【宗教】 域内統治手段としての宗教と、なぜ日本人は宗教を統治手段に選ばなくなったか 【政治】
補遺。宗教秩序の外にある別種の統治体制(政治)が、統治手段としての宗教を「手段」と見なして利用しようとするとき、宗教内部の統治秩序が利用しようとする政治側を上回る強固で権威が支持されているものだったりすると、宗教側の統治力が政治を飲み込む。(宗教が政治を指導する)
2011-06-14 14:14:53補遺2。宗教の権威が、それを手段として利用とする政治よりも権威が低く政治の統治秩序の中に内包される場合、その宗教そのものは権威(信奉者の支持によって形成される)を持たないため、統治手段としては高い効果・成果を発揮しなくなり、「統治手段としての宗教」の旨味は薄まる。
2011-06-14 14:17:12補遺3。中東諸国のイスラム革命などは、宗教的権威(宗教による統治の実効性、または期待)が既存の封建制政治体制、近代政治(法的根拠に神を定義しない法治政治)体制を上回ったことによって起きた自然の帰結である。
2011-06-14 14:19:05補遺4。統治手段としての宗教が大きな影響力を持つ秩序域内では、宗教指導者という秩序内権力者の影響力が大きくなり、時にこれが宗教外の政治的指導者の権威権力を超える。それは支持者の多寡と深度(純度)によって別の統治を排除する動きとなり、中東ではこれが内戦原因に発展する。
2011-06-14 14:21:32補遺5。統治手段としての宗教は、自身の主張が相手に優る根拠に検証不能な超然存在である神を定義することで、係争する二者の仲裁を試みる。双方に納得させるために最上位存在は不可侵かつ最強でなければならないが、一神教では最強権威者は一人しか定義されないため、他の神と順位争いが起こる。
2011-06-14 14:24:52補遺6。域内ではそれは神話/教典という解説で定義されるが、神話/教典の影響外にある域外の別の神話/教典が定義する別の神との間の優位性は定義されない。このため、「どちらの神(に従う信徒)に優先性があるか」を巡る係争を、域内統治に特化した宗教では解決できない。
2011-06-14 14:27:10補遺7。これを解決するため「統治手段としての宗教の影響圏を拡大する=布教」が正当化され、個々の一神教の最終目的は「全世界が自己の所属する宗教圏の秩序で判断、仲裁できる社会になる」のだが、それを巡って複数の一神教が凌ぎを削ることになる。
2011-06-14 14:29:00補遺8。G8に属する先進国の中では日本はほぼ唯一の「複数の神(宗教)が同一域内に同時に混在することを受け入れている信仰観」を持つ。日本人が統治手段としての宗教(いずれか一柱を選んで契約する宗教)が相互に競争・対立することを理解しにくいのは、恐らくこのため。
2011-06-14 14:32:06補遺9。これは日本国内では特定の宗教が統治手段としては広い影響力を持たない(宗教権威が、神によらない統治手段である法治主義政治を凌駕していない)ことと、封建的権力者が割拠していたこと(延暦寺やキリシタンなど宗教的統治手段もそれらのうちのひとつに矮小化されていること)と関連する。
2011-06-14 14:35:08補遺10。以上から、少なくとも日本では「宗教という統治手段」は、法治主義的政治(神を裁定の根拠にしない統治体制)が宗教的統治より上位にあり、宗教的統治に依拠する権威者の権威は限定的であり、その事を大多数の国民と信徒が了解しているので、宗教的諍いが起きない(起きにくい)。
2011-06-14 14:38:01補遺11。オウム真理教事件などはそれら域内統治が暴走した結果、上位秩序に諫められたと言えるし、公明党については逆に域内統治手段である宗教秩序が、その上位秩序である法治政治体制を侵奪しようとしているのでは、という警戒心から忌避される傾向がある。
2011-06-14 14:40:58補遺11。仮に神という検証不能な超然的存在を最高権威者とする統治秩序が法治政治体制を上回ってしまうと、神の代弁者/神の解釈者が最強権力を持つことになる。バチカンとか。最強権力者が積極的に善意を行使せず抑制的であれば問題は起きにくいが、積極的な正義を自らに課すと独善に陥る。
2011-06-14 14:43:29補遺12。神を最高権威者とする秩序を持ってしまうと、体制改革=神の否定に結びついてしまうため、改革を目指す者は域内秩序内での支持を得にくくなり、神は肯定しつつ解釈者を否定する、というアクロバティックな係争になる。手っ取り早いのは神の解釈者の暗殺。
2011-06-14 14:45:39補遺13。指導者の暗殺でしか域内での統治方法の是正ができないというのは、統治手段としては安定的とは言えないが、教典を厳守すれば誰が指導者であろうと社会が安定するという超法治主義に徹するなら宗教という統治手段は安定的といえる。そのためには教典が細かく定義され広く共有される必要がある
2011-06-14 14:48:08補遺15(11がダブったw)。結局、社会の安定的統治のためには共通の決まりが広く遵守される必要がある、ということになり、域内統治のために神と教典の普及が推し進められることに。
2011-06-14 14:49:47補遺16。結論として、言語、人種、宗教、政治体制、歴史の全てを共有できない限り、単一的秩序圏を作るのは不可能だが、それに挑むことは【世界征服】と呼ばれる。また、統治手段としての宗教は多彩な気候風土の相違から生まれる生活の知恵でもあるので、完全な共有は不可能。
2011-06-14 14:52:05補遺17。日本は地理的に「文化の漂着地点(大陸の端)」、「文化の消滅地点(災害などにより恒久的に定着しにくいものはすぐに消える)」という気候風土であるが故に、努力しないと定着しないもの、不向き・不便なものは長期間残らない。その結果、都合のよいものをチョイスして残すようになった。
2011-06-14 14:54:51補遺18。日本人の宗教観を一言で表すのは【七福神(宝船)】であるわけで、宗教は総括的統治手段から切り離され、部分部分の都合の良い「機能、効能」が個別に崇拝されるようになった。この時点で既に「域内統治のための手段としての宗教」からは逸脱している。
2011-06-14 14:56:52補遺19。以上から結論。日本人に【域内統治手段としての宗教は馴染まず、またそれに依拠する政治的対立にも至りにくい】それ故に、宗教という統治手段の対立について、日本人には理解もしにくくその調停・解消も難しいのだが、調停方法として「お金は大事だよ」を持ち出すのはむしろ正しいw
2011-06-14 14:59:29補遺20。宗教的対立は神を共有できないが故に起こり、イデオロギー対立も理念を溶融できないから起こる。が物々交換の世界でもない限り、通貨という概念は共有でき、物々交換でも「交換する文物の交換価値」という概念は共有できる。人類が共有共存できる統治根拠は、そんなわけで神の愛じゃなく金。
2011-06-14 15:01:19結論21。「愛より金!」「同情するなら金をくれ!」「拝金主義は正義!」「金は世界言語!」さだまさしは流れ星に願いました。「金金金!」この概念が表立って肯定されにくいのは、既存の神やその他の宗教、信仰に対して後ろめたいからだと思うけどw、これがやっぱ世界平和の真理に近付く打一歩。
2011-06-14 15:03:25@azukiglg 似たようなことが言語にも言えますよね。これだけ沢山の種類の文字を平然と言語体系に組み入れてしまう日本語って一体何なのかと考えてしまうわけで。
2011-06-14 14:35:36@azukiglg 特に江戸時代の寺社の役割を考えると、争いを起こそうにも無理で、宗教vs宗教にはならず一揆という形で対執政者になってましたし。
2011-06-14 14:44:05