新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

版元「株式会社出版人」とその稀有な人について書いておく

新刊『その後のリストラなう!』の発売が近づいている。

もっと精力的にブログを書かねばならないのだが、どうも筆が重い。体調が悪いといったことよりも、何かじとーっとした鬱状態のような、気が沈みがちだ。尤も、この時期は日照時間が短くて僕は鬱になりやすいのだが(こういう時は夕方に日焼けサロンに行って紫外線を浴びると、脳が「日照時間が延びた」と錯覚して鬱が治る、と教えてくれたのは故・小田晋先生だった。結局日焼けサロンに行ったことは一度もないが、早起きとかで日照時間を延ばす工夫は自然にするようになった。小田先生には感謝している)。

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自分のことを書こうとするから気が滅入るので、他人のことなら気楽に書けるかも知れない。

たぬきちの本を出そう、などと酔狂なことを考えたのは、株式会社出版人の社長・代表・主幹の今井照容(てるまさ)氏だ。まこと、酔狂なことである。

今井氏は、2010年にこのブログが精力的に書かれていた頃、熱心にコメントを寄せて下さった一人だった。ただ、コメントは基本、匿名なので、後に初めてお会いした時「今井です」と名刺をいただいたのだが、誰なのかまったくわからなかった。トークライブの会場ということもあったが、あんまり良い出会いではなかった。

きちんとお会いしたのは、その後暫く経ってメールで「飲まないか」と誘われた時だ。渋谷のあおい書店で待ち合わせ、桜丘のスタンドバーで飲んだ。

今井氏の外見は、こう言うと氏は気に入らないと思うが、園子温の映画「冷たい熱帯魚」に主演した時のでんでんに似ている。けっして二枚目ではない。が、三枚目でもない。異様な力を発散する、異様な人間、という感じが似ているのだ。映画のでんでんは稀代の連続殺人鬼を怪演したわけだが、今井氏は殺人等はしない。たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっとは覚悟している。

だが潜在的犯罪者であるのは明白だった。

犯罪者とは、つまり、革命家だということだ。

体制の転覆、社会秩序の紊乱、価値の破壊をもくろむ、不穏な匂いをさせている人物だ。

市民運動家や社会運動家ではない。社会を良くしようなんて思っていない、それよりも自分の生命を燃焼し尽くすことを優先する、度しがたくエゴイストな、実存的な犯罪者のことである、革命家とは。

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当時の今井氏は、東京アドエージという小さな広告代理店・業界誌出版社に勤めていた。サラリーマンだったのである。だけど、タダのサラリーマンではなかった。何しろ中身は犯罪者・革命家である。いや会った当時はそこまで確信を持って言えなかった、ただ〝不穏な人だなあ〟くらいにしか思わなかったのだが、それでもタダの人ではないことは一言二言会話するだけでよくわかった。

「最近何読んだ?」といった会話だったかもしれない。僕は「副島隆彦」と答えた。ふ普通、副島というとエキセントリックな経済評論家、ちょっと狂った傾向の物書き、という認識だと思うが、今井氏の反応は違った。

「京浜安保共闘だな。あれは筋金入りだ」

なるほど、副島は時折、「自分は運動の末期に過激なセクトに関係し、たいへん恐ろしい思いをした。運動の恐ろしさはよくわかっている」と書くことがあったが、セクト名までは出していなかったと思う。今井氏は、誰がどこのセクトに属していたか、日本地図のような脳内地図を持っているのだろう。恐ろしい人が居るものだ、と思った。

当時の僕は京浜安保…がどういうものかもよくは知らなかった。坂口弘の本を読んだのはそれからしばらく経ってからだ。今井氏と知り合わなければ読まなかっただろう。森田童子「球根栽培の歌」が爆弾製造マニュアル「球根栽培法」のことであるとか、そういうことも今井氏に教わった。ロキシーミュージックが爆弾闘争を歌っている、ということも教わった。不穏なことをよく知っている人である。

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いま面白いのは何?という問いかけに、今井氏は「部落史だな」とはっきり答えた。

僕は1970年代末の広島県東部で中学に行ったので、部落解放教育のかなり強いやつを経験していた。だから「部落」と「面白い」が結びつくことに非常に驚いた。その席ではあまり部落史の話はしなかったが、この今井という人が面白いと断言するのだから、きっと何かある、と思った。

僕は研究団体の連絡先を教えてもらって、電話して、時々開かれる研究会に参加することにした。

それは本当に面白かった。歴史研究はそもそも面白い。なかでも、さらにマイナーで、かつ日本史の核心の一つでもある被差別部落史は、興味が尽きることがないテーマだった。僕は知らず知らずのめり込んだ。研究会のたびに今井氏と顔を合わせるのも楽しみになった。

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2013年初頭、今井氏の雇用主である東京アドエージの名物経営者が突然亡くなった。会社は存続せず、畳まれることになった。今井氏は独立し、それまでの業務を継承・発展させた自分の会社「株式会社出版人」を設立した。

株式会社出版人はウェブサイトなどは持っていない。非常に玄人向けの会社で、B to B企業なのだ。クライアントは大手出版社・大手広告代理店。契約企業向けに業界誌「出版人・広告人」を毎月刊行し、他にいくつかニューズレターを出している。

月刊の業界誌にコラムを書かないか、と言っていただいたのがその年3月だった。はじめは「何が売れるか」といったテーマで、と言われたのだが、僕にはそんなことまったくわからなかったので、テーマ無し、あるいは出版社を早期リタイアした者の日常、でどうか、と返した。それでよい、というので書き始めたのが「たぬきちのドロップなう」と題したコラムだ。

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コラムに書きたいことは決まっていた。僕は、早期退職の退職金を投資信託などで運用しようとしたのだが、短期間で大損をしたのだ。それは実に辛い経験だった。黙って忘れようと思ったのだが、それも何か自分的には不自然というか、表現衝動がくすぶっていたので、何かに書きたかった。ブログなど公開の媒体ではない、会員制の業界誌という舞台はうってつけだった。

月刊の連載で2年弱、たっぷりと時間を掛けて、僕は自分の大損ばなしを連載した。あまり上手には書けなかったが、書きたいことは十分書けた。溜まったストレスを解き放ち、大声で叫ぶことで恨みを晴らしたような爽快さを得られた。

大損、というテーマが一応落ち着くと、次は「隠遁」「隠退」「隠居」といったテーマで書くようになった。あるいは「健康」。健康は、重要なテーマなのである。今僕は左の膝の半月板か軟骨が損傷していて、歩くとすごく痛いのだが、この痛みは「もう死んで解放されたい」と思ってしまうくらい嫌なものだ。持病がある老人は自殺しやすいのだが、その気持ちがよくわかって勉強になる。死なないようにしなければ。

まあそんなこんなで楽しく連載させていただいていたのだが、今井氏が「単行本の出版も始める」と言い出して、しかも2冊目に「たぬきち」をやるぞ、と言われて、大変当惑したのだ。何しろ、僕は吐き出すのは楽しかったが、それをまた読みたいかというと話は違う。僕が2年弱にわたって書いたのは、壮大な排泄物の山のようなものだったのだ。それをまた直視しろというのは、酷な話だ。(つづく)