sにしがみつきながら私たちもみんなのところへ行きました そのときケータイのワンセグで宮古に津波が押し寄せ たくさんの車が流されるのを見ました 何が起こっているのか全く把握できませんでした 私がいる高田には津波が来ていないのに宮古では目を覆いたくなる惨劇が起きてる
2011-08-12 23:20:24いったい何なんだという気持ちでいっぱいでした 何かしなきゃいけない! そんな気持ちも限りなく渦巻いていました こういうときこそ笑わなきゃいけないと思って深呼吸をし 自分たちの身の安全を確保しよう 信じたくないけど確実に高田にも津波が来る と薄く頼りない「覚悟」をしました。
2011-08-12 23:26:14校舎裏の急な坂を上り高い位置にある高校の第二グラウンドへ行き フェンス越しに海のほうを見ました しかし津波らしきものは見えません ちょっとした白波が見え あれが津波か?と思ってみていました するとどこからか誰かが叫ぶ声が聞こえました 私は海ではなく、手前の45号線辺りを見ました
2011-08-12 23:31:56一瞬何が見えているのかわからなくなりました 高田松原にある球場が「流れて」いました 正確には球場が流されていたわけではなく球場のところに海が渦々しく流れ込んできていたのです 私の父は消防団です いつものように水門が閉まっているか消防車に乗って確認しに行ってるはずです
2011-08-12 23:39:49球場は水門より手前にあります それなら お父さんは… 津波は防波堤を越えている… お父さんは水門の確認に… 私の頭の中には「父の死」が浮かんでいました さっきまでは球場のところだった海は私が行く予定だったショッピングセンターをのみこみ始めました 渦が見えます ついに駐車場にあった
2011-08-12 23:47:57車も飲み込まれ渦に乗って流され、ショッピングセンターも西側になだれ込むように流され始めました 周りの高校生たちの声も大きくなっています 「とまって。お願いとまって。止まれとまれとまれ…」私は組んだ手を額に当て必死に止まれと願いました そしてどうかお父さんが波に
2011-08-12 23:54:40のまれていませんように お父さんに苦しみが訪れていませんようにと願いました しかし、目を開けると海は何の境もなくすべてをのみこんでいっています 「第二波が来たぞー!!!上に上がれー」大人 おそらく先生が叫ぶ声がしました 私はフェンスに張り付いたまま動こうとしませんでした
2011-08-13 00:01:20Sが 「上がるよ!!」と言い私の腕を掴み走りました 私は涙でぐしゃぐしゃになった顔をぬぐいながら ローファーで70°はあろうかと言う坂を必死によじ登りました
2011-08-13 00:11:08上から見た高田は 私が今まで暮らしてきた 見ていた 大好きだった高田ではありませんでした 波があちらこちらで渦を巻き 見渡す限り海が「来て」いました
2011-08-13 00:12:58仕事に行ったお母さんは どこを通って来ているのだろうか 普通に町中を通ってきていたら… お母さんだったら諦めるかもしれない… 死んでほしくなんかない 私だけなんて嫌だ… 不安は不安を呼び胸のなかはキリがない不安 悲しみ 悔しさ 怒り そんな感情がひしめき合っていました
2011-08-13 00:16:13するとSは私に「もう見なくていいから!見ちゃダメだよ見なくていい」と背中をさすりながら力強く言いました Sの家は気仙町にあり 海の本当にすぐ近くです 弟や妹が4人いて Sは長女です
2011-08-13 00:18:58自分の家が流されているのは確実 弟たちの安否は全くわからない ましてどこにいるのかすらわからない お母さんやお父さんとも連絡がつかない そんな状況なのにSは私を守ろうとしてくれたのです
2011-08-13 00:20:47「大丈夫!(^^)」私はそう言い 無理矢理笑顔を作りました どんなにひどい笑顔だったことでしょう しかしそれを皮切りに 今度は薄くない しっかりとした どんな結果であろうと 生きる という覚悟を決めました 私は「みんな大丈夫みんな大丈夫…」と
2011-08-13 00:23:40自分に暗示をかけるように うつむきひたすらに 「みんな大丈夫」と呟き続けました 呟いているうちに 覚悟はしっかりとしたものになりました 暗示がかかったのだと思います
2011-08-13 00:28:14「みんな大丈夫!みんな大丈夫だから!」 私は最後に大きな声でそう言い 私たちの町をのみこんだ海をしっかりと見据えました Sは驚いた顔をしていました それもそのはず 顔面蒼白で涙だらけの顔をした ついさっきまで震えていた私が いきなりハリのある声をだしたのですから
2011-08-13 00:29:55「もう大丈夫なの?」不思議そうな 焦ったようなそんな顔をしてSは私に尋ねました 私はそれに笑顔で大丈夫と返し 笑いました 絶対みんな大丈夫だからと言いながら その後第二グラウンドに避難してきた近隣の方々が道端に座り始めました
2011-08-13 00:33:47野球部は屋内練習場を解放し 大きな声で避難者たちをそこへ誘導していました ですがお年寄りの方や 津波で頭が混乱している方々には中々その声は届きません 私も何かしなければと思い Sはみんなと一緒に居るように言いおき 避難者一人一人に
2011-08-13 00:37:27