日本被団協に平和賞 高まる核リスクへの警鐘(2024年10月12日『毎日新』-「社説」)

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝う電話に「ありがとうございます」と涙ぐみながら応じる、広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之理事長=広島市役所で2024年10月11日午後6時51分、安徳祐撮影
 非人道的な兵器が二度と使われることがないよう、誓いを新たにする契機としたい。
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ノーベル平和賞受賞決定を受け、記者会見した長崎原爆被災者協議会のメンバーら=長崎市で2024年10月11日午後8時22分、百田梨花撮影
 広島、長崎に投下された原子爆弾の被害者でつくる唯一の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に、ノーベル平和賞が贈られることが決まった。
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日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった後、原爆慰霊碑を訪れる人たち=広島市中区の平和記念公園で2024年10月11日午後6時45分、中村清雅撮影
 ノルウェーのノーベル賞委員会は「核兵器のない世界の実現に向け努力し、二度と使われてはならないと、証言を通じて示した。世界で幅広い運動を生み出し、核のタブー確立に大きく貢献した」と理由を説明した。
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来日したバラク・オバマ米大統領と握手をする坪井直・日本被団協代表委員(ともに当時)=広島市中区の平和記念公園で2016年5月27日午後6時6分、小関勉撮影
 受賞決定後、広島県被団協の箕牧智之理事長は「私たちが生きているうちに核兵器をなくしてください」と訴えた。
 人類が初めて核兵器の惨禍を経験してから間もなく80年となる。
 1945年8月、米軍の原爆投下で二つの都市は壊滅し、その年末までに21万人以上が亡くなった。生き残った人々も大けがをした。今も多くの被爆者が放射線の後遺症に苦しんでいる。
ヒバクシャの声世界に
 日本被団協は、太平洋のビキニ環礁で米国が実施した水爆実験により、日本の漁船員が被ばくして死亡したことを受け、56年に結成された。
 被爆者を支援するほか、体験を伝える「語り部」として世界各地を訪ねた。核廃絶に向けた国際的な署名活動にも取り組んだ。
 長年の活動で「ヒバクシャ」は世界の共通語となった。「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」をスローガンに、市民レベルの動きは国際的に広がった。
 核兵器の非人道性についての認識が共有されるようになり、核兵器禁止条約に結実した。条約制定を推進したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)には、2017年に平和賞が贈られた。
 今回の受賞決定は、核廃絶に向けた動きが後退し、核戦争のリスクが現実味を帯びつつある国際社会の現状への警鐘だ。
 ロシアは22年2月、隣国ウクライナに侵攻した。その秋にウクライナ軍が反攻すると、プーチン大統領は「領土が脅かされれば、あらゆる兵器を使う」と核の使用も辞さない姿勢を強調した。
 バイデン米大統領は「(62年の米ソ)キューバ危機以来の核の脅威に直面している」と警告した。
 中東では、事実上の核保有国であるイスラエルと核開発を進めるイランが報復合戦を繰り広げる。
 北朝鮮は2年前、核の先制使用もあり得るとの新たな政策を打ち出し、韓国への戦術核使用をちらつかせている。
 米ソ冷戦時代、世界の核兵器は増え続け、86年に約7万発に達した。その後の核軍縮交渉や冷戦終結などを受けて減少し、現在は1万2000発余だ。
日本が役割果たす時だ
 しかし、近年、大国は核軍縮から背を向け、核戦力の増強に転じている。
 19年にトランプ前米政権はロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱した。22年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議はロシアの反対で決裂した。
 米露は核戦力を軍事戦略の基盤に据え、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの更新を進める。中国の核兵器保有数は、現在の約500発から30年には1000発に倍増するとみられている。
 唯一の戦争被爆国として、日本が国際社会で果たす役割は大きいはずだ。にもかかわらず、政府の動きは鈍い。
 核兵器禁止条約に加盟しないだけでなく、締約国会議へのオブザーバー参加にも後ろ向きだ。
 「保有国と非保有国の懸け橋になる」ことを掲げながら、行動は伴っていない。東アジアの安全保障環境の悪化を理由に、米国の「核の傘」を含む抑止力の強化を推し進めている。
 広島市で昨年開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、「核兵器のない世界」を目標に掲げたが、「防衛目的の役割」を肯定し、被爆者を失望させた。
 被爆者の高齢化が進み、体験を語ることができる人は減っている。記憶を次世代にいかに継承していくかが課題だ。
 「ネバーギブアップ(決して諦めない)」。日本被団協の代表委員を務め、21年に亡くなった坪井直(すなお)さんの言葉である。
 政府は被爆者の思いを真摯(しんし)に受け止め、「核なき世界」の実現に向け、今こそ行動する時だ。
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「魚屋殺すにや3日もいらぬ…(2024年10月11日『毎日新聞』-「余録」)
 
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水爆実験で被ばくした第五福竜丸を調べる米原爆傷害調査委員会(ABCC)のメンバー。原水爆実験中止を求める世論の盛り上がりをきっかけに日本被団協が結成された=静岡県焼津市で1954年3月20日、写真部員撮影
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日本被団協にノーベル平和賞を授与する理由を述べるノーベル賞委員会のフリードネス委員長=オスロで2024年10月11日、NTBロイター
 「魚屋殺すにや3日もいらぬビキニ灰降りやお陀仏(だぶつ)だ」。70年前、ビキニ環礁での米国の水爆実験で第五福竜丸が被ばくした事件でいち早く原水爆禁止の声を上げたのは鮮魚商たちだった
▲「痛いときは痛いと言おう。それが民主主義だ」。東京・築地市場で開かれた魚業者大会は原水爆実験の即時中止を決議。東京都杉並区では鮮魚商の妻の訴えが区を挙げた署名活動に結びつき、全国に広がった
▲その後の1年間に集まった署名は国内で3200万、世界では6億を超えた。こうした世論の盛り上がりを背景に1956年8月10日に結成されたのが日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)だ
▲「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」。結成宣言「世界への挨拶(あいさつ)」のとおり、世界に被爆者の体験を伝え、核廃絶を訴えてきた被団協にノーベル平和賞が授与されることが決まった
▲ビキニ水爆から70年。来年は広島、長崎への原爆投下から80年を迎える。近年、ニューヨークでの4万人デモの先頭に立った坪井直さんら被爆者の訃報を聞くことが増えた。平和賞は被爆の記憶を引き継ぐことを願う世界の声でもあるだろう
▲核大国ロシアのウクライナ侵攻以降、核兵器が再び使われる危険性が現実味を持って語られるが、決して許してはならない。今後は被爆国の姿勢が一層問われることになる。「意義深い」という言葉を裏付ける石破茂首相の行動が見たい。